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アメリカで数カ月前から大きく取り上げられるようになっている言葉がある。Great Resignation、直訳すれば「大退職」で、つまり大規模な退職トレンドだ。
アメリカ労働統計局のデータによると、この数カ月で仕事を退職する人が急激に増え続け、月間の退職者数は2021年8月に430万人、9月には440万人と連続で過去最多を更新している。
なぜ、アメリカでこのような大量退職が起こっているのか、その背景には新型コロナウイルスの影響による労働市場や人びとの考え方の変化があると言われている。
アフターコロナは大量退職時代と共にやって来る?
Great Resignation(大退職)という言葉は、テキサスA&M大学のアンソニー・クロツ教授によって提唱された概念だ。
1930年代のGreat Depression(大恐慌)、2007年の金融危機に始まるGreat Recession(大不況)になぞらえた表現で、この二つと同様、歴史に残る「大退職時代」の到来を予感させる。
新型コロナウイルスによるパンデミック発生当初の2020年3月、アメリカでは1カ月で労働者全体の8.6%に当たる1300万人もがレイオフされた。その一方で退職率(労働者全体に占める月間の退職者数)は1.6%と数年来で最も低い水準だった。
しかし2021年4月ごろから、ワクチン接種率の上昇に比例するように退職率が急増し、毎月約400万人が退職するという記録的な事態が続いている。
PwC社が2021年8月に行った調査によると、65%もの労働者が転職を検討していると回答し、マネジメント層の88%が、自社の離職率は通常よりも高いと回答している。
だれが大量退職トレンドをけん引しているのか?
数カ月前から始まったこの大量退職、その決定的なメカニズムはまだ明らかになっていないが、いずれにしてもこの退職トレンドが、およそ2年に渡る新型コロナウイルスのパンデミックからの経済回復への障害となることは明らかだ。
アメリカの労働市場には、2021年9月末時点で約1000万人分の欠員ポジションがあるという。
ハーバードビジネスレビュー誌掲載の論文 ‟Who Is Driving the Great Resignation?” では、4,000社超・約900万人分の雇用データを分析し、この大量退職トレンドをけん引している2つの特徴を挙げている。
退職率が一番高いのは30歳から45歳のミドルキャリア人材
1つ目の特徴は、この大量退職トレンドの中心となっているのがミドルキャリア世代ということだ。2020年から2021年にかけて退職率が最も急増したのは30歳から45歳の世代で、平均して20%以上も上昇していた。
一般的に離職率はより若い世代のほうが高くなるものだが、昨年からの傾向として20歳から25歳世代の退職はむしろ減っているという。
これは社会人になりたての世代は経済的に不安定であり、現在の状況下では転職に踏み出しにくいこと、そしてコロナ禍で教育や研修が十分にできないため、新卒・第二新卒世代への求人需要自体が減っていることが原因と考えられている。
興味深いことに、60歳から70歳世代の退職率も同じく減っており、25歳から30歳世代、45歳以上の世代はわずかに上昇という結果となっている。退職増減率は、30代から40代前半を頂点とする山形を描くようなグラフになっていると推定される。
ミドルキャリア人材を取り巻く労働市場とライフスタイルの転換
なぜ、30歳から45歳という中間世代の退職率が急増しているのか、いくつかの要因が考えられている。
まず1つは、このミドルキャリア人材へのニーズが高まっていること。
コロナ禍によるリモートワーク体制へのシフトで、雇用主は経験の浅い従業員を雇うことをリスクが高いと感じるようになっている。コロナ禍にあっては、平時のような職場での直接の指導や教育ができないからだ。
そのため一定の経験値が担保されているミドルキャリア人材へのニーズが急増し、転職意欲を触発するような魅力的な求人が増えたことが、この世代の退職率が急騰した要因の1つと考えられている。
ミドルキャリア世代への求人ニーズが高まっているということは、現在各職場でこの世代に高い負荷が掛かる構造になっていることも意味する。
リモートワークでも自律的に動くことのできるこの世代に、仕事量が集中したり、採用活動の凍結で人員不足になった分をカバーをしたり、といったさまざまな負荷が、パンデミック期間中何カ月にも渡って掛かり続けた結果として、遂にブレイクポイントに達した。
つまり、彼らが自分の仕事や人生の目的について、再考する事態を引き起こしたということも考えられる。
30歳から45歳は子育て世代でもあり、コロナ禍で子どもたちの学校生活の見通しも不透明な中で、家族のためにワークスタイルの転換を決意し、退職に至るケースもあるだろう。
退職率が最も高いのはテック業界とヘルスケア業界
ハーバードビジネスレビュー誌の分析結果として、もう1つ明らかになったのは、業界によっても退職率に劇的な違いがあるということだ。
例えば、製造業界や金融業界の退職者数はむしろ微減する一方で、ヘルスケア業界では退職者数が前年比3.6%増加し、テック業界では4.5%も増加している。
概して、コロナ禍において需要が急騰した産業において退職率が高くなっており、それらの業界で従業員への負荷増大やバーンアウトが起きていることを示唆しているのではないか、と論文内では指摘されている。
それとは別に、アメリカの大手テック企業はすでにアフターコロナの新しい働き方に寄り添った労働条件を次々に打ち出しており、それが採用活動でのアピールポイントとなっている。
リモートワークの恒久的な実施、より自由度の高い勤務スタイルなど、自分のライフスタイルにあった企業へ転職する動きが活発化したことにより、テック業界の退職率が引きあがっているという側面もあるだろう。
大量退職を防ぐにはデータドリブンなアプローチが不可欠
主力である30歳から45歳世代の従業員の大量退職は、企業にとって間違いなく大きな痛手であり、アフターコロナの経済回復の障害にもなると考えられる。企業の経営者やマネジメント層はこの大量退職時代にどのように立ち向かえばよいのだろうか。
ハーバードビジネスレビュー誌では、よりデータドリブンなアプローチで従業員の引き留めに勤めるべきだと述べられている。
最も離職のリスクが高いのはだれか、その理由はなにか、どうすればその人の離職を防げるのか。個別の事象はそれぞれの組織によって異なるが、以下の3つのステップを行うことで、企業側はより効率的にデータを活かした退職の抑制が可能になるという。
ステップ1. 退職問題を数値で可視化する
組織内に潜在する問題を定義する前に、問題の範囲とそのインパクトを数値化することが非常に重要である。
まずは年間の離職率とともに、退職者のうち何割が自己都合による退職で、逆にレイオフや解雇によるものなのかを可視化する。
次に自社にとって重要なビジネス指標において、退職のインパクトを定義する。退職に伴うコストの全体像を把握するためには、退職の増加と他のビジネス指標との相関関係を追跡することが重要だという。
例えば、トラック運送業者の場合、全国的なドライバー不足によって離職率が少し上昇するだけでも、数百万ドルもの採用・教育のコストが発生することを意味する。
ステップ2. 退職を引き起こしている問題の根幹を明らかにする
次になにが離職を引き起こしているのか、より詳細なデータ分析で明らかにする。給与待遇、昇進ペース、昇給幅、在職期間、研修教育機会などの指標を調査し、自社の退職傾向やブラインドスポットを明らかにする。
例えば、先ほどのトラック運送会社の場合、「経験値が低く」「スーパーバイザーとのやり取りがリモート環境」のドライバーは、経験値が高く、スーパーバイザーから直接サポートを受けられるドライバーに比べ、離職率が高いことが分かった。
この分析によって退職リスクの高い従業員をあぶりだすだけでなく、その中で引き留めが成功しやすい従業員はだれなのかの掴むことが可能だという。
ステップ3. 各企業固有の問題に合わせて退職抑止策を講じる
これまでの分析で分かった退職傾向を踏まえ、組織の中で修正すべき問題はなにかを特定し改善する。
先ほどのトラック運送会社では、データ分析に基づいた退職抑止策を実行したところ、同業他社との人材獲得競争が激しい環境下においても、ドライバーの離職を10%減らすことに成功した。
つまり、従業員の離職が引き起こす問題がどれだけ深刻なのか、データに基づいて可視化すること、そしてその要因を特定して改善することで、有望な従業員をひきつけ、離職コストを抑え、よりロイヤリティの高く効率的な職場環境を構築することが可能になるという。
新型コロナウイルスによるパンデミック収束が見え始めたタイミングで突如現れた大量退職の波。このトレンドがどのくらい持続し、どの程度のインパクトをアメリカ経済に与えるのか、現時点では予測不能だ。
しかし、すでにアメリカだけでなく、ヨーロッパや中国でも同様の現象が確認され始めている。日本でも注意深く状況を見ていく必要があるだろう。
文:平島聡子
企画・編集:岡徳之(Livit)