「起業の失敗分析から、Webマーケティングのスキルを得ることが必要だと判断したので再就職しました。」

こう語るのは、塾運営の効率化に取り組むPOPER代表の栗原氏だ。Comiru(コミル) という塾と講師、保護者の三者を繋ぐWebプラットフォームを開発。同サービスは1,200教室以上で導入されている。

実は、彼にとってPOPERは二度目の起業なのだ。

1度目の起業は同僚と脱サラして起こしたが業績不振から解散。自身のスキルを磨くためにIT企業へWebコンサルタントとして再就職した。その後、事業領域として関心のあった教育業界へと飛び込んだことで、POPER創業に繋がる塾業界の負を経営者・講師として体感する。

栗原氏は一度の失敗で挫けなかっただけでなく、会社員と起業家を行き来しながらも起業に向かって走り続けられたのは何故なのか。今回は、起業家・ビジネスパーソンと状況に応じて役割を変えていくマインド、会社員が起業という壁を超えるための踏み出し方について伺った。

栗原 慎吾(くりはら しんご)
株式会社POPER 代表取締役
1983年生まれ。明治大学経営学部を2007年に卒業し、新卒で住友スリーエムへ入社。2011年に株式会社optへ入社し、大手ECサイトなどのWEBコンサルティングを担当する。2012年より中学時代の同窓が立ち上げたS.T進学教室に共同経営者として参画し、経営から講師まですべての業務を経験。学習塾時代に感じた塾業界の課題を解決するため、2015年1月に株式会社POPERを設立。

学生時代に感じた起業に対する憧れと違和感

現在に至るまで、栗原氏はどのような経験をしてきたのか。彼が起業の世界に足を踏み入れたきっかけは、サラリーマンから会社経営者に転身した父親・祖父の姿だった。

栗原:父も祖父も50歳を過ぎるころには、社長として会社を任されていました。身近に経営者が居たことで、「自分もいつか社長になるんだ」と学生時代から憧れを抱いていたのです。

その一方で、経営者に昇りつめるまでに30年近い時間がかかることに違和感を感じていたと語る。

栗原:働き方に対する変化や認識が年々移り変わる中で、そこまでのステップアップに30年間もの時間を要することに違和感がありました。だからこそ、「もし起業するなら、自分で会社を立ち上げよう」とぼんやりと考えていたのだと思います。

常に頭の片隅に起業という可能性を置きながら仕事に励む栗原氏に、会社員生活が3年目を過ぎたあたりでチャンスが巡ってきた。日々互いの夢や思いを熱く語っていた同期と、一緒に事業を立ち上げようという話になったのだ。

栗原:「何か夢のある大きなことがしたい」という話題で常に盛り上がる同期が、入社当時から居ました。彼はビジョナリーな人で、どんな時も自身の夢を熱く語る人でした。日々思いを語り合う中で、互いに触発されたんだと思います。今振り返れば青くさい理由ですが、それも含めて起業への情熱だったのかなって。

同僚と退職した栗原氏は、「ビジネス」×「アカデミック」×「アート」に着目したマッチング事業を立ち上げようと、起業家として最初の一歩を踏み出した。

ビジョンだけで走った起業家1年目の失敗

起業家1年生として走り回る日々に、「毎日が大変だったけど、それも含めて楽しかった」と栗原氏は語る。パートナーである同僚とのディスカッション、そして大学といったアカデミアへのアクションなど、ビジネスを動かすために動き回った。

栗原:この時を振り返ると「自分たちが良いと思うサービスを形にできれば、誰しもが興味を持ってくれる」と思っていました。常に変わらぬビジョンがあったからこそ、前に走り続けられたのです。

しかし事業は軌道に乗らず、2人で3年半働いて蓄えた資本金も、活動から1年半ほどで底をついた。事業の継続が困難だと判断した栗原氏から、パートナーに「事業を畳もう」と解散を申し出る。

栗原:「今のままでは到底ビジネスとして立ち行かない」とパートナーに気持ちを伝えました。解散をパートナーに切り出した後のこと、正直覚えていないんです。頭が真っ白の状態というか、それだけ自身にとってインパクトのあることでした。

この時に栗原氏は次の学びを得たと語る。

栗原:プロダクトがない状態で、かつ安定したキャッシュを得られていないシード期に、ビジョンだけを追い求めているとキャッシュとのバランスが取れなくなるということです。安定した収入を得ながら、事業を動かす方法を考える必要がありました。

さらに、資金面については会社員時代からでも準備ができることはあると話す。

栗原:日本政策金融公庫をはじめ、金銭面での相談に乗ってくれる団体は多くあります。最小限の金銭リスクで起業する方法に対して、事前リサーチが不足していた感は否めません。

起業家は一度失敗をしても、すぐに再起業を試みる人が多い。しかし、栗原氏はデジタルマーケティング企業であるopt(オプト)に就職する道を選んだ。

次の起業を見据えた“会社員”という選択

opt(オプト)へ再就職した理由を尋ねたところ、次のように教えてくれた。

栗原:大きく理由は2つあります。決して起業を諦めたわけではなく、次の起業を戦略的に行うための布石です。

1つ目は、企業の失敗を振り返った時に自分に足りない知識の1つが“Webマーケティング”だったこと。IT領域と非IT領域を掛け算した事業に取り組みたいと考えていたので、SEOやリスティングの考えなど企業で実務として扱いながら経験を積む必要があると感じました。

2つ目は、解散から半年の間に、自分1人でできるビジネスのタネが思いつかなかったから。新卒時代の歯科医師の人脈を生かしたビジネスモデルをはじめ、いくつも考えました。しかし、どれもリーンスタートアップとして始めるには資金も人も必要で、1人で始めるには困難でした。

これらの選択は1回目の失敗経験からも、まずは1人でかつスモールスケールで取り組める事業に取り組みたいからこその判断です。

さらに失敗経験を経て、自身や事業に対する向き合い方も変わったという。

栗原:常に自分の行動を分析するようになりました。起業のヒントになることもあれば、すかさず書くようにしています。自己内省をしていないと、起業と向き合えないという怖さもありました。だからこそ、常に自身の考えを客観的に判断するよう習慣づけていたのだと思います。

企業でWebコンサルとしての経験とスキルを蓄える中で、友人から「塾の共同経営者として一緒に働かないか」と誘われた。検討中の起業モデルとして、IT×教育を視野に入れていたこともあり、栗原氏はこの申し出を快諾する。

「波は必ずやってくる」1人で進んだ2回目の起業

栗原氏が塾業界に飛び込んで驚いたのは、「多くのことが手作業で行われている現実」だ。この問題を少しでも解決しようと開発されたのがComiru(コミル)である。実は本サービス、起業家支援のアクセラレータープログラムに採用されるまで、塾講師業と並行しながら栗原氏は運営していた。

栗原:これまでの失敗から、まず100%自分でやってみた後に人を増やした方が良いと判断しました。人件費を含め、ギリギリまで不要なキャッシュを放出しないためでもあります。

不安な気持ちはありましたが、事業に専念するチャンスは必ずやってくると信じていたため、その波を逃さないように1人で待ち続けました。

事業を考案した当初はSaaSという言葉自体ありませんでしたが、諦めずに事業を進めたことで今では塾業界のSaaSモデルの1つとなれたのだと思います。

最後に起業を考えるビジネスパーソンに向けて、サラリーマンも起業家も両方経験しているからこそのメッセージを語ってくれた。

栗原:実は、会社員と起業家をそれぞれ経験したから気づいたことがあります。それは、起業家マインドをビジネスパーソンは実務を通して培っている点です。

組織で伸びていく人、新規事業に取り組む人など、それぞれが「新しいことへチャレンジするマインド」を持ち試行錯誤していると思います。このように起業に欠かせないマインドを多くの人は仕事を通して培っているのです。

これから起業を考えるビジネスパーソンにアドバイスを求めたところ、「事業が軌道に乗るまでは退職せず、週末や終業後などの時間を活用した方がいいですよ」と栗原氏は勧めた。

栗原:いきなり退職して事業を始めることはリスキーなため、まずは週末起業家など、本業と並行できるところから少しずつ始めることをおすすめします。起業当初は、顧客がほとんどいないため仕事をしながらでも事業は動かせるからです。続けていたら、チャンスは必ず巡ってきます。

会社員、起業家と自身のフェーズに合わせて、事業に向き合ってきたからこその言葉だ。起業に興味はあっても、その困難さから手が出ないという人は多いと思う。だからこそ、自身の本業と両立してきた栗原氏の体験は、ロールモデルとして参考になるのではないだろうか。

取材・文:杉本愛
写真:西村克也