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世界16カ国以上でコワーキングスペースを手がける『WeWork』がフィットネスジムをオープンさせたのは記憶に新しいが、デスクワーカーたちにとって「いかに体をリフレッシュさせるか」は、お気に入りの仕事道具をそろえるのと同じくらいに意味のあることになってきた。
日本で広まりつつあるサウナカルチャー
その流れも一部には汲むのだろう。いま、日本ではサウナを楽しむ人々が増えてきているようだ。
サウナ好きの文化人が集うトークショー、サウナを呼び水にしたビールメーカーのイベントなど、従来にないメディアのピックアップも目立つ。サウナ好きを公言する著名人や経営者もおり、たとえば、ヤフー副社長執行役員の川邊健太郎氏や、DMM.com代表取締役社長の片桐孝憲氏の名も挙がる。
その理由は、サウナの「入り方」が広まったこともある。マンガ家のタナカカツキ氏が著作『サ道』で「高温のサウナ、低温の水風呂、外気を浴びながらの休憩」という一連のアクションを繰り返すリフレッシュ方法を紹介すると、この気持ちよさに夢中になる人が続出した。今では、温浴施設でタナカカツキ氏の描いた「入り方」ポスターも目にするほどだ。
筆者もサウナで日々汗を流すひとりだが、昨年末、ひとつのニュースが愛好者を駆け巡った。東京・恵比寿に「サウナと睡眠に特化した新たなトランジットサービス」をコンセプトにするホテル「ドシー(℃)恵比寿」が、2017年12月16日にオープンしたのだ。
恵比寿を皮切りに、2018年春には同業態の五反田店も開業予定だという。手がけているのは、日本各地でカプセルホテル事業を展開し、そのデザイン性やサービスが高く評価されている『ナインアワーズ』。
恵比寿や五反田といった、多くの企業が集う場所で新業態を仕掛ける狙いは何か、そしてなぜサウナと睡眠に特化させたのか。オープン直前のドシー恵比寿を訪れ、ナインアワーズ代表取締役の油井啓祐氏に、その構想を聞いた。
- 油井啓祐
- 株式会社ナインアワーズ 代表取締役ファウンダー
- 2009年に1号店「ナインアワーズ京都」を開業後、2013年に株式会社ナインアワーズ設立。現在、ナインアワーズ(9h)5店舗、ドシー(℃)1店舗、その他カプセルホテルの運営・コンサルティングを行っている。睡眠とシャワーに特化し、宿泊だけではなく24時間いつでも好きなときに、1時間から選択して利用することが出来るトランジットサービスを提供している。
本場ヘルシンキで体感した「スポーツジムのような」サウナを
ドシー恵比寿はカプセルホテルをリノベーションした施設だ。土地や施設を含めた制約があるなか、この空間をどう活用するかを考えている際に油井氏が、設計を担当したスキーマ建築計画の長坂常氏から提案されたのが「サウナを売りにする」ことだったという。長坂氏はサウナの本場であるフィンランドから帰国した直後だった。
もともとナインアワーズでは温浴サービスを手掛けるつもりはなかったが、20年前から日本中の好評なサウナをめぐってきた中で、愛好者から“聖地”と賞される静岡の「サウナしきじ」など心惹かれる施設に出会うものの、その数はごくわずか。東京で同じレベルのサービスを提供することは不可能だと判断していた。長坂氏の提案を受けて、油井氏は一路、フィンランドへ旅立った。
油井「実際にヘルシンキへ行ってサウナを体験してみると、日本の温浴文化的な施設ではなく、もっとドライでスポーツジムのようでした。裸になって高温のサウナで汗をかいたら、そのまま外へ出て、外気温3℃くらいの路上でみんながベンチに座って、おしゃべりしたり。まるでランニングマシンでジョギングしたあとのような、ヘルシーさを感じました」
日本で主流になっているような温浴施設のサウナではなく、ヘルシンキで体験したスポーツジムのように汗が流せるサウナ。油井氏の目指すサウナ像が定まった瞬間だった。
油井「思い描いたのはカプセルホテルではなく、都市の中でトランジットする場でした。僕らの中でサウナはスポーティで、だらだらせずに、気軽にリフレッシュするための新しい手段です。宿泊客だけでなく、恵比寿近辺で働いている人たちにもリフレッシュする道具として使っていただければと思っています」
“トランジット”は、ドシーだけではなく、国内5店舗を展開するナインアワーズでも共通するワードだ。その過程にはドシーにも通ずる「事業そのものをデザインする」という強い思いが表れている。
ベンチャーキャピタルの歯がゆさが原点。事業をデザインして海外へ
油井氏は大学卒業後、ベンチャーキャピタルのジャフコに進んだ。直属の上司に豊貴伸一氏(現在のジャフコ代表取締役社長)、インストラクターはクックパッドの元社長である穐田誉輝氏で「非常に恵まれた環境。ジャフコの日々は楽しく、肌にあっていた」という。
時はITバブル直前、渋谷が「ビットバレー」と呼ばれていた頃だ。ただ、油井氏の目には
どれも英語圏のビジネスをコピーし、ダウンサイズした展開のように見え、違和感があった。「もっと自分たちがゼロから生み出したような、骨太な事業に携わりたい」と日本中をめぐったが、世界と渡り合えると信じられるスタートアップには出会えなかった。
そんな折、秋葉原でカプセルホテルを経営していた父が急死。ホテル事業に興味はなかったが、長年働く従業員や家族の苦労を思い、幼い頃からの光景がなくなる惜別から油井氏は相続を選び、ジャフコを退職する。決算書には5億円の借金と、1000万円のキャッシュ。「誰が見てもあと2ヶ月くらいで継続できなくなるとわかった」というほど、厳しい経営状況だった。
相続してから5年ほど、油井氏は企業に勤務しつつ、銀行や大家と交渉しカプセルホテルを延命させる。借り入れていた銀行からの債権買い取りなどを経て、借金を相当量に圧縮。油井氏は「再生に本腰を入れよう」と決断する。
油井「周辺の競合と戦おうと考えた時にうちのホテルが狙えるのは、『海外客と女性』という、もともと見向きされていないところしかありませんでした。ただ、そこには大きなニーズがあった。サウナや大浴場好きなおじさんだけではなく、外国人や女性を含めた、よりユニバーサルな対象に向けて、機能を絞り込んで品質を研ぎ澄ませることでカプセルホテルという事業そのものをリデザインすれば、世界へ輸出することができるかもしれないと考えたんです」
カプセルホテルに求められるものを作り変えるのではなく、「都市の中で24時間好きなときにトランジットできるサービス」として事業をつくる。 本質を見つめ直すことで、ジャフコ時代の歯がゆさにも道が開けたようだった。
ターゲットを変え、当時まだ新しかったウェブマーケティングに力を入れるなどして、秋葉原のカプセルホテルは業績を回復。やがて史上最高益を出すまでになったが、一帯の再開発に伴ってイグジットをする。この原資と体験をもとに、油井氏は後に続く『ナインアワーズ』をつくることができた。
現在は「睡眠とシャワー」に特化しているナインアワーズだが、新規店舗についてはランニングステーションやコワーキングスペースのように、特化する要素の追加も行われるという。また、ドシーにおいても休憩用ベンチを新設するなど、今後も店内はアップデートされるようだ。
仕事道具としてのサウナを考える
油井氏は今後、ナインアワーズとドシーを連携させ、利用客のトランジットをより促す仕掛けを準備しているという。
油井「人が24時間行き交う都市にナインアワーズがあり、いろんなお店をホッピングしていくことで便利に感じてくれるような使い方を提案したい。店舗単体でひとつのサービスではなく、全体としての“ナインアワーズ体験”を提供し、早期に欧米の大都市圏に輸出したいと思っています」
ドシーに恵比寿や五反田という立地を選ぶのも、あくまで「都市」で機能するあり方を追求しているからに他ならない。油井氏が事業への自信を深めるのには、ビジネスパーソンや旅行客の環境が大きく変化していることも追い風になっている。
油井「僕が社会に出た頃は『出社』が当たり前でした。でも、今は誰しも携帯電話を持ち、事務所へ必ずしも戻らずともよく、それに合わせて働き方も変わってきている。だからこそ、WeWorkのようなビジネスも生まれる。ナインアワーズも同様に、生産性を高めるためのリフレッシュ手段として、あるいは毎日帰宅せずとも効率的に仕事をするための『泊まる』という選択肢として機能できたらと思っています」
この日本にサウナが生まれたのは1956年。メルボルンオリンピックに参加した浴場経営者の射撃選手が、選手村で目にしたサウナをもとに作ったといわれている。トレーニング後には選手を癒やし、ウェイトコントロールにも用いられた。そして、1964年の東京オリンピックでは競技選手からの要望で、選手村にサウナが設置されたという過去がある。その後、フィンランド大使館のバックアップを受け、日本中にサウナが広まっていった。
2度目の東京オリンピックを控え、いま、日本人はサウナという快感や機能を取り戻しつつある。片や『サ道』を極め、片や効能を求め、それぞれのライフスタイルにその価値を発揮させている。ドシーが提案する「仕事道具としてのサウナ」が定着する日がくると、日本のオフィスシーンにも変化が訪れる……かもしれない。
Photographer : Hajime Kato