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バーガーキングが「アンハッピー・セット」を発売
あなたは嫌な気分になった時、どんなものを食べたいだろうか?
アメリカのドラマなどを見ていると「アイスクリーム」が一つの定番のようだ。自分を元気づけるためにちょっと奮発して焼肉でも食べる人もいるかもしれない。個人的には暖かくてビタミンたっぷりの鍋なんかいい心の栄養になる。
でも次に嫌な気分になった時には、そんなときの選択肢に「ワッパーのセット」が入ってくるかもしれない。
このたび米ハンバーガーチェーン大手バーガーキングが「リアル感情セット(Real Meals):通称アンハッピー・セット(Unhappy Meals)」を発売した。
アンハッピー・セット(バーガーキング社公式Twitterより)
「いつもハッピーな人なんていないから」というキャッチコピーとともに、シアトル、マイアミ、LA、NYC、オースティン、テキサスの6都市限定、売り切れ次第終了で発売されるこのセットは、同社がアメリカメンタルヘルス協会(以下AMH)とのコラボレーションにより、メンタルヘルス啓蒙月間(5月)をPRするために打ち出したキャンペーン商品。
プレスリリースでは、「ソーシャルメディアの普及により、私たちは常にハッピーで完璧でなければいけないというプレッシャーに晒されています。わが社はこの『リアル・セット』で、人々がありのままの自分でいること、感じるままの感情を持つことを称えたいのです」とキャンペーンのねらいを説明した。
AMH会長のPaul Gionfriddo氏は、「ファストフードとメンタルヘルスを組み合わせることを考える人はそう多くないでしょうが、私たちは様々なコミュニティで議論を活性化することが、メンタルな問題を持つ人が症状が深刻になる前に声を上げる助けになることを信じています」と語り、ファストフード店のメインの顧客である若年層にもメンタルヘルスに関して気軽に話してほしいと呼びかける。実際アメリカにおいて精神障害の好発期は18~25歳の間とされており、ターゲットとして決して的外れではないだろう。
アンハッピー・セットの中身は?
さてその「アンハッピー・セット」の内容はというと、意外なことに中身はごく普通のワッパーコンボ。普通サイズのワッパーとフライドポテトに、ドリンクがついてくる。特別なのはそのセットが入ってくる箱で、「ムカつきセット(怒っている時)」「ブルーセット(悲しい時)」「しょっぱいセット(辛い時)」「イエェェェェイセット(歓喜している時)」「DGAFセット(人の意見に耳を貸さないと決めた時)」と気分に合わせて選べる5種類のデザインと色が用意されている。
気軽に「ムカつきセットひとつください!ドリンクはコーラで!」と言えば、その箱に入ったセットが買える仕組みだ。ちなみにおもちゃは入っていない。残念。
ミレニアル・Z世代に訴えかけるCM動画も
商品の発売と同時に5月1日にリリースされたCM動画では、ミレニアル・Z世代の若者たちのリアルな苦悩が生々しく描かれている。
「みんなが毎朝ハッピーな気分で起きるわけじゃない。悲しい時、怖い時、ひどい気分の時もある」とつぶやきながらベッドの上にうずくまっている若い男性。
「この閉鎖的な街から早く出ていきたい」と泣く、いじめを受けている女子高生。
「私のボスはクソサイテー野郎よ!」とプリプリ怒りながら、デスクからまとめてきたらしき荷物をまき散らしつつ会社を出て行く30歳前後の女性。
「奨学金の返済額が信じられないことになっている…これじゃ実家を出られない」
「彼女と連絡が取れなくなった。どうしてもっと前に気づかなかったんだろう。終わりだ」
「みんな私が若すぎるからこのベビーを育てられないって言う。何とでも言いなさいよ」
登場人物たちはそれぞれの悩みを抱えながら、「ただ、ありのままの感情を感じさせてくれればいい」という歌に合わせて少し笑顔を取り戻していく。そして最後に「いつも『ハッピー』な人なんていない。でもそれでいいんだ」というメッセージが表示される。
ネガティブな気分を感じていても、それをそのまま受け入れることができればそれだけで少し元気が出るという本キャンペーンの趣旨を表現する2分間の動画だ。
それぞれの苦悩を描くCM(バーガーキング社公式Twitterより)
ちなみに「ただ、ありのままの感情を感じさせてくれればいい」に当たる元の表現「All I ask is that you let me feel my way」は、同社が70年代にキャッチフレーズとしていた「Have it your way(お好きに召し上がれ)」のセルフパロディにもなっている。
「ハッピーセット」本家の反応は
さて、ここまでパロディに使い倒された「ハッピーセット」本家の米マクドナルド社はというと、現時点で特に何のコメントも発表していない。
もっともバーガーキング社がマクドナルドをネタにしたキャンペーンを打ち出したのは今回が初めてではない。昨年末にも「マクドナルド店舗から600フィート(180m強)以内に入るとバーガーキングのワッパーが1セントになるクーポンが発行されるアプリ」をリリースして混乱を招いたりしている(アプリ内の指示を誤解して、マクドナルドでワッパーを注文してしまう人が続出したため)。
業界の絶対的王者であるマクドナルドは、常に同業他社から目標にされ、同時にアタックされる標的になっているようだ。
ネット上の反応は賛否両論
このプレスリリースを受けて、インターネット上ではほぼ炎上と言えるほどの賛否両論が巻き起こっている。
純粋に知名度の高い大手企業によるメンタルヘルスへの啓蒙を感謝する声も多く、もちろん「ムカつきバーガー1つ下さい」などと声を上げるネチズンも続出。
その一方で、以前バーガーキングで店長をしていたTwitter利用者が当時過労とストレスで店舗裏で泣いていた経験を告白。「キャンペーンはすばらしいけれど、ちょっと複雑な気持ちだ」とツイートし、同社が自社スタッフのメンタルヘルスにももっと注意を払うべきだと主張したことが大きく話題になった。
他にも、
「また大企業が人のストレスで金儲けか」
「少なくともセットの売り上げの一部をしかるべき団体に寄付すべき」
「AMHと提携しておきながら、結局やっていることが箱のデザインだけというのは浅すぎる」
「アンハッピーな時にジャンクフードなんか食べちゃダメだ(筆者注:欧米ではジャンクフードの摂取量と鬱の発症の相関性が指摘されている)」
「この5種類以外のメンタルな問題が無視されている。例えば摂食障害の人はアンハッピーでもこんなセットを食べることはできない」
「自分の住んでいる街が販売対象外で辛いからしょっぱいセットが欲しいけど買えない」
など、様々な批判が渦巻いている。
中には「ありのままの感情を称えてくれるなら、どんな感情も表現していいはずだ」と主張し、店舗で「ムラムラしているので、『ムラムラ・セット』をひとつ下さい」と注文してその動画をネット上に投稿した困った人もいる。
少なくとも「メンタルヘルスに関する議論を活性化する」という当初の目的は達成しているといえようが、筆者としても確かに売り上げの一部の寄付と、それから箱におもちゃならぬメンタルヘルスに関する小冊子や心理相談機関の連絡先を印刷したカードくらいは入れてもよかったよなあとは思う。
ヨガバスや振り返り用日記帳も、オーストラリアでは「感情を買える自動販売機」の試み
さて、バーガーキングから外に目を向けてみよう。アメリカでは他にも、手軽に自分のメンタルケアをできる商品やサービスが続々と生み出されている。
その一つが内部がスタジオ仕様になっている「瞑想ヨガバス」を提供する「Be Time」。街中を巡回して、ヨガのレッスンやメディテーション、アロマセラピーなどを提供する。定期的にヨガ教室まで出向く時間がない人も、家や職場の近くから乗り込めば30分の心のメンテナンスの時間を過ごすことができる。
15歳の時からメディテーションを行って効果を実感してきたという創設者のカーラ・ハモンド氏は、一日にほんの数十分でも、ストレスや不安を軽減し、生産性や集中力、幸福感を向上させる効果があると語る。
Be Timeのバス( Be Time公式HP より)
また、毎朝書き込むことで自分を効率的に顧み、目標に向かって行動をとることができるようになる「モーニング・サイドキック・ジャーナル」も人気だ。
紙ベースのノートかPDFを選ぶことができる。日々の起床時間・就寝時間、最優先のタスク、いい一日にするための戦略、障害、一日のポジティブな振り返り、次の日の計画などの必要事項を記入し、明らかにしていくことで、自分の理想の日々の過ごし方を短期間にマスターできるという。
好評を得て、第二弾の「フィットネス・ジャーナル」も発売された。こちらは文字通り、理想の体を手に入れるための記録帳。いずれもスタートアップHabitNest社による、「幸福で実りある生活を効率的に実現するための」自分振り返り用日記帳だ。
国替わってオーストラリアには今年春、期間限定で「感情を買える自動販売機」が登場した。
シドニーの作家/アーティスト2人による「Intangible Goods(無形グッズ)」というプロジェクトの一環として設置されたこの自販機では、手のひらサイズのスナックの袋のような包装に入った「心のニーズ」を満たすためのグッズが2AUドル(150円強)で購入できる。
メンタルヘルスの専門家やシドニー市民へのインタビューから明らかになった、現代の人々が最も必要としている「友情」「所属感」「自発性」「つながり」「想像力」「構造」「勇気」「冷静さ」「目的意識」「安心感」の10の感情をフィーチャーしたパッケージの中には、それぞれの感情をサポートする言葉が書かれたカードや、ちょっとした小物が入っている。
「私たちは(物質的なものは)何でも手に入れることができるのに、本当に必要なもの(心の豊かさ)は買うことができない」とメンタルな貧困化を問題提起する同プロジェクトは、消費社会の象徴である自販機やスナックというツールを使うことで逆説的に、私たちが本当に必要である「心の豊かさ」を手軽に求めることができる世界を実現しようと試みている。
Intangible Goods自動販売機(公式HP より)
誰もが自分の心の問題を「認められる」ことが何よりの第一歩
次々に繰り出される、メンタルヘルスの問題を一般化し、議論を活性化しようという企業の試み。その都度「人の不幸で金儲け」の批判はあるが、一方でまだまだ心の問題を口に出すまでの敷居は高い。様々なアプローチで繰り返しアピールしていくしかないだろう。
一人一人が自分の必要なサポートに自分で手を伸ばし、自らの体を労わるように自分の心もケアできるようになる第一歩は、まずストレスがある自分を認めること。そして勇気を出して伸ばした手が必要なサポートに届くこと。それは心の問題に理解のある社会でないとちょっと難しい。
国民がみんな働き者で我慢強く思いやり深く、自分だけが辛いわけじゃないのだからと弱みを見せることを慎む傾向が高い我が国においても、今日紹介したような商品やサービスが盛り上がることを期待したい。
ちなみに完全に蛇足だが、「アンハッピーセット」という商品名を見て一瞬「子どもをアンハッピーにするセット」みたいなジョーク商品かと思ってしまったのは筆者だけだろうか。ニュースの見出しを最初に見た時は思わず、おもちゃの代わりに漢字ドリルやらピーマンやらママの小言が書かれた紙きれやらが入っているバーガーセットを思い浮かべてしまった。箱を開けてがっかりする我が子の顔など、想像するだけでこっちが泣きそうである。そうじゃなくて本当によかった。
文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit)