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ふだんはあまり意識することがないが、人は成長するにつれ、いやでも経済に参加することになる。
仕事をしておカネを稼ぎ、生活する。ときには、おカネに振り回されることもあるかもしれない。ビジネスパーソンとして、最低限身につけておきたいおカネの知識とはなんだろうか。あるいは、いずれ大人になる子どもたちに、おカネについてどう教えたらいいだろう。
そんな問いに答える本がある。
高井浩章氏がインプレスから出版した小説『おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密』だ。
写真・イラスト:ウルバノヴィチ かな
1年あまり前に出版されたこの本は静かに売れ、5万部のヒットとなっている。
書籍化のきっかけは、娘のために書いた小説だったという。
家庭内で「連載」を始めた物語は、著者が自主的にKindleで売り出した1年後に、出版社から書籍として発売された。デジタルの時代だからこそ可能な成長のプロセスをたどった作品だ。
経済記者として仕事をしながら執筆活動を続ける、高井氏の話を聞いた。
ルーツは娘にむけて書いた“童話”
『おカネの教室』のタイトルからは著者が解説する教養本を想像するが、中身は青春小説だ。
舞台は、公立中学校の「そろばん勘定クラブ」。
主人公の中2男子サッチョウさんが、クラスメートで町一番の富豪の娘ビャッコさんとともに、顧問のカイシュウさんから経済を学ぶ。
中学生2人とカイシュウさんのやり取りを楽しみながら、自然に経済を学べる仕掛けになっている。
なぜ、中学を物語の舞台に選んだのだろうか。
高井氏「娘たちを寝かしつけるときに、空想のお話をしていたんです。もともと僕は小説家志望で、子どもたちも気に入ってくれたので、原稿用紙に童話を書いていたんです。
最終的には160枚ぐらいになりました。この童話の後、長女が小5のころに書き始めた小説が、書籍のもとになりました。本は全体で29章ありますが、1章書き上げるごとにプリントアウトして、子どもたちに渡していました」
高井氏の「家庭内連載」はしかし、数年間の休載をはさむことになる。きっかけは、2012年末の安倍政権の誕生だ。
翌2013年には、いわゆる「アベノミクス相場」がはじまり、急激な円安と日本株の上昇が進んだ。株式や債券などのマーケットを長く取材する高井氏は、当然ながら超多忙になった。
最初は、電子書籍として自分で”出版”
本を書き上げたのは、アベノミクス相場の開始から3年ほどが過ぎた2016年夏のことだ。高井氏は、欧州に散る記者たちのまとめ役のデスクとして、ロンドンに赴任していた。
高井氏「学生時代の友人や、取材で知り合った人たちに読んでもらったら、なかなか評判がよかったんです。でも『すごく面白いけど、出しても、本屋に並べる棚がないね』と言う人もいました。そこで、2017年3月に自分で電子書籍として出版することにしたんです」
アマゾンのKindleで電子書籍として公開したところ、数カ月で6千人ほどが読んでくれた。最終的には、1万1千人ほどが読んでくれたという。
手応えを得た高井氏は、ロンドンから日本の出版社にメールで売り込むことにした。複数の出版社から前向きな反応があったが、最初に連絡をくれたミシマ社と組むことが決まった。
『おカネの教室』は、ミシマ社とインプレスの出版社2社がつくったレーベル「しごとのわ」の1冊になっている。電子書籍として”自主出版”をしてからちょうど1年後の2018年3月、今度は書籍として世に出ることになった。
20年以上のキャリアを重ねてきた経済記者はこの本を通して、小学生あるいは中学生だった娘たちに何を伝えようとしたのだろうか。
高井氏「子どもの教科書をめくると、経済のシステムはこうですということはまとまっているが、『結局、経済ってなんなの』ということは書いてない。しかも、書いてあることは現代社会とつながっていない。でも、大人になるといきなり経済活動にポンと放り込まれる。自分自身も新聞社に入社したころは、株式市場なんて何ひとつ知らなかった。
僕は、取材を通じて学ぶことができたけれど、ほかの仕事をしている人たちは、おカネが世の中をどう回っているのか知らないまま、30代になってしまう人もいる。そうなってしまうのは危ないことだと思うんです。
車が猛スピードで走っていたら危ないと直感できるけれど、この金融商品を買ってはいけないとか、こういう自己啓発セミナーを信じていけないという感覚は後天的に身に着ける必要がある。娘たちには、そういう“罠”を避けて歩んでほしいなという思いがありました」
『おカネの教室』を書きはじめる前、高井氏は書店に出かけて、娘たちに読んでほしい本を探した。しかし、当時は投資のノウハウや、会社で役に立つビジネススキルの本はあっても、経済の基本的な考え方が学べる本はなかなか見つからない。
高井氏「お話になっていて、先が気になって、しかも同年代の子たちが出てきて、そろばん勘定クラブのメンバーになったつもりで読んでもらえれば、だんだんわかってくる、そんな体験授業式の本を目指しました。子どもに読んでもらうには、このやり方がいいだろうと考えました」
原体験があるからこそ、次世代に伝えたいコト
また、講師役のカイシュウさんが語るさまざまな経済の考え方のベースのひとつとなっているのは、高井氏自身が1995年以降、記者として取材を重ねてきた数々の経済ニュースだ。
高井氏「記者として最初に担当したのが、投資信託の業界でした。四半世紀前の投資信託の業界はひどいものでした。手数料は高いし、親会社に手数料を稼がせるために、顧客のカネで『回転売買』をやったり。
でも、勉強をしてみると、投資信託は個人が資産を形成していくうえで、極めて重要なものであることがわかってきました。なのに、この腐った業界はなんなんだ、というのが原体験としてありました」
大阪に勤務していたころには、銀行からの借り入れが難しい中小企業に対して、高い利率で融資していた、商工ファンド問題の取材も担当した。商工ファンドは、強烈な取り立て手法でも知られた。
立場の弱い人たちからカネをむしり取るような金融機関は、本の中で「ダニ」と表現されている。悪質な金融機関への怒りは、高井氏自身の実体験にあるようだ。
高井氏「両親が経営していた小さな会社が小学校低学年のころに倒産して、当時は、おカネには苦労をしました。体験的に、安易にお金を借りてはダメだということは理解をしていましたが、普通は、これも教えられないと分からない。
典型的にはリボ払いもそうです。個人の人生経験と、記者としての取材経験から、どうあるべきかという姿が、10年、20年かけて形成されてきたのだと思います」
時代の変化に備えて身につけておくべき“お金の知識”とは
高井氏には、これからのビジネスを担う20代、30代の人たちの間で、お金をめぐる価値観は変化の過程にあると映る。
高井氏「欧米では、新自由主義的な価値観で冷戦後ずっとやってきたが、リーマンショック(2008年)後に、格差の問題があらわになってきた。緊縮財政の中で『割りを食っているのはわれわれの世代ではないのか』と、考える若い世代が増えているように見えます。
経済成長ではなく、もっと分配重視の社会にするべきだ、という考え方をミレニアル世代が主導しています。どんどんデモをやって、自分たちの世代に合った形に経済システムを変えていこうという動きがあります。日本の若い世代も、転職に対する抵抗もあまりなく、身軽だなあと思います」
そろばん勘定クラブでは、中学生2人が「おカネを手に入れる方法」を考え、経済の基本的な考え方を身に付けていく。
カイシュウさんが教えてくれる、おカネを手に入れる方法は6つある、5つの方法は以下のとおりだが、最後の1つはなかなか明らかにされない。
●かせぐ
●ぬすむ
●もらう
●かりる
●ふやす
この6つの目の方法を探る過程が一種のミステリーとして読者の興味をひくとともに、謎が解けたときには現代の貨幣ステムの根っこの部分が肌感覚で分かる仕掛けになっている。
また、これから高齢者が増える一方で、働く世代はどんどん減っていく。
金融庁が5月22日に公表した報告書は「公的年金だけでは満足な生活水準に届かない可能性がある」と年金制度の限界を認め、話題を呼んだ。
先の見えない時代において、身に付けておくべきおカネの知識とはなんだろうか。
高井氏「金融を狭くとらえると、やることはそんなに難しくない。1,000円ずつでもいいから、若いうちから積立投資をしたほうがいい。
買うなら、ネット証券、ネット銀行で低コストで、できるだけ幅広い対象に投資するインデックス型の投資信託を低額で投資すればいい。これは、30分ぐらいかけて、Googleで検索をすれば分かる。これよりも難しいことがやりたいならば、プロになるしかない」
高井氏「一方で、理解している人が少ないのは金利です。かつてはさまざまな宗教で、金利を取ること自体を禁止していたし、今もイスラム教は原則、その教養が生きています。これは金利や利回りの概念は難しくて、だまそうと思えば簡単にだませるのが一因でしょう。
でも、金利がわかると経済がわかる。一度だけでいいから、金利と物価の関係をまじめに勉強する。国や通貨ごとに、政策金利や国債の利回りがあります。このベース金利がいま、どこにあるのかを知ることがすごく大事。
たとえば、日本ではいまマイナス金利になっています。とすると、プラスの金利になっているものは、絶対になんらかのリスクをとっていることになる。
たくさんの利回りが乗っている金融商品は、その分リスクが高いことになります。金融商品を選ぶうえで、ベース金利と比べてどうなのかを考えることができるようになると、ほとんどの落とし穴はかわすことができます」
『おカネの教室』は、親と子どもが一緒に、あるいは先生と生徒が、会社の若い同僚たちが集まって回し読みをするなど、さまざまな使い方が考えられそうだ。
高井氏「子どもに本を読ませるのって難しいんです。親が読んでほしいと思っても、読んでくれるのは10冊に1冊あるかないか。映画を見たり、学校の世界史の授業でこんな話を聞いたというタイミングでこんな面白い本があるよ、と渡さない限り読んでくれません。
あるいは、親自身が、面白がって読むしかない。私は、三浦綾子の『氷点』を何度も繰り返し読んでいますが、親が夜中まで夢中になって読んでいたら、じゃあ自分も読んでみようと子どもも思うかもしれません。『おカネの教室』は、ミレニアル世代も読んでくれていますが、親世代の方で、『子どもに読ませたい』とネットにコメントを書き込んでくれる人もいます。
本棚に置いて、親自身がおもしろがって読んで、いつか子どもが読んでくれたらラッキー、ぐらいの感覚で待つしかないのかもしれませんね」
高井氏の著書は、難しい経済の理論や知識を頭に入れることよりも、実社会を生きていくうえで必要な、経済に関わる感覚を身につけることを重視したものだ。
中学生2人がおかしなクラブで学んだ秘密は、例えるなら、平均台を無事に渡り切る平衡感覚のようなものだろう。高井氏はいま、『おカネの教室』をマンガ化する準備も始めているそうだ。
取材・文:小島寛明
写真:西村克也