まもなく開幕の「中東初」W杯で火花を散らす人権問題

2022年11月21日開幕予定の中東・アラブ地域初のワールドカップとなるカタールW杯。

かねてより主に会場の建設に関わる移民労働者の労働環境の劣悪さと人権問題が議論の元となってきたが、開幕が迫るにつれ欧州では、さまざまな形での抗議行動が表立ってきている。

そもそも中東諸国における主に南アジアからの移民労働者の多さとその人権問題は、長年にわたり指摘されていた事実(詳しくは後述)。2010年にカタールでのW杯開催が決定した時点で、運営に力を持つ欧州の参加国との文化摩擦や人権問題批判が起きるのは容易に予測できたことだった。

最近になりまたこの話題が注目を集めているのは、今まで同問題への抗議を表明してきた国々が、最終的にどういう形でその意を表現するのか(あるいはしないのか)という動向が、開幕が近づくにつれ明らかになってきているからだ。

この問題を複雑にしているのは、『チームのユニフォームに政治的声明を出すことは禁止』というFIFAワールドカップの規定。これにより昨年の欧州予選で多く見られたような、あからさまなメッセージがプリントされたシャツを着るようなことは基本的に不可能になる中、欧州各国がそれぞれの方法で抗議表明を見せている。

「最先鋒」はデンマーク

欧州各国の中でももっとも活発な抗議行動を行ってきたデンマークは先日、代表選手が着用するユニフォームのデザインを発表。制作を手掛ける国内スポーツウェアメーカーのHummelは、今年は従来の赤と白バージョンのシャツに加えて建設現場で亡くなった労働者たちを悼む「喪の色」である黒のシャツも選択肢に加えたことを明らかにした。

同社は公式Instagramにおなじみの赤いウェアの画像を投稿し、「何千人もの命が奪われた大会に出場する際には、人の目につきたくない」と、ロゴもシェブロンも布地に溶け込むような同色のプリントに「トーンダウン」したことを宣言。「私たちは、スポーツは人びとを団結させるべきだと信じています。そうでない場合は、私たちは意見を表明したい」と意図を説明した。

また同時に、同じデザインで「喪の色」である黒バージョンのシャツの画像も投稿し、「私たちは自国チームをどこまでも応援しますが、それと何千人もの命を奪った大会自体を応援することは別問題です」「カタールの人権問題と、同国でスタジアムの建設に携わった労働者の待遇に対して意志を表明します」とストレートに訴えた。

このユニフォームに関してはメッセージが明確に記載されている訳ではないため、先述のFIFAによる「政治的なメッセージ表明禁止」の規定にも抵触しないようだ。

このほかデンマークは抗議行動の一環として、代表選手の家族や不要な報道関係者をカタールに入国させず最小限の人数でカタール入りすることを決定するなど、この大会の商的利益を最小限にする方向性を徹底している。

決定当時から同国でのW杯開催に反対の意を示してきたDBU(デンマークサッカー協会)の最高責任者であるJakob Jensenは、「今はとにかくこの国の変革に寄与できる立場を利用して、議論と対話を強化するのみ」と一連の活動の意図を語っている

フランスでも上がる抗議の声には環境問題への配慮も

フランスでも抗議の声が拡散している。フランス北東部の都市ストラスブールは、カタールで続いている人権問題と環境への影響への抗議活動として、恒例となっているワールドカップ開催中の市内における大型モニターでのパブリックビューイングイベントや、観戦エリアの設置を行わない方針を発表した。

それにボルドー、マルセイユ、リールなど10の都市が次々に加わったが、これは2018年に優勝してからディフェンディング・チャンピオンとしてW杯に並々ならぬ国民の関心が寄せられてきたフランスの自治体としては異例の決定だった。

ストラスブールの市長であるJeanne Barseghian氏はその決定の理由を「欧州人権裁判所の本拠地であるストラスブールは(中略)、同国で人権がこれほど軽視されている事実に目をつぶることはできません」と表明。ボルドーの市長であるPierre Hurmic氏も、「死体のことも人権問題も忘れてお祭り騒ぎをすることはできない」とそれに続いた。

フランスの各都市が抗議を表明するもう一つの大きな理由は、同大会の環境への影響。カタール当局はこのトーナメントを「史上初のカーボン ニュートラルなW杯」として宣伝し、8つのスタジアムに利用されている太陽光発電のエアコン、電気地下鉄システムなどをPRしている。

一方でヨーロッパのNGOであるカーボンマーケットウォッチ(CMW)はスタジアムの建設中に排出された二酸化炭素の量に関する当局の発表を精査し、公式発表よりも8倍多い二酸化炭素が排出されている可能性を指摘した。

また、CO2を中和する目的で植えられた樹木や芝生の効果も疑問視し、そもそも芝生は同国の気温では今後生き延びることができないため、大会終了後に人工芝にリフォームする必要があるなどかえって環境に負担をかける結果になっていると批判した。

「そもそもスポーツに適さない気候の砂漠の国でのW杯開催は、気候に余計な負担をかけるのだ」という彼らの主張は、日本人の筆者にも少々耳が痛い。

LGBTQ+人権問題への抗議をリードするオランダはボイコットの可能性も 

人権問題と同時に、イスラム教国であるカタールのLGBTQ+をめぐる状況に対して立ち上がったのは、世界で初めて同性婚を合法化した国であるオランダ。

「すべての家系、人種、性同一性、性的指向に対する誇り」を表明する腕章を腕に着けることであらゆる差別に反対し、平等を訴える「ONE LOVE」キャンペーンは、2020年のシーズン初めから続いていたが、今回のW杯を前に改めてドイツ、ベルギー、イングランド、スイスなど9カ国が参加を表明した。W杯開催中もこのカラフルなハートが記された腕章を目にする機会があるだろう。

オランダでは現在これらの問題を受けて、選手派遣の是非をめぐって国内各セクターが絶賛議論中。下院にあたる第二院は一貫して反対の意を示している。また、連立与党の一員である民主66党が、アムステルダム市議会に対して今大会のテレビ放映にあたり、CM中に開催国の人権問題に関する警告メッセージを発するべきだと申し入れた。

市議会議員のRob Hofland氏は「この大会を実現するために人びとが強いられた人権侵害、強制労働、そして死に対して目をつぶるべきではない」と述べ、カタール当局の指導者はスポーツの名のもとにすべてをきれいごとに見せかける「スポーツウォッシング」をしていると批判した。

かねてよりくすぶっていた湾岸諸国の移民労働者問題にはパンデミックの影響も?

先述のように、中東諸国における移民労働者の人権問題は今に始まったことではない。

1930年代以降、石油をベースに急激な経済成長を遂げた湾岸諸国では、国民の生活水準向上のための学校・病院・道路などの社会インフラの整備、裕福な国民の家事労働の代行などの労働のために「移民」が多く流入するようになった。

特にUAEやカタールではその傾向が顕著で、2020年前後には国内居住者の約8割、労働人口の約9割が「移民」という偏った人口バランスを持つように。

インド、バングラデシュ、フィリピン、ナイジェリアなど主にアジア・アフリカ地域からやってくる移民労働者はしかし、政府が移民の管理をしやすくするための「カファーラ」というビザ保証人制度により行動を制限され、また現地の労働法の適用外になることも多く、「現代奴隷」と定義されるような労働条件に晒されているケースが多い。

パンデミック以降は特に、ロックダウンや経済の停滞により「自国に帰るに帰れない」状態に陥っている移民労働者や混乱に乗じた雇用主が、今までの賃金をすべて踏み倒して労働者を自国に送り返すケースも急増していたという。

かねてよりアムネスティなどの国際的な人権問題を監視する団体にその移民労働者の環境を懸念されていたカタールは、2020年にカファーラ制度を廃止し、条件を満たした移民労働者の転職を合法化し、月1,000カタールリヤル(約4000円)の最低賃金を設定するなどの措置をとった。

しかし実際にはそういった労働者は情報へのアクセスが乏しく、法改正について知ることすらなく従来と同じ条件で労働に従事していることも多いといい、カタールが行った「労働法の改革」は単なるW杯開催に向けたパフォーマンスだとの声も。

今回欧州各国が抗議を示している「労働者の死」に関しても、建設ラッシュの現場における労働による死者数はカタール政府公式発表が「総数3人」であるのに対し、労働者の出身国が発表した死者数を合わせると「6500人以上」との見方も強く、そのギャップの大きさに真相は闇の中というムードも漂っている。

しかし現場で給与や安全、最低限の衣食住などが一切保証されないなど労働環境が劣悪なケースが多いことは、なんとか自国に戻ったり監視をすり抜けて現地から発信した当事者からのさまざまな報告から推測されており、それが今回の一連の抗議活動につながった。

それでも今回、抗議活動の広がりの割にボイコットを検討する国が少ないのは、「不満がある国は参加しなければいい」「人権問題のある国での大会には参加しない」という旧来の分裂主義から卒業し、関係諸国が手を組んでみんなで一緒にこの問題に取り組もうとする風潮も強いからだ。

ドイツのミッドフィールダーJoshua Kimmich氏は「ボイコットを検討するのは10年遅い」と、そもそもカタールは開催国に決定した時点で人権問題が明らかだったこと、今さら参加をボイコットしても同国の問題の解決にならないことを指摘した。

「私たちはこれをいいチャンスととらえ、W杯の注目度を利用して人びとの人権に対する意識を高めるよう努める必要があります。そして、それは私たちサッカー選手だけで実現できることではありません。みんなで協力しましょう」(同氏)

文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit