先日、「高い費用を払って留学するなんて、今どき時代遅れだ」と主張し、Twitterを中心に議論を巻き起こした堀江貴文氏。パンデミックにより国境を超えるハードルがグッと上がってしまった背景もあり、海外留学を延期した人や迷っている人も多いはずだ。

オンラインでも良質な学びが得られる時代に、果たして海外留学に高い費用を払う価値があるのか。絶対的な正解はないとしても、経験者の声に耳を傾けることで、何かヒントが得られるかもしれない。

そんな背景から、デザイナーとして東京で約3年間勤務した後、26歳でフィンランド・アールト大学の Collaborative and Industrial Designコースへ進学、2年間の通学により修士号を取得した川地真史さんに「海外留学の価値」を聞いた。

人間は「環境」と「関係性」で変化する生き物

風が冷たくなってきた9月の終わり、ヘルシンキで川地さんに対面した。留学生活を振り返ってどうだったか尋ねると、「フィンランドを離れるのは寂しいですが、2年前とはまったく違う景色が見えています」と、異国での生活を大いに満喫した様子が伺えた。

「学びたいことにもよりますが、僕は『留学しなくても求めるスキルを得られる』という堀江さんの意見は真っ当だと思っています。学校で得られるスキルやつながりは、オンラインでも現地学習でも大差ないかもしれない。

ただ、これまで生きてきた場所とはまったく社会の規範が異なる場所に身を置かなければ得られないものが確実にあるのも事実。法律の相違だけでなく、そこに暮らす人々が持つ物事に対する『こうあるべきだよね』という前提みたいなものです」(川地さん)

明確に言語化はされていないが、効率的な循環や積極的なアウトプットが良しとされる風潮のある東京と、「あなたはあなたのままでいい」という個人の価値観を重んじるフィンランド。明確な差異がある環境下にいることで自分の在り方が明らかに変容していったと川地さんは言う。

「結局、人間は“環境”と“関係性”によって変化する生き物だと思うんです。僕には、環境に渦巻いている言語化されていない価値観が、無意識に自分の身体を形成するイメージがあり、フィンランドで暮らした2年間にも新しい身体が作られていった感覚がありました」(川地さん)

川地さんは、留学費用として約400万円(そのうち半額は返済義務のない奨学金として学校が負担)と現地での生活費約300万円を自費で捻出した。当時、26歳だった彼にとってこの金額は決して小さくはなかったはずだ。

「総額の500万円は30代前後の平均年収と変わらない金額で、そう考えると高くはないのかなと。もちろんこれほどの金額を失うことに不安はあったけれど、教育に対して明確な費用対効果を求めるのは難しいですよね。ここで得た知識がいつ花開くかなんて、わからないじゃないですか」(川地さん)

社会人4年目、日本社会に抱いた違和感

大学では経営学を専攻しつつ独学でデザインを学び、数社で社会人としての経験を積んだ後、UXデザイン事業を手掛ける企業にデザイナーとして転職した川地さん。「未来の豊かさにつながる仕組みをデザインする」というミッションを掲げていた同社でいくつものプロジェクトに携わったものの、徐々に自分が手掛ける仕事が「本質的な豊かさ」につながるのか、わからなくなった。

豊かさとは何かを悶々と考える中で彼が出した結論は、「一人ひとりが絶対的な拠り所となる自分の芯を持ち、一人ひとりが自らの物語を紡いでいくことが豊かさにつながる」との仮説だった。

「この定義に則って考えると、ユーザーが持つ潜在的欲求を見出して彼らが満足する物を提供するという単純に消費を促進させるサイクルの繰り返しに意味を感じられなくなってしまって。周囲のデザイナーたちもツールの使い方や、いかに継続率・KPIを高めるかのようなグロースハックばかりを語り、そんな業界に違和感がふくらんでいきました。

消費者の欲望に迎合する、あるいは企業の利益に貢献するという軸に支配されて、人の可能性をつぶしていないだろうか。もっと人の可能性が開放されていくようなデザインの在り方が語られていいはずだろうって。

これはデザイン業界だけの話ではなく、2018年に炎上した『LGBTカップルは生産性がない』という政治家の発言からもわかるように、日本社会全体が資本主義に魂を絡め取られている気がしました。このまま業界の暗黙的なキャリアパスに流されていくのは、自分が腐りそうで怖い。それなら一度日本を出ようと思いました」(川地さん)

フィンランド・ヘルシンキで行われていたプライドパレード

日本を出ることを出発点にあらゆる可能性を探るうちに、フィンランドがデザインシティと言われていて、ヘルシンキ行政内にデザインリーダーが存在することを知った。国や行政など公益性が高い分野でデザイナーが活躍している世界があること、かつ個人の価値観が尊重されていて、一人ひとりが声を挙げて社会に参加していくフィンランドの在り方も魅力に感じ、川地さんはアールト大学への留学を決めた。

社会人4年目で会社を退職、大学進学のために必要なIELTSのスコアを取得し、書類選考と面接を突破、授業料の50%が免除される奨学金も手に入れ、2018年8月、単身フィンランドに移住した。

留学で得た、生きるうえで持つべき「視座」の変化

川地さんが選択したCollaborative and Industrial Designコースは、情報技術や環境危機などの課題を踏まえて、これからの未来に必要なデザインの社会的な役割を考え、人々の生活や地球環境の向上に役立てるための姿勢や能力を深めることが目的だ。

クラスの人数は20人ほど。1/3がアジア人、1/3弱はフィンランド人、その他はヨーロッパからの生徒で構成されており、同じクラスに日本人はいなかった。ただ、他のデザインクラスと交換留学生をあわせると12名ほどの日本人が在籍しており、川地さんは時折、日本人留学生と母国語で交流することもあったという。

授業ではコースに基づいたさまざまなレクチャーやワークショップが行われ、授業がない日はグループでプロジェクトを進めるような生活を送っていた。この日々の中で、川地さんはどんな学びを得たのだろうか。

「Design Learning(学びを促すデザイン)とは何か?」を対話により理解する授業にて(川地さん提供)

「もっとも印象的だった授業は『批評的実践』の授業で、これまで深く考えてこなかった視座を養えたと思います。これは、自分がどんな特権を持っているかを把握して、知らぬ間に自分に植え付けられた歪みに気づくのが目的です。

授業では、五体満足か、高等教育を受けてきたか、どんな恋愛・性の概念を持っているかなどのチェック項目をもとに内省したり、『抑圧』が何かを理解するために、5人1チームになって抑圧されているシーンを身体で表現したりしました。

わかりやすい例を挙げると、社会通念としてヘテロセクシャル(異性愛の概念を持つ人)が当たり前とされているので、この概念を持つ人は無意識でホモセクシャルやレズビアンなどを抑圧してしまう可能性がある、というようなことです」(川地さん)

「特権」を体験するために大小のケーキとそれを食べるための道具(フォーク・ナイフ・つまようじ)を使ったワークショップも(川地さん提供)

「デザインに限らずプロダクトから法律まで、押しなべて人の手で作られたものに無意識の権力がにじみ出てしまうことで、弱い立場にいる人が抑圧されている今の状況を強化させてしまうかもしれない。それは非常に危険な行為とも言える。この背景を理解したうえで人の可能性をどう開くかが重要だと思ったし、自分にも多くの特権があったゆえにデザインにおいて意識的にならなければいけないことに気づきました。

さらに言えば、仕事以外のシーン、例えば日常生活で誰かとやり取りをするときでも特権に配慮しなければいけないだろうし、この視座を学べたことはこれからの生き方に影響を与えると思いました」(川地さん)

目的地まで電車で行くか、散歩をするか

2年間の集大成となる修論で、川地さんはテクノロジーにより変容していく未来を見据えて、「デザインの専門的なバックグラウンドを持たない市民が起こりうる未来を想像するための手法研究」をテーマに研究論文を執筆した。スキルの習得、そして高度に異なるフィンランド社会での暮らしが彼の未来にもたらしたものはーー。

「この留学生活で大きな変化が2つありました。1つは、デザインにこだわる“呪い”のようなものから開放されたこと。これまで自分のアイデンティティをデザイナーという肩書に集約させてしまっていた傾向がありましたが、もう少し深く、遠い未来への豊かさにつなげるためには何をテーマにすべきか、何が問いなのかが自分の中に生まれてくるようになった。

もう1つは、生きる姿勢が変わったこと。授業で学んだ『特権』についてクラスメイトとカフェで語っていたとき、友人が『私たちってすごく特権的だよね。こんないいカフェでお茶ができて、好きなことが学べて、なんて恵まれているのだろう』と言ったんです。それが衝撃的で忘れられなくて。

僕自身はこんな経験ができているのは、自分が努力して勝ち取ってきたからだという自負のようなものがあったのですが、実はそうではなく自分を取り巻くさまざまなもののおかげだったのだと、すごく謙虚な気持ちになりました」(川地さん)

フィンランドに多く見られる白樺の木が美しい森

「もっと根底のレベルで言うと、フィンランドは自然との接続を強く感じられる国で、それもまた生き方に影響を与えてくれました。暗く長い冬があるから、陽の恵みを全身に浴びられる夏をより一層嬉しく感じるし、リスや鳥といった野生動物との距離も近く、特にコロナ禍では彼らの存在に救われているような気持ちになりました。僕らはいろんなものを授かって生きているんだなって」(川地さん)

川地さんにとって、この留学がいかに特別な時間だったかというのは、彼の話からうかがい知ることができる。では、オンラインでも良質な学びや人とのつながりが得られる現代において、あえて現地に留学する本質的な価値はどこにあるのだろうか。

「あくまで経験者としての意見であって、これは正解ではないです。その上でオンライン学習と留学の違いは、目的地まで電車で行くか、散歩するかの違いなのかなって。何をどう学びたいかにもよりますが、第一目的のスキル習得のためにはオンラインだけで十分得られる場合も多い。これは目的地まで電車で直行するようなもの。

でも留学はもっと散歩的で、偶然の出会いによって思いもよらない方向に自分が引っ張られることもある。第一目的以外のことにも興味が湧いてイベントに参加するなど、新たな学びや人間関係が得られるかもしれない。それこそが海外留学の醍醐味のような気がします。

結局は自分が納得できるかどうかが一番大事なことであり、明確な留学目的がなくても、自分が納得するだけの“言い訳”を作れるなら行ってみて後悔しないのではないかと思います」(川地さん)

スキル習得という第一目的に対するコストパフォーマンスで言えば、海外留学がベストな選択ではない場合は大いにあるだろう。とはいえ、自分の身を現地に置き、その土地にどっぷり浸かることでスキル習得以外に得られる副産物的なものは計り知れない。電車で行くか、散歩をするか。川地さんのこの言葉は、留学のリアルを物語っているのではないだろうか。

<取材協力>
川地真史
Twitter: @Mrt0522

取材・文・撮影:小林 香織