水素を動力源とした代表的な移動手段といえば、自動車だろうか。国内では現在までに実用化されているものには、トヨタの「Mirai」やホンダ「クラリティ フューエルセル」などがある。船舶にも日本郵船の「NYKスーパーエコシップ2050」、列車にもJR東日本の「ひばり」があるが、船舶、列車ともになかなか普及が進んでいない。

そんな中、水素を動力とする航空機の開発が世界中で盛んに行われている。航空大手のエアバスが2035年までにその商用化を目指し、着実に研究開発を行う一方で、極超音速航空機を開発するスタートアップ「デスティナス」が、昨年創業したばかりだというのに、2900万米ドル(約39億円)のシード資金調達を果たしている。航空業界の水素動力化はすでにデッドヒートの状況だ。

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航空業界は気候変動の元凶

気候温暖化を誰もが肌身に感じるようになりつつあり、「飛び恥」という言葉が生まれるように、航空業界は気候変動の元凶として悪名高い。航空輸送行動グループ(ATAG)による2020年9月現在の同業界の二酸化炭素(CO2)排出量は、人間活動による排出量の2.1%を占める。ウィズコロナの時代を迎え、旅客機の需要は今後数十年間増え続け、このままではCO2の排出量は増える一方だ。

世界で指折りの資産運用機関、キャピタル・グループの調査によれば、国際エネルギー機関(IEA)やATAGなどを含めたコンサルティング会社や業界団体は、2050年、CO2排出量の80%以上を、液体水素燃料とサステナブルな航空燃料(SAF)を組み合わせることで削減できると予測している。

水素=最も有望なゼロ・エミッション技術

水素は、航空業界の気候変動への影響を軽減するために最も有望な、ゼロ・エミッション技術と考えられている。航空機用の水素推進装置として考えられるものには、水素燃焼と水素燃料電池の2つがある。水素燃焼は従来のエンジン燃焼と同じプロセスを採用。CO2や煤煙に加え、窒素酸化物や飛行機雲の排出を大幅に削減することができる。

もう1つの水素燃料電池は、水素燃料電池を取り入れ、電気化学反応で水素原子に蓄えられたエネルギーを電力に変換する。CO2、窒素酸化物、硫黄酸化物、すすの排出を完全に抑えるほか、飛行機雲、航空障害雲も除去できる可能性があり、「真のゼロ・エミッション」を実現できる。

メリットはさらに、単位質量あたりのエネルギーが従来のジェット燃料の3倍であり、リチウムイオン電池より優れている点、そしてすでに自動車業界などが水素テクノロジーの開発をリードしており、航空業界もその恩恵を受ける点が挙げられる。

航空業界が水素を利用するにあたって、課題がないわけではない。従来の航空機内に水素を貯蔵するためのスペースを追加しなくてはしなくてはならない点が、最も大きな課題だ。航空機に供給するために、水素の輸送手段とインフラの確立が必要だが、既存の施設やトラックなどを利用するなどの対応策が考えられる。空港で水素を製造する手もあるだろう。

エアバスの目標は「2035年までにゼロ・エミッション民間航空機を市場投入」

エアバスは今年2月、「2035年までに世界初のゼロ・エミッション民間航空機を開発し、市場投入する」という目標を達成するため、プロジェクト「ZEROe」の実証実験を開始した。実証機はA380。これまで製造された旅客機の中で最も大きいと同時に、最も機内のスペースが広く、さまざまなゼロ・エミッション技術を試験するための汎用性に優れているためだ。

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水素も「グリーン水素」を選ぶ。再生可能エネルギーを用いて電気を起こし、その電気で水を分解し、水素を取り出す。水素の生産量全体に占めるグリーン水素の割合はまだ1%未満。しかし『フォーブス』によれば、グリーン水素の生産能力は、今後6年間で50倍に増加する可能性があるそう。また、再生エネルギー自体のコストはかつてない速さで下がり、水中の水素と酸素を分離するための「クリーン」な技術である電解槽への投資は、世界中で急増している。

ZEROe実証機に搭載されているのは、水素燃焼をさせるタイプの水素推進装置だ。液体水素タンク4基を尾翼に、水素燃焼エンジンを後部胴体に沿って搭載。液体水素の分配システムは、液体水素を気体にしてエンジンに取り込み、燃焼させて推進力を出す調整システムに接続されることになっている。

ZEROeの3タイプの実証機

ZEROeでは、3つの実証機を考えている。どれもハイブリッド水素航空機。液体水素が燃料だ。ガスタービン・エンジンを改造し、液体水素を酸素と一緒に燃焼させ、推進力を得る。

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さらに、水素燃料電池で電力を起こし、ガスタービンを補完し、効率の良い、ハイブリッド電気推進システムが出来上がる。

●ターボファン

2基のハイブリッド水素ターボファンエンジンが推力を供給する。液体水素の貯蔵・分配システムは、後部圧力隔壁の後方に配置されている。

●ターボプロップ

8枚羽根のプロペラを駆動する2基のハイブリッド水素ターボプロップエンジンが推力を供給する。液体水素の貯蔵・分配システムは、後部圧力隔壁の後方に配置されている。

●ブレンデッド・ウィング・ボディ

非常に広い室内空間は、水素の貯蔵と流通のための複数の選択肢を広げます。ここでは、液体水素貯蔵タンクが主翼の下に格納されている。2基のハイブリッド水素ターボファンエンジンが推力を供給する。

ターボファンとブレンデッド・ウィング・ボディは200人以下の乗客に対応。航続距離は約3700km強となっている。ターボプロップは100人以下の乗客に対応。航続距離は約2000km強だ。

欧州〜豪州で約1時間半を可能にする極超音速飛行機

ZEROeの実証試験を始めたのとほぼ同時期に、2900万米ドル(約39億円)のシード資金調達を完了したスイスのスタートアップ、デスティナス社は、宇宙インフラ企業、モメンタス社の創業者・CEOのミハイル・ココリッチ氏が立ち上げた。

水素を動力源とし、ゼロ・ミッションの、「ユングフラウ」と呼ばれる、輸送用の自立無人極超音速航空機、「ハイパープレイン」の製造を目指している。巡航速度は極超音速マッハ15で、大陸間を移動する所要時間はわずか2〜3時間に短縮される。ハイパープレーンの初期バージョンの積載量は約1トンで、緊急支援物資などを必要な場所に運ぶことになる。

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2900万米ドルのシード資金は、動力源である水素用空気吸込式エンジンとロケットエンジンの開発に充てられるという。同社によれば、水しか排出しない液体水素燃料のジェットエンジンを使い、通常の空港から水平に離陸。飛行し、一定の高度と速度に達すると、極低温水素エンジンに切り替わり、極超音速までさらに加速する。着陸も離陸時と同じように、従来の航空機と同様の態勢で行われる。

昨年はユングフラウの小型プロトタイプを飛ばし、今年は水素を燃料とするエアターボロケット(ATR)エンジンとロケットエンジンの地上試験と飛行試験を、来年から2024年にかけては極超音速での試験飛行を行う予定だ。

将来的には、まず貨物機としての地位を確立した後、ヨーロッパからオーストラリアまで数十人から数百人の乗客を1時間半で運べるハイパープレーンを開発したいとしている。

「航空機の動力といえば水素」になる時代がやってきそう

エアバス、デスティナス社以外にも、水素を動力源として、ゼロ・エミッションを目指す企業は幾つもある。

その1つがドイツの、航空機用水素燃料電池技術の開発を行うH2FLY社だ。つい先だって、米国を本拠地とし、エアタクシー開発を行うジョビー・アビエーションに買収されたことが明らかになり、同業界を驚かせた。今年4月には、実証機「HY4」が高度約2200mの飛行に成功し、世界記録を更新している。

© H2FLY

昨年はドイツ・エアクラフトと協働で、2025年までに水素を動力源とする40人乗りで最高航続距離2000kmの航空機「ドルニエ328」を開発することを発表。戦略的投資家がオンボーディング、政府が支援するさまざまな研究助成金を資金として獲得している。

英国・米国の水素電気航空機の開発企業、ゼロアビア社もある。プロペラ機における水素燃料パワートレイン技術を開発している。2020年に6人乗りのパイパーマリブに水素燃料電池を搭載し、約8分間の飛行に成功し、『タイム』誌に2020年最大の発明の1つとして紹介された。昨年2021年には、地域航空機のための2MW水素電力パワートレインの開発を開始。2020年代後半にはこれら航空機の運用を水素によるものに転換する計画だ。

今年に入ってからは、アラスカ航空のデ・ハビランド社製Dash-8 Q400航空機を調達し、水素燃料電池搭載に着手した。直近では2024年、2026年にプロジェクトの完成を予定している。

資金も潤沢で、2020年にはビル・ゲイツ氏らのブレイクスルー・エナジー・ヴェンチャーズが中心となった資金調達ラウンドシリーズAで、合計2140万米ドル(約29億円)、英国政府から1630万米ドル(約22億円)、2021年に入ってからはシリーズAの第2ラウンドで2430万ドル(約33億円)、既存の投資家から1300万ドル(約17億円)、シリーズBで3500万ドル(約47億円)を得ている。

Hyundaiは長距離飛行向けの短距離離着陸機「SA-1」eVTOLの動力源として水素燃料電池技術を検討中だという。「SA-1」eVTOLはヒュンダイの子会社、supernalにより開発された。まずは定員4人で都市内と近郊のルート75kmの飛行を計画、2028年にロサンゼルス、マイアミでエアタクシーとして、商用飛行の開始を目指す。

イスラエルのアーバン・エアロノーティクス社は、以前から開発を進めている、5人乗り垂直離着陸機、「シティホーク」を2026年までに商用化する計画だ。シティホークは、水素燃料タンクと700KWの水素燃料電池スタックを備え、同社が特許を持つダクトファン推進システムである、「ファンクラフト」技術をもとに飛行する。水素燃料電池スタックは、ハイポイント社開発のもの。従来の水素燃料電池の3倍以上の出力対重量比だそうだ。高い出力と密度の組み合わせて、長距離の移動を可能にしているという。

文:クローディアー真理
編集:岡徳之(Livit