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揺らぐ?「学力大国ニッポン」
昨年末に公表された経済協力開発機構(OECD)によるPISAテストの結果で、すべての教科において日本のスコアを中国各都市が上回ったことは「学力大国ニッポン」の私たちに大きなショックをもたらした。
特に今年のメインテーマであった「読解力」が15位という結果は、文科省が国全体の学力低下を認め、全国学力調査を開始する原因となった2003年の14位よりも低い順位。
その後日本は脱ゆとりへと舵を切り、少子化も手伝って教育に関係する誰もが熱心に取り組んできただけに、「なぜ」という感もぬぐえない。
多くの報道は「ゲームやスマホの普及」を背景として挙げているが、その点は日本よりも上位を占めている先進国のみなさんも状況は同じでしょうよと納得できないのは筆者だけではあるまい。
PISAテスト結果(読解力によるランキング・OECD公式サイトより)
国際的な人材評価という意味では、スイスの権威的ビジネススクールIMDの「ワールド・タレント・ランキング」も有名だ。
「国内人材への投資」「海外人材にとっての魅力」「国内人材のポテンシャル」の3大項目で63か国を採点した結果が毎年公表されているが、そこでも日本は昨年、総合順位30位と低迷(ちなみに1位はスイス/最下位はベネズエラ)。
小項目の中の「PISAテストのスコア」「就労後の研修の充実」「報酬」「有能な人材確保のための企業努力」などで10位以内の高い評価を得た半面、社会人の語学力の低さ、教育分野に投資される国家予算の割合の低さ、適性ある管理職の数などがいずれもワースト8入りしてしまい、特に「管理職の国際経験」が世界最下位に位置付けられた総合結果だ。
粒ぞろいで平均して世界トップクラスなことは間違いない日本人の知識力と勤勉性とは裏腹に、グローバルな尺度で計測されるとちょっと意外な結果をいただいてしまっている…といったところだろうか。
そもそもPISAテストとは?何を計測しているのか
そもそもPISAテストは、「子どもの学業成績は、将来の収入や国の生活水準と相関がある」という前提のもとに、2000年からOECDが各国の15歳(多くの国で義務教育が終了する年齢)の生徒の学習到達度を測定するために3年ごとに実施している学力テスト。
数学的リテラシー・科学的リテラシー・読解力の3つのカテゴリーでスコアが出される。
昨年結果が出た最新の調査(2018年実施)には79か国が参加した。それぞれの国から偏りの出ないよう無作為に抽出された数千人の生徒が参加する、という感じだ。
今年は中国の中でも比較的学力の高い都市が選ばれていたとか、元々欧米に拠点を置くOECD制作の試験問題が日本人向けではない(具体的には、特に近年知識の量よりも知識の使い方を問う「リテラシー」がベースの設問が基本になっており、自由な発想が求められる記述問題も多く含まれるなど)と、ランキングに一喜一憂することを懐疑的に見る向きもあるし、そもそもこのテストは学力のみならず生徒の学習環境や学校の予算など、それぞれの国における教育の現状とその格差を洗い出す目的も大きくなっている。
PISAテストの責任者を務めるドイツ人統計学者/教育研究家のAndreas Schleicherは、今回の結果の公表にあたり世界的な教育格差に言及し、教育に潤沢な資金が注がれていないにもかかわらずスコアを伸ばした国々や、スコアは伸ばさなかったものの教育を受ける15歳の人口が飛躍的に増加した国を称賛した。
そしてテストの結果において女子と男子に理数系の成績に差は見られないのにIT・科学関係の職業への指向には大きな差があること、同様にスコアは同じでも経済的に恵まれない生徒は裕福な生徒よりも低いキャリアを目指す傾向があることなどを指摘し、「PISAテストは、不可能を可能にするためでなく、可能なのに見過ごされていることを実現するためにあるのです」とコメントを締めている。
Andreas Schleicher氏(wikipediaより)
PISAに寄せられる批判
とはいえ、2000年に開始されたこの「教育オリンピック」でより上位に食い込むことに参加国の面々が躍起になり、著しくは国の教育方針を決める際にPISAテストを意識する国が現れたりするのにそう時間はかからなかった。
そのため実施者のOECDはこの事態を受け、「PISAテストの内容が社会に与える影響」を考慮し始めている。具体的には、各国の教育政策に侵入的でない方法に切り替える必要と、将来世界に必要とされるスキルを問うようにテストの内容をアップデートする必要に迫られているのだ。
現在までにPISAテストに寄せられた批判の中で最も有名なものは、80名の各国の教育研究者たちが2014年に先述のSchleicher氏に寄せた(現在までに賛同者は130名にのぼっている)公開書簡。
彼らはその中で現在の世界的な教育倫理の基本と同テストの矛盾を指摘し、実施と結果の公開が各国の教育システムに「ダメージを与えている」と主張した。
PISAテストが批判を受けた部分は以下の通り。
・世界の「点取り競争」を過熱させている。
・3年の評価サイクルは、教育に一定の変化の結果を出すには短すぎる。
・物理・道徳・芸術・社会など重要な科目が欠け、それらが重要でないかのような印象を与える。
・OECDは経済発展に寄与するための組織であり、子どもの幸福や教育は対象外のはずである。教育は経済への貢献によって評価されるべきではない。
・PISAの実施とフォローアップのために多くの官民パートナーシップが採用され、ビジネスの道具にされている。
・機械的に点数を測るテストの大きな影響力により、現場にプレッシャーを与え、教師の裁量を奪っている。
また、欧州連合(EU)も共同声明の中でほぼ同様の点に懸念を示し、「PISAの結果は各国の教育政策のために賢く利用されるべきものであって、現場が影響を受けるべきではない」という立場を明確にしている。
今後予定されるテスト改革
PISAの問題は基本的には非公開だが、世界経済フォーラムは「教育的成功を評価する方法は、世界でこのように変化している」と題した見解の中で、これらの批判を受けてPISA実施チームがテストの内容に加えた修正、また今後どのように変化させていく予定であるかをまとめている。
まず、2015年と2018年に「チームでの問題解決」と「金融リテラシー」、そして「国際理解(異なる文化へのオープンマインデッドネス、世界平和への意識など)」の新しい分野を追加した。
また測定誤差を減らすことを目的として、以前のPISAスコアのベースとなったモデルも変更。その上で「現時点でPISAが測定しているのは、重要な教科のうち一部分のみである」と認めたという。
Schleicher氏は「これからの世界においては、知識の量ではなくその使い方が問われるようになる。PISAテストもそれに見合った変革が見込まれている」とし、2021年の新人事より、創造的思考・思考の柔軟性・探究心・持続性などを問う内容に大きくシフトする方向性を示した。
また、これからのビジネスモデルに呼応する形で、2024年までに学生のデジタルラーニング能力を評価する方法も開発中だ。
世界経済フォーラムは「それらは数量的評価がより難しい分野のため、彼らの挑戦は決して簡単なものではないだろう」としている。
世界的に再定義を求められる「いい教育」~これからの子どもに求められる能力
もっともそれはある意味、PISA責任者のSchleicher氏のねらい通りでもある。彼は昨年イギリスで催された教育会議でこう語っている。
「教えるのも、テストと点数で測るのも簡単な能力は、AIがとって代わるのも簡単なスキルなのです。計算はロボットにもできる。しかし同じ数学の問題を解くにあたって、人間は想像し、創造し、疑問を持ち、協力することができる。これこそがこれからの子どもが磨くべき能力です。
AIの出現により、私たちは『私たちを人間たらしめる要因』について考える必要に迫られています。現時点で私たちは、仕事の未来に対して全く見当違いの準備をしている。
ロボットが人間の仕事を奪う不安にさいなまれながら、一方でまだ子どもたちにロボットと同じように考えることを教えています。しかしこれからの私たちは、『二流のロボット』ではなく『一流の人間』を育てていかなければいけないのです」。
これは2018年の世界経済フォーラムで、アリババの元CEOであるJack Ma氏が語った内容とも重なる。
彼はこれからの子どもたちは独立的思考、チームワーク、他者への配慮を学ぶことに集中しなければならないとし、「現在と同じ教育を続ければ、私たちは30年後に大きな問題に直面するでしょう」と警告した。
PISAテストにおいて上位常連のシンガポールが昨年、スコア重視の従来の教育方針を見直したこともこういった未来予想と無関係ではないだろう。
Smarttech.comの創立者で世界的教育戦略家であるGiancarlo Broto氏は先述の教育会議で、「10年後には、学校で共感性の点数が最も重視されるようになってほしい」と発言して会場から拍手を浴びた。
実際既にシンガポールやフィンランドなど、共感性とコミュニケーションスキルなどの教育の開発に成功している国もあり、創造性とレジリエンスもそれに続いている。
世界経済フォーラムによるレポート「仕事の未来」によれば、現在初等教育で学んでいる子どもたちが大人になる頃には少なくとも6割以上が現在存在すらしない仕事に就くという。
その時点では技術革新が仕事のあり方を大きく変えており、人間に必要とされる能力は、そのAIを管理するためのテクノロジースキルの他は、創造性、EQ、クリティカル・シンキング、コミュニケーションスキル、多様性に対する理解などの「人間力」、そして今後テクノロジーにより変化が加速していくとされる世界で変化を恐れず常に新しいことを学ぼうとするマインドセットであるとされている。
一説には、経済成長期には学生時代に学んだ知識の「半減期」が30年あったのに対し、これからはそれが6年程度に短縮されるとも。
ものすごくざっくり言うと、これからの教育において子どもたちは「現時点でのテクノロジー知識」「人間力」「生涯新しいことを学び続けるマインドセット」を身に着けることを望まれるといっていいだろう。
意外と評価されている我が国の教育改革
バブル期に日本で生徒時代を経験した、いわゆる「知識詰め込み教育」の申し子のようなお年寄りの筆者はここまで見てきて、これからの教育はなんとつかみどころがなく、ディープな人間力を目指す必要があるのだろうと途方に暮れる思いだ。
高度経済成長期に成立していた「既存の知識をよりたくさん学べば、大人になった時により多くの利益を上げることができ、より幸福になれる」というリニアなモデルがなんとシンプルだったことか。
しかしSchleicher氏は、我が国日本の取り組みを高く評価している。PISAテストの方向転換に沿って教育改革を成功させた国を尋ねられると日本を挙げ、「日本は近年、教育内容の30%を削減し、その時間をディープラーニングやクリエイティビティの醸成に振り替えました。近年はイギリスの方が余程、暗記重視型に見えます」と。
だとすれば、冒頭で言及したような「PISAショック」は、これからPISAテストの内容改革が落ち着き、日本の教育改革の結果が出るにつけ収斂していくのかもしれない。
しかし同氏も「PISAテストが本当に測るべき『人間力』を正確に測る方法を編み出すには、数十年の時間が必要」と言っているように、長い目で試行錯誤しながら見守っていくべき問題なのだろう。
次のPISAテストの実施は2021年。世界も日本も教育改革中であることを忘れずに、結果を楽しみに待とうと思う。
文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit)