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木曜の午前中、オランダ南部アイントホーフェン市の図書館を訪れると、そこには「図書館は静か」という概念を覆す光景が広がっていた――外国人のグループがオランダ語の会話練習を楽しんだり、何人かの高齢者が若い職員からラップトップを前に手ほどきを受けていたり、フロア中央のカフェで母親グループがコーヒーを飲みながら子どもたちを遊ばせていたり……まるで週末の公園のような賑わいだった。
オランダの図書館は「市民が集い、成長できる場所」として、近年目覚ましい変化を遂げている。どのような背景から、どのような活動が生まれているのだろうか? オランダ国内でも特に先進的な試みを行っているアイントホーフェン図書館を例に、新しい図書館の役割について考える。
心地よい「街の家」
「図書館はただ、本がたくさんある建物ではありません。ここは人々がなんの義務を果たさなくともただいられるという、稀有な場所のひとつです。何も買う必要はありません。図書館カードを登録していなくても構いません。誰もがぶらりと訪れることができて、一日中座っていられるところ。真の公共施設なのです」――アイントホーフェン図書館で児童書の収集を担当するアンドレア・ウェイウェルさんは、図書館の役割について説明する。
ウェイウェルさんによれば、同館の真ん中にカフェができたのは15年ぐらい前のこと。これにより、図書館は本を借りたり読んだりするだけの場所ではなく、人々が集う場所になった。
「デンマークの図書館では、以前からこうした取り組みがあり、私たちはそこからインスピレーションを受けました。図書館には活気が生まれ、本だけでなく、活動や集会を通じて人々の成長を促すという私たちのミッションと合致しました」(ウェイウェルさん)
多様な市民をサポートする活動
アイントホーフェン図書館は現在、老人から外国人移住者まで多様な市民をサポートするため、「言語」「デジタル」「人々と社会」という3つのテーマで、さまざまな活動を実施している。主なものを以下に紹介しよう。
デジタル行政手続きサポート:自動車免許の更新、確定申告、介護・年金・補助金申請など、近年はさまざまな行政手続きがオンラインに移行しているが、高齢者などデジタルスキルを持たない人には厳しい状況となっている。そのため、図書館では毎週決まった時間帯に専門の職員が待機し、一緒にラップトップに向き合いながらこうした手続きを無料でサポートしている。
このほか、人気アプリの使い方に関するワークショップや、専門家や仲間と情報交換をする「デジカフェ」も定期的に開催。これらは高齢者のデジタルスキル向上のほか、孤独解消といった社会問題の解決にもつながっている。
メーカーズクラブ:7~13歳の子どもたちを対象に、毎週金・土の決まった時間帯に開催される理系ワークショップ。子どもたちは専門家のサポートの下で、3Dプリンターやレーザーカッター、はんだ付け装置など、本格的な機器を使って工作したり、プログラミングを学んだりする。
授乳カフェ:赤ちゃん連れの母親に向けたコミュニティ活動。授乳や離乳食に関して専門家のアドバイスを受けられるほか、母親同士がお茶を飲みながら交流する場となっている。毎回40~50人が集まるという。
言語カフェ:外国人がオランダ語の会話練習をする場。毎週木曜の10時半~12時ごろまで開催され、オランダ人ボランティアが20人ほど協力している。10年ほど前、主にオランダに移住してくる難民向けに始まったが、現在は、オランダで働くために移住してきた知的労働者とその家族が8~9割を占めるという。
コロナ禍にはオンラインでも実施され、2日間で300人が登録するほど人気を博した。オランダ人ボランティアが足りなくなり、地元の大企業ASML(世界最大の半導体装置メーカー)の協力を仰ぎ、ボランティアを確保。コロナ後もオンラインでの実施を継続し、平日の日中に図書館で参加できない人60~70人が参加している。
20カ国語の児童書を設置、アイントホーフェン市の国際化に対応
言語カフェの盛況に見られるように、近年のアイントホーフェン市は外国人の流入が激しい。同市は、オランダでも屈指のハイテク企業が集積している地域にあり、世界中から技術系の人材が採用されていることが背景にある。特に昨今の半導体装置需要の拡大を受け、前述のASMLの成長は著しく、同社がアイントホーフェン市の国際化を一気に促している。
この変化に対応し、アイントホーフェン図書館では現在、日本語を含む20カ国語の児童書約7,000冊が備えられている。
「昔は子どもたちが親と一緒にオランダに移住してきたら、家庭でもオランダ語を話さなければならないという考えが一般的でしたが、今は継承語(外国に移住した後も家庭で話される言葉)にアクセスできることが子どもの発育や脳にいい影響を及ぼすことが分かっています」(ウェイウェルさん)
多言語の児童書導入については、継承語教育の重要性を啓蒙し、同教育のネットワークを形成している市内の組織「継承語教育(HLE)ネットワーク」の働きかけがきっかけとなった。書籍の収集も同ネットワークや英語書籍の私設図書館「リーディング・ピア」の協力を得ている。
「外国語の書籍はリーディング・ピアやHLEネットワークに参加している各語学学校の所有物で、図書館はそれを置かせてもらっている状態です。その代わりに、これらの組織は図書館スペースを使って、定期的に読み聞かせの会やワークショップなどを開けるという交換取引になっています」(ウェイウェルさん)
今年9月には、市役所が主催する国際イベントも図書館内で実施された。継承語教育に携わる複数の言語グループがそれぞれのブースで文化紹介や語学学校の宣伝を行った。日本語グループも参加し、折り紙や書道のワークショップが盛況だった。
HLEの代表、ギジ・カニッツァーロさんはこうした活動や図書館の役割について、次のように語っている。
「図書館で実施されている国際ワークショップは、地元のオランダ人も加わって、インクルーシブな文化交流の場になっています。また、子どもたちは図書館という公の場で継承語のイベントが開かれることで、『自分たちの言葉で公に堂々となにかをやってもいいんだ』という認識が生まれ、より自信を持つことができるようになります。図書館はすべてのバックグラウンドを持つ子どもたちにもオープンな場所なのです」
しかし、こんなに図書館が賑やかになると、ユーザーからクレームも来ないのだろうか?
「中には批判の声もありますが、ほとんどの人は熱狂的に支持してくれます」と、ウェイウェルさんは答える。ある市民の声を聞くと、「図書館に来ると、歓迎されていると感じる」とポジティブなコメントが返ってきた。
進化し続ける図書館、無人の時間帯も
こうした市民の声を反映し、図書館に対する市の予算も拡大している。ウェイウェルさんによれば、オランダのウィレム=アレキサンダー国王が王位継承演説の中で、図書館が社会に果たす役割について期待感を示したことも追い風となったとのことだ。
現在は市内に小さな地区図書館を4カ所新設する予定で、場所を選定中。従来の独立した建物内ではなく、公民館の一角に入居するなど、これまでとは違った形を模索している。地元の組織や住民との協力も増える見通しだ。
「地区ごとに住民のニーズも違います。どんな本がほしいか、どんなサービスが必要か、みんなの声を聞いて反映させる計画です」(ウェイウェルさん)
アイントホーフェン図書館は、今年10月30日から開館時間も延長される。現在の開館時間は10時~17時となっているが、これを19時まで延長し、17~19時はスタッフのいない「無人図書館」となる。
「すでにオランダの多くの図書館で、無人図書館が導入されています。これも図書館をすべての人にアクセス可能にするための措置です」(ウェイウェルさん)
さまざまな組織や企業を巻き込みながら「真の公共施設」を目指す同図書館は、市民の成長とともに、自らも進化し続けている。
取材・文:山本直子
編集:岡徳之(Livit)