日本では原動機付自転車に該当すると解釈されている「電動キックボード」。利用する際は、ナンバープレート、バックミラー、ブレーキライトなどの公道走行基準を満たしている必要がある。このため、手軽に乗れるというイメージはなく、街中を走っている姿を目にすることも少ない。
一方、シンガポールでは街の至る所で電動キックボードに乗っている人を目にする。日本のように原動機付自転車に該当するという解釈はされておらず、ナンバープレートやバックミラーは必要なく、誰でも購入して乗れる手軽さが普及を促進している。
シンガポールでは電動キックボードだけでなく、電動ユニサイクルやミニセグウェイなども個人の移動手段として広く普及している。これらはパーソナル・モビリティ・デバイス(PMD)と呼ばれ、都市交通における主要課題である「ラストワンマイル移動問題」のソリューションとして捉えられている。
今回はシンガポールにおけるPMDに関連する動向をお伝えするとともに、シンガポールが目指す未来の都市交通とはどのようなものなのか、その一端に触れてみたい。
シンガポールの日常風景
電動キックボードなど政府主導で適切な利用を促進
シンガポールの街中で電動キックボードをよく見かけるようになったのは数年前からだ。数万円ほどで購入でき、誰でも簡単に乗れることからあっという間に普及した印象がある。
一方で、ルール・規制の整備が追いついていなかったため、危険運転・違法運転する者が増え、社会問題としてメディアで取り上げられることが多くなった。
よく取り上げられるのが改造した電動キックボードで車道を走行する危険運転だ。改造電動キックボードは時速50キロ以上出るものもめずらしくない。こうした高速電動キックボードで車道を走る危険運転が幾度となく目撃されており、シンガポール陸上交通庁(LTA)を含め当局はルール作りと認知の普及を急務で行っている。
その一環でシンガポール政府は2017年1月に、PMDに関わる規制を盛り込んだ「Active Mobility」法の施行を開始。PMD利用に関する包括的な規制としては、他国に例を見ないパイオニア的取り組みとして注目を集めている。「自動車に依存しない社会をつくる」というシンガポール政府の意志の現れとしても見られている。
この法案では、PMDの最高速度を時速25キロメートル、最大重量を20キログラム、最大幅を700ミリメートルとしたほか、車道での走行を違法と定めた。対象となるのは電動キックボードだけでなく、電動ユニサイクルや電動自転車など広く電力駆動の移動デバイスが含まれている。
セグウェイタイプのPMD
違反者への罰金も記載されており、車道を走った場合最大で5000シンガポールドル(約40万円)、最大6カ月の禁固刑、または両方の罰則が科されるという。PMDは没収される。
この法案が施行されて1年後となる2018年1月には、LTAがPMD利用に関するルールをさらに広く認知させようと「PMDに関わるルールと行動規範」を発表。
この規範は、歩道、サイクリングロード/共有道、車道の3種類の道路で、どの乗り物が利用可能なのかをイラストで示しており、PMDの利用についてより理解しやすくなったと電動キックボードコミュニティーなどで広くシェアされている。
「PMDに関わるルールと行動規範」より
たとえば歩道では、PMDが利用可能であるが、最高速度は15キロメートルに制限され、サイクリングロード/共有道では最高速度25キロメートルまで出せることなどが示されている。また、車道ではPMDの利用はできないが、自転車と電動自転車の利用は可能であることが記載されている。
また、LTAはこうしたルールや規制づくりに加え、電車やバスへのPMD持ち込みを許可することで、適切なPMD利用を促進しようとしている。
シンガポールの電動キックボードコミュニティー「Big Wheel Scooters」が地元紙のインタビューに語ったところによると、シンガポール国内では約3万人のPMD所有者がおり、公共交通機関と併用してPMDを通勤・通学で利用している人も少なくないという。
実際、シンガポールの通学・通勤風景を見ていると必ずといっていいほどPMDが登場する。LTAは、公共交通機関とPMDの組み合わせで、通勤や通学などでのラストワンマイル移動がより効率的になると考えているようだ。
さらなる「効率化」へ、シンガポールが目指す未来の都市交通
シンガポールが他国に例を見ないPMD法を施行し、PMD利用を促進させようとしているのは、未来の都市交通を見据えた動きとして見て取ることができる。
シンガポールは人口600万人に満たない小国だが、その人口はいま高齢化し、減少傾向にある。これにともない労働人口も減っており、経済成長の維持が難しい状況に直面している。こうした状況下で、近年国家レベルの主要テーマとなっているのが生産性の向上である。労働人口が減るなかで、経済成長を維持してくには、1人あたりの生産性を高めていく必要があるという考えだ。
この効率性を求める考えは、国のあらゆる政策や取り組みに反映されており、それは交通にも大きな影響を与えているといっていいだろう。労働者の生産性を高めるために、移動における待ち時間などの無駄もなくしたいという動機につながっているはずである。
実際、シンガポールの公共交通システムは世界のなかでもトップクラスの効率性を実現しているという調査がある。
コンサルティング会社Credoが実施した世界35都市の公共交通システム経済効率性調査で、シンガポールは高密度コンパクト都市部門で最大の効率性を実現していることが判明したのだ。
この調査は、通勤者が公共交通利用時に被る時間の無駄から発生する経済損失がどれほどなのか、その損失額を国内総生産(GDP)比で算出し、公共交通の効率性が高い都市をランク付けしている。
シンガポールは公共交通による経済損失がGDPの8.9%にとどまり効率性トップとなった。同じ部門で2番目の効率性を示したのは香港だった(損失額は9.2%)。
この調査結果からは、世界の都市と比較すると、シンガポールの公共交通の効率性はトップクラスで、待ち時間などの無駄は非常に少ないということが示唆される。
すでに効率的な公共交通があるなかで、さらなる移動の効率性を追求しようとすると、必然的にラストワンマイル移動の問題を解決する必要が生じる。こう考えるとシンガポールでPMD関連の取り組みが進んでいる理由が明確になってくるのではないだろうか。
いまではUber EatsやDeliverooなどのフードデリバリーサービスでも不可欠となるなど社会の至る所に浸透し始めたPMD。シンガポールの都市交通が発展する上でPMDがどのような役割を果たしていくのか、日本と比較しながら見てみるのもおもしろいのではないだろうか。
文:細谷元(Livit)