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ウクライナ危機の影響で世界の主要な食料が値上がりし、途上国で食糧危機が発生するなか、飼料価格の上昇などで日本の酪農が大きなダメージを受けている。事実、中央酪農会議が行った「日本の酪農経営 実態調査(2023)」によると、日本の酪農家の85%が赤字経営に直面しているという。対策として生乳価格の値上げなどは行われているものの、普段の生活になくてはならない牛乳や乳製品の安定供給は依然として危ぶまれている。
そうした現状を受け、生乳需給の安定化や、酪農・牛乳乳製品の理解促進などの事業を行う中央酪農会議は、生乳価格の値上げの真意を理解してもらうために、10月16日の世界食料デーにあわせてオリジナル楽曲と酪農体験動画を公開した。
楽曲は『可愛くてごめん』で話題の「HoneyWorks(ハニーワークス)」が作詞・作曲を担当し、アイドルグループ「高嶺のなでしこ」が歌う。高嶺のなでしこは、酪農応援アンバサダーに就任し、メンバーが酪農家の生産現場を訪問する体験動画も公開された。
中央酪農会議は、なぜ今回の取り組みを実施しようと思ったのか。日本の酪農家の現状や取り組みの裏側にある狙いについて、専務理事の菊池淳志氏に話を聞いた。
日本の酪農家の85%が赤字経営という厳しい現状
前述した通り、日本の酪農家の85%は赤字経営だというが、その現状について菊池氏は次のように話す。
「酪農家の経営環境は、相当厳しくなってきました。その背景には、ウクライナ紛争や円安などの影響があり、2021年以降、牛に食べさせる餌の価格が急激に上がったことが挙げられます。また、酪農家の戸数の減少率も高くなってきました。つまり、酪農家をやめる人が増えているということです。さらに、コロナの影響で学校給食が止まるなど、消費が一気に減ってしまいました。こうした危機が同時に重なって来たというのが大きく、経営環境の悪化につながっています。コストが上がると、生乳価格を上げるのが酪農家にとって1つの助けになるのですが、価格を上げようにも消費は落ちているわけです」
そのため、まずは需要と供給のバランスを改善したうえで、生乳価格(乳価)の値上げに理解してもらう必要があると言う。
「昔の話になりますが、十年ほど前に生産が減少し、バターが足りなくなったことがありました。そこで国の政策の後押しもあり、設備投資を行いながら生産を増やしたわけです。それが軌道に乗ってきたところにコロナが急に来て、需要が一気に落ち込みました。この需要と供給のギャップが大きくなり、状況はさらに悪化したと言えます。そのため、中央酪農会議では、需要と供給のバランスを保つために、酪農家の方々に生産をできるだけ抑えてもらう取り組みを始めました。一方で余った生乳は、バターや脱脂粉乳などの加工品を作り、保存する必要があります。こうした在庫を減らす取り組みも乳業メーカーと共同しながら取り組んでいます。このように需要と供給のバランスを改善しながらコスト上昇に見合った生乳価格とすることで、酪農家の方々を支援できればと考えています」
原材料となる生乳価格が上がると、自ずとスーパーなどで目にする牛乳や乳製品の値段なども上がる可能性がある。
「だからこそ、酪農家の生活を守るために行う『生乳価格の値上げ』には、消費者の方々のご理解も必要になってくるのです」
こうした酪農家の現状を踏まえ、生産者の現状や生乳価格の値上げに理解を示してもらうために中央酪農会議が行ったのが、オリジナル楽曲と酪農体験動画の公開だ。
『可愛くてごめん』で注目のクリエイターとアイドルグループ「高嶺のなでしこ」が、日本の酪農を後押し
今回公開した楽曲と酪農体験動画では、SNSで若者に人気のクリエイターやアイドルグループを起用。『可愛くてごめん』などで注目のクリエイターユニット「HoneyWorks」が作詞・作曲し、アイドルグループ「高嶺のなでしこ」が歌う楽曲を、酪農家からのメッセージ動画にのせて世界食糧デーの10月16日に公開した。高嶺のなでしこは酪農応援アンバサダーにも就任し、同グループの酪農体験動画もYouTube上で公開された。
今回の取り組みを実施しようと思った狙いについて、菊池氏は次のように話す。
「酪農家の経営が厳しい状況になってきたなか、お伝えしたとおり生乳価格を上げざるをえない状況になっており、乳業メーカーの皆様にはご理解いただいています。ただ、生乳価格が上がるということは、最終的に牛乳や乳製品の価格も上がる可能性があるため、消費者の方々にも理解していただく必要があります。とはいえ、単に酪農家の現状をお話してもなかなか伝わりづらいですよね。そこで、酪農家の方々が日本の大切な食を支えているんだという想いを楽曲にのせたり、『高嶺のなでしこ』のみなさんが歌にして代弁してもらったりすることで理解されやすいのではないかと考えました」
今回公開した楽曲は、「温めたミルク」をモチーフに、食べ物の尊さや食べ物を与えてくれる生き物を育む生産者への「ありがとう」の気持ちを歌い上げた内容となっている。また、各地の酪農関係者とその家族が登場し、消費者へ直接メッセージも伝えている。
「苦しい状況をそのまま苦しいと伝えても、共感を得にくいと思いました。そのため、日本の酪農は生活者の皆さまの食生活を支えるためにやっぱり必要であり、酪農家を応援したいと自然に思っていただけるような内容を意識しました」
楽曲に関して、作詞・作曲を担当したHoneyWorksからも、次のようなコメントが添えられている。
「楽曲を作る側としても、改めて命や食べ物の尊さを考える機会をいただけました。私達は命を分けてもらって生きていること、普段なんとなく使っている「いたただきます」という言葉は、命、食材の生産、調理など関わった全ての人に向けられているということ。温めたミルクを飲みながら、このミルク一杯も無駄にしないことが恩返しなのかなと考えていました。この楽曲もみなさんが命や食べ物の尊さを考える一つのきっかけになれば嬉しいです」
また、同時公開された酪農体験動画では、高嶺のなでしこのメンバーが実際の生産現場を訪れ、酪農体験を行う様子が収録されている。この体験は、神奈川県伊勢原市で酪農業を営む熊澤正敏さんの牧場にて実施された。動画内では、メンバーが乳搾りや乳牛のブラッシングなどを手伝う様子をはじめ、熊澤さんとの対話を紹介。とくに「(牛乳を)一杯でも多く飲んでくれれば助かる」という熊澤さんの言葉が印象的だ。
「YouTubeを使って動画を配信することで、自分の身近に酪農家の方がいる印象を受けますよね。つまり、親近感を演出できると思ったんです。第三者が解説するよりも、酪農家の方に直接、動画に出ていただいたほうが説得力もあると感じました」
とはいえ、YouTubeをはじめとした各種SNSはリスクもある。それでも発信の手段として選んだ理由とは何か。
「これまで、酪農現場が厳しい状況であることは、テレビや新聞などで取り上げてもらい、中高年層の方々には情報が届いていると感じていました。一方で、若い方々にはまだ十分に届けられていないとことが課題ではありました。そこで若い方々に届けるために何が最適かと考えたときに、SNSでの発信を強化していくべきだと思いました。発信する手段が決まり、中身を考えていく段階で、SNSで話題となっているクリエイターやアイドルの方々とコラボさせていただくことで、より若い方々に伝わるのではないかと考えました。また、我々もよく若い酪農家の方々と意見交換を行うのですが、情報の取得手段はSNSが中心になっています。なかには自分でポッドキャストを使って配信を行ったり、SNSで情報を拡散したりしている方もいらっしゃいます。炎上リスクなどはあっても、SNSでの発信は避けられないと考えました」
トレンドを押さえながら「たくさんの人に身近に感じてもらう」
中央酪農会議では、過去にもお笑いコンビ「ミルクボーイ」を起用したキャンペーンなどの施策を実施してきた。そこには、世の中のトレンドに合ったコミュニケーションを柔軟に模索する姿勢があった。
「これまでも都度、トレンドに合わせて最適なコミュニケーションを考えてきました。そのなかで中心になるのは、『よりたくさんの方に酪農家の想いが伝わり、身近に感じてもらえるかどうか』です。身近に感じてもらうことができれば、自然と応援したいという気持ちになりますよね。こうした世の中のトレンドを押さえた斬新なアイデアは、若いメンバーから提案されることも多く、そうした意見をできるだけ尊重するようにしています」
世界の牛乳や乳製品はほとんどが自国で消費されており、輸出に回る量は多くない。いつまでも輸入に頼れる確証はなく、国内で一定の酪農生産規模を確保することは不可欠だ。そのためには、消費者である私たち自身も日本の酪農家を支える意識が必要となりそうだ。
取材・文:吉田祐基
写真:西村克也