副業、と聞いて皆さんは何を思い浮かべますか。

ブロガー、ライター、イラストレーター、プログラマーなど、週末だけ趣味の延長で得意なことや、業務で得たスキルを用いた仕事にする、そういったイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか?

学生の頃から、好きなことに没頭し、不思議な縁と実力とパワーで経歴を紡ぐちょまど(本名 千代田まどか)さん。彼女の肩書きはMicrosoft社のクラウドデベロッパーアドボケイトであり、漫画家であり、モデル、SNS インフルエンサーと多岐に渡ります。

本業、副業ともに、自分の「好き」という物を仕事にした彼女に、仕事観を語っていただきました。

スクショ貼りに辟易して適応障害に。1社目を3ヶ月で退職

——現在の活動内容を教えてください。

ちょまど:Microsoft社のクラウドデベロッパーアドボケイト職をしています。ITコミュニティを支援する役目を持ち、登壇やコンテンツ作成などを通じ、ITデベロッパーの方々にMicrosoftファンになってもらったり、Microsoft社の開発者向け製品を知ってもらったりするロールです。エバンジェリスト職と似ています。

あとは、技術的なコンテンツを作っています。例えば 「松屋警察」というスマホアプリ。松屋の牛めしと吉野家の牛丼の見分けがつかない方が、機械学習にかけたら分かるよ、みたいな内容ですね(笑)。

Microsoft のAIが画像認識して牛めし牛丼を判別してくれます。Microsoftのクロスプラットフォーム開発環境 Xamarin (ザマリン) と Microsoft の AIサービス Azure Custom Vision Service を組み合わせて開発しました。

副業は、漫画を描くこと、書籍の執筆、最近では大好きな松屋の公式Instagramのモデルもさせていただきました。

松屋はお客さんが男性メインであるイメージがあり、もっと女性の方にも来て欲しいというPRの一環で、お話をいただきました。私が牛めしを美味しく食べている写真を松屋の公式Instagramに載せていただいていたりと、色々とやっていますね。

——これまではどういったご経歴なんですか?

ちょまど:今のMicrosoft社は3社目です。大学卒業後、1社目はSlerにSEとして就職しましたが、3ヶ月で退職。2社目は全社員20〜30人のベンチャーでスタートアップを経験しました。そこで1年半か2年くらいプログラミングの実務を重ね、その後ご縁がありMicrosoft社に入社しました。

プログラミングは大学生時代に、独学で勉強し始めました。社会人になってもプログラミングがやりたいと思い、1社目に入社したですけど、プログラミングではないやりたくない業務が続いたことで、適応障害になってしまって。

体が拒否反応を起こして、息ができなくなってしまったんです。診断書が出たので、それを持って行って、辞めました。みなさん優しくていい会社だったんですけど、私には業務内容が合わなかったんですよね。

自分でも社会人としてちょっとどうかなって思うんですけど、じっと椅子に座り続けること、休憩が昼に1時間しかないこと、休憩中以外は周囲と会話をしてはいけないこと、朝早く起きなければならないこと、クルクル回る椅子を回してはいけないこと(笑)など、全部合わなくてダメでした。

その上、業務内容もやりたかったプログラミングではなかったのでより、嫌になってしまった。私、好きなこと、嫌いなことがすごくハッキリしているんです。

ちなみに私が適応障害になるほど嫌だった仕事は、Excelに毎日200枚くらいスクショを延々と張り続けるというもの。しかも手動(自動化は許されていない)なのに、1ピクセルもズレてはいけないんです……理由は納品物として美しくないから。

実際に手動なのに美しいスクショExcelを納品している先輩たちは沢山いたので、本当に凄いなと感動していました。私にはできなかったというだけです。表計算ソフトであるExcelは大好きなのですが、ただただスクショ貼るだけに使うのは苦手でした。

私は、こういう単調作業が死ぬほど苦手で、実際に死にかけたので、新卒入社3ヶ月でしたが退職することになりました。

漫画オタクの腐女子大学生が、プログラミングにハマる

——プログラミングは、ご自身で始められたんですね。

ちょまど:もともと私は漫画オタクの腐女子でした。高校時代はガラケーでBL小説を読んでいて、大学の入学祝いにパソコンとペンタブを買ってもらって、漫画を描くことに没頭したんです。当時、腐女子は今ほど世間的にメジャーではなくて、隠れた存在でした。

例えば、当時某ジャンプ漫画が流行っていたので、私もその作品の主人公とライバルのBL漫画を描いていたんですけど、強過ぎる”腐ィルター”により原作を捻じ曲げてしまっている自覚があったので、隠れなければいけない!と思っていたわけです。

例えば一般の真っ当な方がその2人のキャラ名でググった時に、私のBL絵が出てきたら、まずいじゃないですか。隠れないと。

で、隠れるためには検索に引っかからないように、SNSにアップせず、鍵をかけたりnoindexやnofollow など駆使し検索エンジンから逃れるために全力を投入した自分のWebサイトにアップする必要がありました。インデックスされないために検索アルゴリズムなどを勉強していたので勝手に『逆SEO』って呼んでました(笑)。

それで、Webサイト作成ですが、当時、無料で簡単にWEBを作れる便利なサービスはあったんですけど、とにかくバナー広告の量がすごくて。しかもちょっといかがわしいやつ。私のサイトには腐女子=女の子ばかりが集まったので、そのいかがわしいバナー広告が出るのが嫌で。

バナー広告が出ないサイトを作るためには、どうやら自分でWebサイトを作ればいいらしい、ということでHTMLとCSSの勉強を始めて、JavaScriptを学びました。サーバー構築も勉強したんですけど断念して、レンタルサーバーを借りました。

とにかく自作すればバナー広告が出ないと知り、そこからはズブズブとプログラミングにハマっていきました。

大学1年生の夏休みには、本当に寝食を忘れてプログラミングに没頭して、10kg痩せたほど。私、好きなことに熱中すると、それしかできなくなっちゃうんです。

BLの絵を描いて、みんなに見て欲しいからWebサイトを作る。サイトができたらもっと見て欲しくて、Webプログラミングを頑張る。そうしているうちに絵も、プログラミングも上達しました。夏休み明けには、レンタルサーバー代が欲しくて、塾講師のバイトをしたんですけど。これも「教える」という経験が今に繋がっているなと思います。

最初は「掲示板 作り方」とか「web拍手 作り方」とかでググって出てきたコードをコピペだけしていた、「作りたいものが動けばいいや」のコピペコーダーだったんですけど、、だんだんプログラミング自体に興味が出てきて、C言語、C++、いろいろやりました。

ただ、独学だと難しいこともあって、コンピュータサイエンスの基礎から学ぶため本屋で参考書を買って一生懸命勉強し、国家資格の基本情報技術者試験を受験し、この試験に受かって、ようやく基本的なことが理解できるようになりました。

好きなことの勉強はとても楽しかったですね。翌年には上位資格である応用情報技術者試験も合格しました。

——現在のエンジニア、エバンジェリストとしての側面と、漫画家としての顔と、振り返ると一貫していますね。

ちょまど:そうですね。Microsoft社から声が掛かったのも、2社目のベンチャーにいた時に、精神的に余裕ができて、Twitterに自分の絵を投稿していたからなんです。

リクルートキャリア社から、プログラミングを擬人化した漫画の連載をしようと思っているから、プログラミングに理解があって漫画が描ける人を探していますって言われて。アウトプットしていて良かったと心から思いました。

平日はプログラマーとして仕事をして、土日は漫画家として「はしれ!コード学園」という漫画を描き、仕事に追われる日々でした。


はしれ!コード学園の画像

エバンジェリストになったのは、この漫画が連載されていたサイトでPV1位になり、リクルートキャリア社の大規模なイベントに呼ばれて登壇したのがきっかけでした。

そこに参加者として偶然居合わせたMicrosoft社のエバンジェリストの方が目をつけてくださり、その方の上司から採用面接を受けないか、と連絡を頂きまして。

当時、日本のエバンジェリスト部隊は40代以上の男性が中心で、そうそうたる経歴の方々だったんです。本当に素晴らしい技術者が多いのですが、しかしそれだと若い人たちには簡単にはリーチできないということで、新しい層に働きかけられる人を探していたところだったらしく。様々な切り口で若い層にリーチできる私に注目されたそうです。

副業を始めたことで、世界が広がった

——まるで導かれたかのようですね。今は活動が多岐にわたっているちょまどさんですが、会社員だけやっていた頃と比べて、どんなメリットがありましたか?

ちょまど:「世界」が広がりましたね。
例えば、「マンガでわかる外国人との働き方(2019,秀和システム)」という本を、アメリカ人のロッシェルさんと共著で出版したのですが、英語の勉強をしている方々や、外国に興味がある方々からTwitterをフォローされるようになって。本を出版しなかったらその人たちにリーチすることはできなかったと思います。

Twitterのフォロワーも1万人ほど一気に増え、より幅広い層と繋がりを持つことができました。良いアウトプットのためには良いインプットが必要なんだなとも思います。

また、私が感じたことは「なんでも頑張ると何かに繋がる」とも思います。私の場合は、漫画を描いていたらエバンジェリストになりましたし、人前にも立つようになり、身だしなみを整えるようになりました。

実はそれまで容姿を全く気にしていなくて、2社目のスタートアップ企業でプログラマーとして働いていた時はダサいTシャツにジーパン、便所サンダルみたいな服装で出勤していましたね。当然ノーメイク。

で、Microsoft社のエバンジェリスト(人前に立つ職業)になってから、おばあちゃんに頼むからちゃんとした服を着てオシャレをしてくれと言われて。真面目に身だしなみを整えたら、松屋のモデルのオファーが来ました。松屋大好きなので昇天するかと思ったくらい嬉しかったです。

松屋のモデルとしての活動 松屋Instagramより

英語が人並みのレベルにまではできるようになったのも、「ハリー・ポッター」を原書で読みたかったからなんです。中学生の時に「ハリー・ポッター」にハマって、まだ日本語訳が途中までしか出ていなかったから、先を読むには原書で読む必要があった。

今は、Microsoft本社のインターナショナルチームにいて、英語でコミュニケーションを取って仕事をしていて、「ハリー・ポッター」を読みたい執念がなかったら今の私はなかったな、って思うんです。

——我慢をやめようって思った瞬間はありますか?

ちょまど:会社を辞めた時ですね。私の親は、いわゆる昭和っぽい価値観の人たちで、終身雇用や大手企業信者みたいなところがあるんです。

とにかく会社を辞めてドロップアウトするのは辞めてくれって、泣かれて。両親からは、お金をいただくんだから仕事はつまらなくて当たり前だと言われ、かなり悩みましたね。まあ、3時間くらいですけど(笑)。

私、最初の会社を3ヶ月で辞めたと言っているけれど、実際、実務は2週間しかしてないんです。1ヶ月半は新入社員研修だったので。

研修はプログラミングだったので楽しかったんですけど、配属されたら例のスクショ貼りの仕事で。この仕事はいつまで続きますか?と聞いたら2年くらいは修行だよ、と言われ、心が折れて適応障害が発動しました。それで、我慢はやめようって。

実際、退社翌週に別のスタートアップ企業でプログラマーとして働き始めたのですが、そこでは、毎日大好きなプログラミングができて、毎日新しいことを学んで、自分でアプリを作って、エンドユーザに届けて、って、最高でした。Microsoft技術と出会ったのもそこだったし。

1社目の我慢を辞めてよかった。本当に。人には向き不向きがあるんだって分かりました。

好きを仕事にするには、興味があることを続ける

——好きを仕事にするのに大切だと感じることはありますか。

ちょまど:興味があることをやり続けることだと思います。これってやってて意味あるのかなって考えている時間ってもったいないと思うんですよ。

例えば、私は引きこもってアニメを見続けた時期がありました。当時母親には嫌がられたけど、今思うと良いインプットの期間だったんですよね。その時にオタクカルチャーに染まったからこそ、今Twitterで6万7千人のフォロワーがいるんだと思います。

エンジニアの人の中でアニメが好きな人がすごく多くて、私のこのオタクのアイデンティティが彼らのカルチャーとの親和性がある程度あったから、エンジニアの人々に今受け入れてもらってるんじゃないかなって。きっと私がもしオタク会話プロトコルの分からないキラキラ外資系ウーマンだったら、ここまで受け入れられていないかもしれないって。

そう、自分の好きなことをとにかくやるのは大事で、無駄なことなんて何もないんですよ。こっちの方が有用そうだからと言って、興味のないことをやってもパフォーマンスなんて出ないですから。

——興味があることをやってみる、というのは副業にも繋がりそうです。

ちょまど:例えば、コードが書ける人も、漫画が描ける人も、世の中にはたくさんいるんですけど、その両方ができる人ってなると、とたんに少なくなるのです。そういう、自分が好きなことをいくつかやるのが大事かなって思います。

もちろんデメリットもありますけどね。趣味が仕事になった瞬間に趣味じゃなくなるみたいなところがあるので、私は前職の時は、仕事プログラミングと、趣味プログラミングは分けて考えていました。趣味と仕事は分けるけど、好きを仕事にするとパフォーマンスが出るから良い、って感じでしょうか。

——好きなこと、やりたいことが、本当にこれは意味のあることなのかと考えてしまって、将来が不安になるようなことはありましたか。

ちょまど:私はそんなに頭がいい方ではないので、リスクまで考えることがなかったですね。もちろんこれ何かの役に立つのかな、っていう漠然とした不安は共感できます。両親がそういうタイプなので。人生経験がある人や、頭がいい人はそう思うんでしょうね。

でも、人生は一度きりですし、自分の好きなことをやる方がいいかなって思います。

——副業をしていて、大変だったことは?

ちょまど:平日本業、土日副業になって、時間がなくなりました。私のように好きを副業にすると、休日も仕事になって、プライベートがなくなりますね。いつ休んでいるのか分からなくなる。

今はSNSでの発信も仕事のうちで、常に何か面白いことないかなって考えている状態。常に「面白いツイートネタは無いかな」「あっこれ次のデモアプリのネタに良さそうだな」とバックグラウンドタスクが動いているようなものです。

結果、「頭を空っぽにして純粋にプライベート休暇を楽しむ」ことができなくなりました。休暇中も「ちょまど」として発信してるし。

——好きを仕事に、とよく言われますが、そもそも何が好きなのかが分からない人って声をよく聞きます。好きなことが分からない人はどうしたらいいと思いますか。

ちょまど:好きなことがないっていうのが、私分からないんですよ。

例えば、私の友達で、趣味がないっていう子がいて。彼女は趣味がないから、土日は必ず誰かを誘ってショッピングに行くって言うんです。

それって私からすると友達と行くショッピングが好きなことなんじゃないかと思うんですよ。私は休日一人で過ごすのがデフォルトなので、彼女の対人コミュニケーションスキルがすごいなって思いますしね。

他にも、延々とスマホゲームをして、一見時間を浪費しているような人も、たくさんゲームをしている分、ゲーマーの見方を持っていて、きっとゲームのレビュー記事が書けると思うんです。色んなゲームやってたら比較とかできるし。私もそういうの読みたい。あと、共通の好きなゲームやってる人と円滑にコミュニケーションが取れるし。

好きなことがないって言っても、何かしらやっていることがあると思うんですよね。きっとそれが好きなことなんじゃないでしょうか。

ただ、そういう無価値に思えるようなことをしていると、周りの人から辞めた方がいい、とかアドバイスをされるんですよね。それは必ずしも聞かなければならないわけではないと思います。

——アドバイスを聞く必要はないんですか?

ちょまど:もちろんアドバイスに感謝しますし、納得のいくものは取り入れます。ただ、「なんでも」 は聞く必要はないと思います。

例えば、私の母親はちょっと古風な考え方なので、女なんだから30過ぎたら仕事を辞めて家庭に入るべき、男が稼いで女は家、早く子供を産め、みたいなアドバイスを言います。

それは彼女の価値観のなかで最良のものを提案してくれていて、良かれと思ってアドバイスをくれているのは分かります。だから彼女の気持ちは感謝はしているのですが、でも、申し訳ないけれど私には私の価値観がありますからね。

優しい人ほど周りの意見を聞いてしまうと思うから、みんな自分の心のコンパスに従ってほしいなって思います。私は辞めると思ったら辞めたし、やると思ったらやるし、好きだと思ったら続けたら、どうにかなると思っています。

——今の仕事と違うことにチャレンジすることは、役立つと思いますか。

ちょまど:そうですね。プログラマーやエバンジェリストという仕事があることを、自分の世界が広がる前は知りませんでしたし。いろんな人と話をしたり、インタビュー記事を読んだりして、いろいろな人の生き方を見てみるのはすごくいいことだなって思います。

これから副業をやってみたい人も、まずはやってみればいいと思うんです。ちょっとダメだなって思ったらやめればいいですし。

——最後に今後の展望を教えてください。

ちょまど:実はその時々に興味があることをやってきたので、今後の展望、というのがあまり分からなくて。1年後の自分が何をしているのか予想がつかないくらいですから。今まで通り好きなことをやっていくのは変わらないですね。

今興味があるのは、機械学習。今年の末にフィリピンに英語と機械学習を学びに、1ヶ月半留学するんです。

Twitterで、インフルエンサー留学に興味ありませんか?ってDMが来たのが留学を決めたきっかけで、私は飛行機代だけ出して、学費と滞在費は向こうが持ってくれるんです。

機械学習に必要な数学は苦手なんですけど、興味があることを勉強するのは好きなので、楽しみですね。そこで得た知識を、ブログか何かにまとめて、技術コミュニティの方々にシェアして、お役に立てたら嬉しいです。

文:永瀬夏海
取材・編集:花岡郁
写真:西村克也