AIが莫大な富を生み出す時代に突入

この数年「ベーシックインカム」をめぐる議論や試験的な取り組みが増えている。特に格差問題が深刻化したコロナ禍では、一層関心が高まったトピックといえるだろう。

このベーシックインカム議論では、メリット・デメリットに関する様々な主張があり、どのような形で帰着するのか注目している人は多いのではないだろうか。

しかし、既存のベーシックインカム議論における主張のほとんどは、10年後には意味をなさないものになってしまうかもしれない。なぜなら、これまでの議論は、社会経済システムが現在のままであることを前提に進められてきたもので、水面下で起こる社会経済の地殻変動的な大変化を捉えられていないからだ。

現実的なベーシックインカム議論をするためには、この社会経済の大変化を考慮することが必要となる。

その大変化とは「AIによる富の創造」だ。

数年前に比べるとバズワード感がなくなり、メディアで登場する頻度が下がった印象のある「AI」だが、水面下では着々と進化を続けている。以前お伝えしたように、リーガルドキュメントを精査するAI弁護士や記事を書くAI記者はすでに現実世界で活躍中だ。

イーロン・マスク氏とAI組織を創業した起業家による提言

近い将来、上記以外にも多様な職種でAIが導入され、AIによって膨大な富が創出されることが見込まれる。

このAIが創出する富を財源とし、ベーシックインカムのような仕組みをつくりだすことが可能だと主張するのが、米AI開発企業Open AIのCEOサム・アルトマン氏だ。

Open AIは、アルファベット傘下の英AI開発企業ディープマインドの競合と目され、著名なAI研究者らも多数関わる世界的なAI開発企業。イーロン・マスク氏が共同創業者の1人であり、最近まで役員を務めていたことでも広く知られている。

このOpen AIの共同創業者の1人でCEOを務めるアルトマン氏は、2021年3月17日に投稿した自身のツイートで、提言全文へのリンクを添え、AIがもたらす富は膨大なものになると指摘。提言では、AIがもたらす富によって、米国民は1人あたり年間1万3500ドル(約146万円)の価値を享受できるようになると主張しているのだ

そのロジックはこうだ。

今後10年間で、様々な職種においてAIの導入が増える。これによって、人件費はゼロに近づき、ほとんどのモノやサービスの価格も大きく下がることになる。アルトマン氏は、ムーアの法則を参照し、住宅、教育、衣服などモノやサービスが2年毎に半額になっていくこともあり得ると指摘している。

一般的に、企業活動において価値創造の源泉は、資本・土地・労働の3要素といわれている。AIが労働に取って代わる世界では、この3要素から労働がなくなることを意味する。

アルトマン氏は、この状況で政府が「米エクイティファンド」を新設し、それを通して資本と土地への課税を最適化すれば、経済成長と公平な分配を同時に達成できると説明している。

大手企業に対しては時価総額の2.5%を株式の形で課税し、またその地価の2.5%を現金の形で課税、それを国民に分配するというのだ。これにより、10年以内に18歳以上の米国民2億5000万人に対し、年間1万3500ドル(約146万)相当の現金と株式を給付することができるという。

これは、現在の米国企業の市場価値50兆ドル(約5400兆円)と土地の価値30兆ドル(約3262兆円)が今後10年で2倍になるという前提のもと試算された。

アルトマン氏曰く、AIによる価値創造スピードが加速する可能性もあり、その場合、国民が享受できる富は上記試算よりも大きなものになるとのこと。また、AIによってモノ・サービスの価格が下がることで、購買が促され、企業の株価に影響、それが国民へのさらなる還元につながる可能性もあるとしている。

スイスでベーシックインカムが否決された理由

アルトマン氏の提言は、今後のベーシックインカム議論のたたき台となるはずだ。AIによる富の創造を考慮することで、これまでのベーシックインカム議論で噴出した懸念点がいくつか払拭される可能性があるからだ。

2016年6月、スイスでベーシックインカム導入の是非を問う国民投票が実施された。

このベーシックインカム計画では、成人国民1人あたり月額2500スイスフラン(約30万円)、未成年者に625スイスフラン(約7万6000円)を支給することが盛り込まれていた。

賛成多数で可決されそうだが、国民投票では賛成23.1%、反対76.9%という結果となったのだ。財源不足と経済競争力低下への懸念があり、国民の支持が広がらなかったためだといわれている。

この先AIが莫大な富を生み出すようになれば、これらの懸念は払拭されることになるはずだ。

アルトマン氏が指摘するように、つい15年前まではスマホがない時代だったが、現在ではスマホが当たり前となり、人々の生活を大きく変えた。10年後、AIによって社会経済の大変革が起こっていても不思議ではない。

文:細谷元(Livit