急成長AIスタートアップWindsurfの実力

AIコーディングツール市場では激しい競争が繰り広げられている。その中で特に注目を集めているのが、AI搭載の統合開発環境(IDE)を提供するWindsurfだ。

Windsurfは、開発者がAIツールに簡単にアクセスできる環境を提供することで急成長を遂げたスタートアップ。同社の主力製品であるAI搭載のIDEは、コーディング作業を支援するだけでなく、開発プロセス全体の効率化を実現する。この革新的なアプローチにより、わずか1年という短期間で年間経常収益(以下、ARR)8,200万ドルを達成した。

顧客基盤も着実に拡大し、少なくとも350社の法人顧客を獲得。さらに「数十万人」の日次アクティブユーザーを抱えるまでに成長した。法人向けARRが四半期ごとに倍増するという驚異的な成長率を記録していた点も特筆される。

競合であるCursorのARR5億ドルと比較して、Windsurfの事業規模は相対的に小さいものの、その成長スピードは業界内で高く評価されていた。実際、ある時点ではARRが1億ドルに達したとの報道もあり、複数の大手企業から買収の打診を受けていたという。

しかし、2025年7月には大きな試練に直面する。OpenAIによる買収の憶測を受け、AIモデル大手のAnthropicが同社へのClaude AIモデルの直接アクセスを遮断。Anthropic共同創業者のジャレッド・カプラン氏は、この決定が競合他社(OpenAI)による買収の噂に起因すると説明した。この影響で、多くの顧客がClaude AIモデルを提供する他のサービス、特にCursorへの乗り換えを余儀なくされたという。

72時間で決まった異例の分割買収

OpenAIによる買収計画は、後に起こる業界を揺るがす買収劇の幕開けに過ぎなかった。

2025年7月初旬、OpenAIがWindsurfに対して30億ドルという巨額の買収提案を行ったが、交渉は最終段階で決裂。そして、この破談からわずか数時間後、予想外の展開に発展した。

グーグルが電撃的に動いたのである。同社は24億ドルを投じて、Windsurfの技術ライセンスを取得するとともに、CEO兼共同創業者のヴァルン・モハン氏、共同創業者のダグラス・チェン氏、そして研究開発チームの主要メンバーを引き抜いた。

注目すべきは、グーグルが採用した買収手法だ。同社は企業そのものを買収するのではなく、「リバース・アクハイヤー(reverse acquihires = 分離型人材買収)」と呼ばれる方式を選択。これは独占禁止法の審査を回避しつつ、重要な人材と技術を獲得する戦略として、大手テック企業の間で広がりつつある手法である。

グーグル広報のフィオナ・リー氏はSFGate誌への声明で、「WindsurfチームのトップAIコーディング人材をグーグルDeepMindに迎え、エージェント型コーディングの研究を前進させることに興奮している」と発言。同社にとって、OpenAI、マイクロソフト、メタ、Anthropicとの熾烈な人材争奪戦において、この獲得は大きな勝利を意味した。

一方、主要メンバーを失ったWindsurfには約250名の従業員が残された。7月11日金曜日に行われた全社会議で、ビジネス責任者から暫定CEOに就任したジェフ・ワン氏が、グーグルとの取引と経営陣の離脱を発表。社員たちはOpenAIによる買収を期待していただけに、衝撃は大きかったとされる。

しかし事態はさらなる急展開を見せる。その日の夕方、CognitionのCEOスコット・ウー氏とラッセル・カプラン氏からワン氏に連絡が入る。Cognitionは、AIソフトウェアエンジニア「Devin」を開発する有力スタートアップで、Windsurfとは競合関係にあった。ワン氏によれば、「Cognitionのアプローチを最初から非常に真剣に受け止め、すぐに交渉を開始した」という。

その後の週末の間、Windsurf経営陣は複数の買収候補企業との協議を進めながら、残された技術者たちの引き留めに奔走。月曜日の朝9時30分、ついにCognitionとの買収合意書に署名が行われた。ワン氏は「この72時間は私のキャリアで最もワイルドなジェットコースターだった」とX(旧Twitter)で振り返っている。

この一連の出来事は、AI業界における買収戦略の新たな潮流を象徴している。特に大手企業は、技術と人材を最重要資産と位置づけ、従来の買収手法にとらわれない柔軟なアプローチを模索し始めている。結果として、一つの企業が複数の買い手によって分割される異例の展開となった。今後、こうした動きがさらに増える見込みだ。

創業者離脱がもたらした混乱と救済

Windsurf創業者らのグーグル移籍が発表された金曜日の全社会議は、社員にとって悪夢のような瞬間だった。ワン氏は当時の状況を「おそらく250人の人生で最悪の日」と表現している。社員たちは30億ドルでのOpenAI買収による経済的恩恵を期待していただけに、失望と怒りは計り知れなかった。

「雰囲気は非常に暗かった」とワン氏は振り返り、「金銭的な恩恵や同僚の離脱に憤る者もいれば、将来を心配する者もいた。涙を流す者もいて、Q&Aセッションは非常に敵対的なものだった」と語った。特に深刻だったのは、グーグルとの取引で一部の社員が報酬ゼロに終わるという事実だった。

この状況に対し、著名投資家のヴィノッド・コスラ氏は創業者たちの行動を公然と批判した。「Windsurfなどは、創業者がチームを置き去りにし、収益さえ分配しない本当に悪い例だ。私は間違いなく彼ら創業者とは二度と仕事をしない」とX上で断言。さらに、「10億ドルを手にしたとしても、残されたチームのために戦うか、自分の資金の一部をチームに分配するだろう」と付け加えた。

CognitionのCEOウー氏も「創業者として、運命を共にするという暗黙の誓約がある」と指摘。「残念ながら、この1年でそれは変わってしまった」と業界の変化を嘆いている。

しかし、週末の急展開がすべてを変えた。Cognitionは買収条件において、全Windsurf社員への配慮を最優先事項とした。具体的には、全従業員への支払い保証、権利確定期間の即時撤廃、そしてWindsurf株式の権利確定の加速が盛り込まれた。これは、実質的にグーグル取引で取り残された社員への救済措置となった。月曜朝の買収発表時、社員の反応は劇的に変化した。「仲間からの拍手は永遠に続くかのようで、私自身も涙を流しそうだった」とワン氏は語っている。

この一連の出来事は、AI業界における新たな現実を浮き彫りにした。ある分析によれば「生成AIにおいて、人材とコードが通貨となっている」という。グーグルが24億ドルを投じて獲得したのは、わずか数名の幹部と技術ライセンスに過ぎない。これは年間収益8,200万ドルの約30倍という異常な評価額だ。

この買収劇が示すのは、AI時代の新たな現実だ。企業価値は収益や資産ではなく、人材で決まる時代になっている。グーグルは24億ドルでわずか数名の幹部を獲得し、Cognitionは週末の素早い決断で250名の優秀な技術者を手に入れた。コード、そしてそのコードを作り上げた人材、さらに判断・決定のスピードがAI業界での生き残りを左右する要素になりつつある。

文:細谷 元(Livit