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「帰る場所があるって、うらやましいな」——。
昨年の夏、東京生まれ東京育ちの同級生が、次の日地元に帰省する僕にかけた言葉だ。「両親と祖父母に顔を見せに帰るだけ」のつもりだったが、彼の目には、僕が帰省の日を心待ちにしているように映ったそうだ。田舎育ちがコンプレックスで、地元が嫌いだったこともあり、彼の言葉にハッとした。
秋田県湯沢市で飲食店を経営する高橋大輔氏は僕と同様「何もない地元を離れ」、東京で働いていた一人だ。大学を卒業後、不動産会社に就職。「お金にも満足し、充実した暮らしができていた」と語る。しかし現在は、一度は離れた地元を、人が集まる魅力的な地域にしようと、事業を起こしている。
「東京にいないとできないことなんて、ないんです」——高橋氏の言葉は、何かを成し遂げたいと思って地元を離れた僕の心を見透かされたようで、なんだか印象的だった。
生まれ育った町をバカにされた悔しさから、地元に帰ることを決意。起業によって雇用を生み出し、市議会議員にも立候補、町を生まれ変わらせる。ビジネスと行政の両側面から地域を見つめ、地域の未来を背負う高橋氏の姿を追った。
生まれ育った大好きな地元をバカにされた悔しさが、全ての始まり
秋田県湯沢市は、筆者である僕の地元。全国チェーンを展開するお店ですら、数える程度しかない、いわゆる「地方」という表現がしっくりくる町だ。以前、そんな地元に帰省すると、見たことのないガラス張りの飲食店「Cafe Lounge 17」がオープンしていた。
「商店街の中でもひときわ賑わいを見せるこのお店は、一体誰が、いつつくったのだろうか?」ーー同店のオーナー・高橋大輔氏に、創業の経緯と湯沢市にかける思いを聞いた。
——高橋さんは、地元・秋田県湯沢市で「Cafe Lounge 17」を経営されていますが、もともと飲食業界で働いていたのですか?
高橋 いえ、飲食業界の経験はありませんでした。高校を卒業して秋田を離れ、大学卒業後に東京で就職しました。新卒で入社したのは不動産会社です。自分が将来飲食店を経営することになるなんて、思ってもみませんでしたね。
——就職のタイミングで地元を出たのは、どういった理由だったのでしょうか?
高橋 特に大きな理由はありません。「東京に行けば、何か面白いものがある」くらいにしか考えていなかったと思います。昔も今と変わらず地元が好きでしたが、東京にはもっと楽しい生活があるのではないかと考えたんです。
——実際に東京へ出てみて、いかがでしたか?
高橋 「ないものがある」といいますか、学生でもアルバイトでお金がたくさん稼げますし、遊ぶところもたくさんありました。地元に残っていたら、体験できなかったことを経験できました。学生生活も社会人生活も、非常に充実していたと思います。
——充実していたのに、地元に戻ろうと考えたのはなぜでしょうか?
高橋 僕が大阪に転勤した際に知り合った会社の先輩に、「大輔の地元を案内してよ」といわれたんです。地元の湯沢市は温泉が自慢の地域です。ほかにも、料理が美味しかったり、自然が多かったり、さまざまな魅力があります。
ただ、先輩は駅を降りるなり、駅前の商店街を見て「ど田舎だな」といったんです。駅前の商店街はシャッターが閉まっていて、活気がない。「これがメインストリートか」とバカにされました。僕は、それが悔しくて、悔しくて。
——その悔しさが、地元に戻ってお店を開くきっかけに?
高橋 自分の力で、シャッターを一つでも開けたいと思ったんです。大阪に戻り、半年たたないうちに退職届けを出しました。
——すぐに行動されたんですね。それほど地元に愛着があったんですか?
高橋 地元には幼い頃から時間を過ごした仲間がたくさんいますし、思い入れも強いです。東京で働くのは楽しかったですが、縁のない土地で働いていると、地元を恋しく思うことも少なくありませんでした。
同級会の案内状が来ても、なかなか帰ることもできなくて。「欠席」に印をつけて手紙を返すのも、心苦しさを感じていました。
——いろいろな思いが重なり、地元に戻ることを決意したんですね。地元に戻って何をするかは決めていたのでしょうか?
高橋 いえ、地元に戻って何をするかは、全く考えていませんでした。
——何もない状態で、戻ることだけは決めるという決断もすごいですね。今の職を失うことに対する不安はありませんでしたか?
高橋 正直、とにかく不安でした。ただ、10年離れていた地元が、どんどん廃れていく姿を黙って見ていることができなかったんです。先輩がいったように、たしかに昔に比べると活気がなくなっています。でも、僕にとってはたった一つしかない「地元」なんです。
不安よりも、「大好きな地元をなんとかしたい」という思いが勝りました。若い世代が奮起しなければいけないと思ったんです。「シャッターを一つでも開ける」——その一心でした。
地域おこしは、逆風からのスタート。何をいっても反対された
——地元に戻り、「シャッターを開ける」ためにまずどんなことに取り組んだのでしょうか?
高橋 まずは、お店のアイデアを考えることから始めました。シャッターを開け、中にどんなお店が入るといいかな、と。
——お店のアイデアを練っていく過程で、苦労したことはありますか?
高橋 一番は、地元商店街の先輩方にかけられた「できっこない」という声でした。地元にない、新しい業態のお店を出そうと案を出しても「湯沢でそんなお店が流行るわけがない」と言われてしまうんです。
——たしかに、あまりにも新しい業態だと、なかなか成功するイメージが沸かないかもしれません。
高橋 もちろん、みなさん僕が失敗しないよう真摯にアドバイスをくれているのですが、「これからチャレンジしようとしている若者を、どうして頭ごなしに否定するんだろう」と悔しい思いをしました。そんな姿勢じゃ、何も始まらないんじゃないかって。
——反対する声以外に、応援する声はありましたか?
高橋 友人たちは応援してくれました。ただ、一度地元を離れた人間と、地元に残り続けた人間では、価値観が少し異なります。東京にいれば、目まぐるしく新しいことが起こる。ただ、そうではない地域では、「変化することを恐れる風潮」があるんです。
——友人たちも応援はしてくれるけれど、新しいことや変化を前向きに捉える人ばかりではなかった、と。
高橋 そうですね。もちろん、中には全力でサポートしてくれる人もいました。そうした人たちの期待に応えたかったですし、何より自分で決めたことですから、どんなに逆風が吹いても諦めるつもりはありませんでした。
お店のオープンはスタート地点。そこから活動を広げる
——実際にお店がオープンを迎えたときは、どんな気持ちでしたか?
高橋 「諦めなくてよかった」と、心から思いました。オープン初日からたくさんのお客さんが来てくれて、地元のテレビ局や新聞にも取り上げていただきました。若い人からご老人まで、幅広くご利用していただいています。
飲食以外の目的、たとえばワークショップの場所に利用していただく機会も多いんです。お店を起点に、地元を盛り上げていくさまざまな仕掛けができるのではないかと期待も膨らみました。
——お店に反対されていた人々は、どのような反応でしたか?
高橋 オープンしてからは、「よかったね」と声をかけてくれます。ただ、成功してからなら、なんとでもいえるんです。僕がお店を出すことができたからといって、排他的な風潮が一蹴されるとは到底思えません。だからこそ、現状に満足してはいけないと心に決めました。
——お店を開くだけでは、地域にある空気を変えるのは難しいということですよね。今は、飲食店の経営以外にも挑戦されているのでしょうか?
高橋 音楽フェスを主催する湯沢ストリート村「湯沢ストリート村」の実行委員を務めています。このイベントは、湯沢市に来てもらうきっかけをつくり、地域の過疎化を招く若者の県外流出を食い止めるための取り組みです。
——「湯沢ストリート村」は、地域おこしの一環ということですね?
高橋 そうです。回数を重ね、少しずつですが盛り上がりも大きくなっていると感じています。2016年には「地方創生人材支援制度」で総務省から出向していた、藤井延之前副市長のお力を借りて「副市長ラップ」というPR活動もさせていただいたんです。
——副市長自らこうした催しに参加するとなると、地元の若者の考え方も変わりそうですね。
高橋 そうなってくれると嬉しいですね。地元を離れることが悪いといっているわけではありません。ただ、地元のことを思い出す機会があってほしいし、将来地元に戻ってくるという選択肢を持ってほしいんです。
——「湯沢ストリート村」のようなイベントがあれば、地元を思い出すきっかけになりそうです。イベントは事業としても順調なのでしょうか?
高橋 藤井前副市長が退任される際におっしゃった「がんばりは誰かが見ている。仕事と人生、意志を持てば色んな成果が見えてくる」という言葉どおり、イベントは黒字化し、また新たな取り組みを始めようと模索しています。
「がんばりは誰かが見ている」——“ラップ副市長”の言葉を胸に、市政へ
——「がんばりは誰かが見ている」、素敵な言葉ですね。高橋さんがお店を開いたように、一歩踏み出す勇気が意義のある連鎖を起こしていくのではないかと思います。
高橋 湯沢市に戻ってきてから、少しずつ町が変化していくことを肌で感じました。ただ、まだまだ不十分だと思うんです。地元を離れた若者たちが、気兼ねなく帰ってこられるような環境かといえば、そうではない。働き口が多いわけではないですし、課題は山積みです。
高橋 そうした課題意識から、2017年の10月に市議会議員に立候補しました。「シャッターを一つでも開ける」ことができたからといって、それだけで町が活性化したとはいえないからです。商業以外の視点でも、町の課題を解決しようと思いました。
——市政への立候補は、藤井前副市長の影響が?
高橋 少なからずあると思います。僕は政治を学んだことはありませんが、自分とは違う視点で湯沢市をより良い町にしようとしている副市長の姿には、何度も感銘を受けました。自分も同じように、政治という観点から湯沢市のためにできることがあるのではないか?と考えるようになったんです。これからもずっと湯沢に住み続けることを決めていたので、この町がより良くなっていくための手段として、市議会議員になろうと決意しました。
——それは、使命感のようなものなのでしょうか?
高橋 もちろん、この町を良くしていくのは、若者がすべきことだという使命感もあります。ただ、「楽しくてやっている」のが本音です。そこに義務感はないですし、自分自身のためにやっていることが、地域にとっても良い連鎖を起こしているのではないかと感じています。
——義務感で活動するのではなく、「自分が楽しくやる」ことが、成功する秘訣かもしれないですね。
高橋 忙しい日々の中にもやりがいを感じますし、何より楽しいんです。自分が楽しく動いていると、仲間が集まってきます。そうやって熱量の高い個人が、熱量の高いチームになると、どんどん周りを巻き込んでいけるんです。
実は、市議会議員のお給料とお店の利益を合わせても、サラリーマン時代の給料には及ばないんです。それでも、地元に戻る選択をしてよかったと思っています。
周りからの評価よりも、自分の叶えたい夢にモチベーションを求めるべき
——地元で活動されていて、東京にいたらこんなことができるのに、と考えることはありませんか?
高橋 「東京にいないとできないこと」なんて、ありません。現在、新しい飲食店のオープンに向けて準備をしているのですが、出資者は全員湯沢市出身の仲間たち。誤解を覚悟でいえば、全員が「変化することを恐れる」地域の出身です。
最初の一歩を踏み出せば、あとは周りを巻き込み、やり抜くだけ。最初の一歩さえ踏み出すことができれば、何度も挑戦できるようになると思います。そこに人が集まってくれば、最初は怖かった挑戦も、いずれ楽しく感じられるはずです。
——楽しさを見出せば、「自分の町ではできない」といった閉塞感も打破できるでしょうか?
高橋 はい。「やらないといけない」という義務ではなく、「やりたい」という思いが出発点にあれば、プロジェクトは前に進んでいきます。なので、何事も周りからの評価よりも、自分の叶えたい夢にモチベーションを求めるべきだと思うんです。
——今後はどのようなプロジェクトを予定していますか?
高橋 たとえば、新しいお店では高校生がお店を切り盛りする取り組みを始めたいと思っています。
——湯沢市の高校生のための取り組みですか?
高橋 そうです。本当のキャリア教育は、座学で勉強をするだけではなし得ないと思っています。手と頭を動かしながら、「お金を得るにはどうしたらいいか」を高校生の頃から考えてほしい。お店を作ることで、その機会を生み出したいんです。
——そうしたことを実現するために、経営と市政の両輪からのアプローチをかけているんですね?
高橋 おっしゃるとおりです。ただ、僕一人の力はたかが知れています。よくいわれることかもしれませんが、地域を変えていくには、“横の連携”が不可欠です。湯沢市に限らずですが、地域にはいくつかの団体があります。それらが個々で何かを成し遂げようとすることも大切ですが、互いに協力し合えばもっと大きな力になると思うんです。きっと、地域に住む全員が幸せになれるムーブメントが起こせるはずです。
——横の連携があってこそ、地域が盛り上がっていくと。地域の未来を担う若者に、伝えたいメッセージはありますか?
高橋 たとえ抵抗があったとしても、自ら行動を起こすことを恐れないでほしいと思っています。行動を起こすことは勇気がいりますし、常に不安が伴います。ただ、小さな一歩を踏み出さないことには、何も始まらないんです。
結果が失敗に終わっても、その経験こそが財産。デメリットなんか考えずに、思いのままに突き進んでほしいと思います。「湯沢にいたら何もできない」と思っていた僕が、今こうして夢を叶えるために歩けていることが、その証明です。
僕の「地元」である湯沢市は、ほんの数年前まで、「何もない」という表現がしっくりきてしまう場所だった。駅前の商店街はいつもシャッターが閉まっていて、人通りも少ない。東京のように遊ぶ場所もなく、地元にいた頃は、いつも不満ばかりを口にしていた。
しかし上京してから5年後、取材に訪れた地元は、少しだけ様子が変わっていた。「何もなかったはず」の地元に新しいお店ができ、小さなアクションを起こす人が増えていた。
この小さな変化が起こった要因の一つが、高橋氏の帰郷だと思う。
周囲に「できっこない」といわれながらも、めげずに一歩を踏み出した姿勢が、人の心を打ったのだろう。信念を持って行動を起こす人の姿は周囲の人間を感化し、きっとその人自身も前進し続けることができる。
「この町にいても絶対夢はかなわないと思っていた。だけど、今はこの町にいなかったら夢はかなわなかったな、と思う」——カーリング女子日本代表で男女通じてオリンピック初のメダルを獲得した吉田知那選手の言葉を思い出す。
高橋氏の姿を見て、大嫌いだった地元に、いつか恩返しができたらな、と思うようになった。