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“一芸は道に通ずる”
一つのことを極めた人は、他のどんな分野においても、 よい方法を見いだすことを表現したことわざだ。
かつてスタジアムで人々を熱狂の渦に巻き込んだアスリート達が、セカンドキャリアに「ビジネス」を選択することが増えつつある。
アスリートにとって、指導者や解説者など、ファーストキャリアの延長線に活躍の場を見出す時代は、過去のものになった。
2017年12月、日本で3回目の開催を迎えた、最新のヘルステックとその事例を紹介する世界最大規模のカンファレンス「Health 2.0」。そこで、元浦和レッズの鈴木啓太氏と、元陸上日本代表の為末大氏が「事業家」の肩書を背負い登壇した。
ビジネスの世界でセカンドキャリアを歩む元アスリートの中で、ヘルスケア領域において事業を展開する二人。彼らが描いている未来や、元アスリートならではの強みについてなど、さまざまなテーマが語られたトークセッション「テクノロジーで健康/スポーツ体験を向上させる(2020年に向けて)」の内容をダイジェストでお届けする。
オリンピアン為末大が考える、スポーツ隆興への糸口
前述の通り、アスリートがセカンドキャリアに「ビジネス」を選ぶことは少なくない。ただこれまでは「飲食店経営」などが主たる選択肢であり、新たなビジネスモデルを創出するイノベーターが生まれることは、そう多くなかった。
為末氏は「スポーツの再興を図るには、スポーツが社会と接点を持つ機会が必要だった」と語る。なぜ、業界を横断するように事業を展開しようと考えたのだろうか。
為末「元アスリートですから、やはり私のアイデンティティはスポーツにあります。ただ、スポーツを盛り上げていくためには、スポーツ業界の中で施策を打っているだけでは足りません。たとえば、スポーツ以外の領域で生じる課題をスポーツで解決するなど、スポーツと他分野の接点を増やすことが必要だと考えたんです。私はこのビジネスモデルを“by sports”と表現しています」
現役引退後の為末氏の肩書を並べてみると、「一般社団法人アスリートソサエティ代表理事」「Deportare Partners 代表」「株式会社R.Project取締役」「株式会社侍 代表取締役社長」など、スポーツを軸に多岐に渡り活動していることが伺える。
スポーツを極めた経験を幅広い産業に還流させることで、分断されていた産業の壁が溶けていく。たとえば為末氏が運営に携わるプロジェクトの一つに、障害者アスリートが健常者と同じように利用できるスタジアムの設立が挙げられる。
新豊洲にオープンした「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」にはラボが併設されており、たった3分で義足の修理・調整ができる。これまでは、義足が故障すると、練習を中断して病院に持っていく必要があった。
為末「元アスリートだからといって、常にスポーツ界の“ど真ん中”にいる必要はありません。僕は、スポーツと社会の接点をつくるハブとして、社会の意識を変えるような取り組みをしていきたいんです」
これは一つの事例にすぎないが、他分野領域との連携が、スポーツ産業に新たな視座を与えることを示した。業界のトップとして産業の隆盛を目指すのではなく、あえて業界の間に立つ為末氏の活動から、未だかつてない価値を世に送り出すヒントが伺える。
“浦和のバンディエラ”鈴木啓太が挑む、「スポーツ×ヘルスケア」ビジネス
一方鈴木氏は、サッカー選手時代に行っていたセルフコンディショニングをヘルスケア分野に応用した。引退直前にAub株式会社を立ち上げ、腸内細菌の研究結果を商品やサービスに応用するビジネスを展開している。
鈴木氏は、浦和レッズ在籍時に、自身の排泄物から健康状態を把握していたという。
鈴木「現役時代は、自分の排泄物をコンディションの目安にしていました。毎日出るものなので比較がしやすい。色や重さ、さまざまな要素から自分の健康状態を考察し、食生活や練習メニューを改善していくのが習慣でした」
選手時代、排泄物をコンディショニングの目安にする鈴木氏のやり方は、とても定石と言えるものではなかった。しかし彼には、「排泄物とコンディションには相関がある」と確信があった。むしろ自分にしかない感覚なら、ビジネスとして勝機があるのではないかと感じていたのだ。
起業を決意した当時、バイオテクノロジーに精通する友人もいなければ、細菌系の研究者の知り合いもいなかった。
鈴木「排泄物とコンディションの相関関係は、あくまでも体験値。正確なデータがあったわけでもありません。ただ、自分の考えを熱心に訴えていくと応援してくれる“サポーター”がつくようになりました」
16年間の現役生活の中で得た確かな体験値と、周囲に応援される人間性が鈴木氏のビジネスを支えている。鈴木氏の真摯な姿勢を信頼し、ピッチ外にも“サポーター”が生まれたのだろう。
現役選手のなかにも、鈴木氏のことを慕っている選手は多い。現在セリエA・インテルに所属する長友佑都選手は、自身のツイッターで「人格者として尊敬する」と鈴木氏に尊敬の眼差しを向けている。日の丸を背負い戦った“浦和のバンディエラ”の姿に、起業家に求められる人間性が伺える。
元アスリートが示唆する異分野と連携したスポーツビジネスの未来
為末氏と鈴木氏は、出自やビジネスモデルは違えど、アスリートであった知見を多分野に生かしている共通点がある。トークセッションの終わりに、お二人が考えるスポーツとヘルスケアの未来について語られた。
為末「ヘルスケアとスポーツの間に立ち、これからの健康を考える上で、身体的な“健康”だけでなく、精神的な“幸せ”を検討する必要があると思うようになりました。先進国では平均寿命が伸びていますが、『長生きすることが人々の幸せにつながるのか?』という問いは、これから先進国が向き合っていかなければならないテーマです」
為末氏の発言は、身体的に健やかな状態にあっても、精神的な充足がなければ、本当の意味で“健康”だとは言えないことを示唆している。
為末氏は幸福度が世界で最も高い国・ブータンを例に挙げて話を続けた。ブータンに暮らす人々の平均寿命は60歳程度だが、朝も昼も元気で、夜になると自宅の居間で静かに息を引き取る人が多いのだそう。日本のように、病に苦しみ病床で死を迎えることが少ないというのだ。為末氏は、こうした“幸せな最期”を迎えるために、スポーツが一役買うのではないかと説く。
為末「健康面において『運動することは正しい』と言われて久しいですし、たくさん歩くことが健康につながることは周知の事実です。とはいえそれだけの動機でウォーキングをする人は少ない。この状況を改善したよい例が『ポケモンGO』でした。『楽しい』という感情の充足によって、人々の歩行量が増えた。『楽しさ』が『正しさ』に勝る現代、健康に対するモチベーションやインセンティブを生み出すには、スポーツが持つゲーム的な要素が貢献できるのではないかと思っています」
一方鈴木氏は、現在アスリート向けに展開する事業を一般人にも利用できるよう準備しているそうだ。
鈴木「アスリートの健康を考えるうえで、排泄物だけでは補えないこともあります。健康を全方位でカバーするには、血液や尿、心拍など、さまざまなデータが必要になる。そのために、今後はさらに領域を広げ、多様なテクノロジーサイドの人たちと協力していきたいです。またアスリートだけでなく、蓄積したデータを一般の方向けに還流していくことも考えなければいけません。一人でも多くの人の健康に貢献できるよう活動の範囲を広げていければと思います」
最後には、為末氏からスポーツが持つ表現分野との連携について、可能性が示唆された。
為末「“スポーツ”の語源になったのは、イタリア語の“Deportare”。この言葉には“スポーツ”だけでなく“詩を詠む”、“歌を歌う”といった意味も含まれています。そうした背景を鑑みるに、これからのスポーツは表現やアートに派生する世界があるのではないでしょうか。スポーツを通して人々が自己表現をする未来に、新たなビジネスの可能性があると思っています」
スポーツで培った経験は、スポーツだけに活かせるものではない。鈴木氏の事業のように、我々の生活に活かせる知見はきっとあるはずだ。彼らのビジネスは多分野との連携が既存産業にイノベーションをもたらす可能性を示している。