「エコと自転車の国」の日常

筆者は現在オランダ南部の田舎町で暮らしているが、先日市役所から突然一通のメールが届いた。最近市役所に用なんかなかったがと思いながら開いてみると、だしぬけに「レンタル電動自転車を2週間無料で体験しませんか」という内容。

どうやら渋滞や環境破壊を軽減するために自動車を電動自転車に切り替えましょう(できればレンタルで共有を)というキャンペーンを市を挙げて行っており、プロモーションの一環として無料貸し出しのお知らせをランダムな市民に送っているらしい。

環境保護への取り組みに熱心なこの国においては驚くほどのアクションではないが、特に大きなアウトレットモールがあるこの街では、休日のたびに国内外から押し寄せる買い物客が引き起こす深刻な渋滞が住民や行政にとって頭痛の種。

とりあえず市民の近距離の移動にマイカーを利用しないでほしいという意図も大きいことは容易に想像できた。


市議会議員出演の電動自転車プロモビデオまであった。ちなみに筆者のパパ友だ(Youtube公式プロモーションチャンネルより)

毎日カート装着のボロチャリ(しかも脚の長さの問題で子ども用)で3人の子どもを学校に送り迎えしている私だが、「市役所め、電動自転車屋と利害関係が一致しおって…電動自転車のラクさなんて2週間体験したら、普通の自転車に戻れなくなって自分用が欲しくなってしまうだろう…しかも商売上手なオランダのこと、絶対そのタイミングで『今だけ体験者に長期レンタル特別割引』などと持ちかけてくるに違いない。そうはさせるか」などと思いながら、即決で申し込みの返信をしたのは言うまでもない。

来週の受取日が超楽しみだ。

世界が急ピッチで推進するMaaS網の構築

さてミクロな田舎町の話はこれくらいにして世界に目を向けてみると、現在MaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス=交通のクラウド化によって個人のマイカー以外の全ての交通手段をつなぎ、利用者がアクセスできるようにする移動手段の概念)網の構築が先進国を中心に急ピッチで進められている。

2016年から首都ヘルシンキでMaaSアプリ「Whim」が利用され、2018年に交通のデジタル化を主眼とした交通サービス法を施行した「MaaS発祥の地」がフィンランド。

ドイツでは早くも2012年からMaaSアプリのサービスが開始されていたし、フランスは昨年11月に世界初の「モビリティ指針法(通称:MaaS法)」を国会で可決して大型投資を見込んでいる。中国のDidiやアメリカのUberなどのライドシェアも、その拡大ぶりを知らぬ人はいないだろう。

日本においてもJR東日本や小田急など、国の交通網の心臓部を担ってきた交通関係の会社がMaaSへの取り組みを計画しているし、トヨタが「クルマを作る会社」から「移動手段を提供する会社」への脱却を図り、「モビリティ・カンパニー」というタイトルを表明したことも記憶に新しい。


TOYOTA公式サイトより

すべては各都市が未来の居住空間や人々の移動方法のあり方を議論し、試行錯誤する中で、環境や経済、コミュニティといったキーワードに対する意識の高まりに応えるサービスとしてMaaSが形を成してきた結果だ。

「自動車と自転車をシェアする町」を計画中のオランダ・ユトレヒト

話はオランダに戻るが、そんな中この国で先進的な未来都市計画が持ち上がり、注目を集めている。ユトレヒト南西部にあるMerwedeに、外部からの自動車の乗り入れ禁止で、住民が自動車と自転車をシェアするサステイナブルな地区(町)をつくろうという試みだ。


自転車溢れる緑豊かな街、ユトレヒト(Wikipediaより)

ユトレヒトは、アムステルダムから30kmほど南、国土のほぼ中心に位置するオランダ第4の都市。古くから宗教の中心として栄え、1843年にアムステルダムにつながる鉄道が開通してからは交通の中心としても発展した。

ガソリンの価格が世界で3番目に高く設定され(2020年3月時点)、人口よりも自転車の数が多いオランダの中でもひときわバイカーに人気の高い同市は、子どもの交通事故死が社会問題となり抗議の波が押し寄せた1965年から既に「車ではなく人(歩行者や自転車)が優先」の市街計画を推進してきた。

その結果、現在市街地中心への通勤・通学などの移動手段のうち自動車はたったの15%。60%以上は自転車利用者であり、世界最大(1万200台収容)の駅地下駐輪場や、自動車用道路よりも優先して建設されている自転車用道路など、徹底した「自転車優先」の都市づくりがなされている。

インフラの維持と発展には年間5,500万ドルの投資もなされているが、市は「日常的な自転車の利用はストレスを減らし、慢性疾患のリスクを下げる」といった研究結果などに基づき、それによる医療費の削減と環境保全効果には年間3億ドル程度(プラス交通事故で失われずに済んだ人命)の価値があると試算している。

さらに、生活がしやすく交通の便が良いユトレヒトは、オランダのなかでもアムステルダムと並んで人口増が著しい都市。2040年までに人口が10万人増えるとの試算もあり、モビリティと持続可能性に焦点を当てた都市デザインが求められている。

現在までにノルウェーのオスロ、スペインのマドリッド、フランスのパリなど、世界の大都市が続々と「自家用車乗り入れ禁止」を試みているが、そんな時代の中でも先述の居住地域プロジェクトはこのような背景をもつユトレヒトならではの試みといえるかもしれない。

現在、敷地はオフィスが密集する工業地帯だが、それがサステイナブルでグリーンな新しい「町」に変貌することになる。今の時点でデザインが最終段階に入っているこのエリアが完成した暁には、以下のような空間(町)になるという。

  • 約4万平米(東京ドーム5個分強)の敷地に12,000人分の住居
  • 6,000の住居を含む200棟の建物
  • 居住スペース以外にも学校、医療施設、ワーキングスペース、スーパー、公共交通機関の駅など住民が必要な施設を全て住民の徒歩圏内(もしくは自転車道でアクセス可能なロケーション)に用意
  • 10戸ごとに3台の割合で自動車をシェア(共有)、各家庭の前ではなくエリア外のシェアカー専用の駐車スペースに駐車。エリア内車両進入禁止(緊急車両以外)。


イメージ図(Merwede公式サイトより)

開発を手掛ける建築家のMarco Broekman氏は、オランダに住む人々の多くがいまだ「オランダならではの長屋タイプの家を一軒と、車1台か2台」を所有するという従来の居住イメージに囚われているとしたうえでこう語る。

「一方で、都市志向の強い新しい世代や一定の層の人々は、車に対するマインドセットが所有から共有へとシフトしているのも事実です」。

事実「若者の車離れ」が叫ばれてひさしいが、ミレニアル以降の世代は特に実質主義で、少なくともベビーブーマーのようにステータスとして車を所有することには興味が薄いといわれている。

必要性のために車を所有している、または購入を検討しているミレニアルの中にも、(シェアリングサービスなどの普及により)将来は車を個人所有する必要性がなくなると見越している層も存在する。

日本でも、例えば毎日通勤にマイカーを利用する人のケースでも、往復1時間と仮定すれば車の稼働率はたった4.2%である事実などを指摘した上で、豊かさの象徴として人々が車を「所有」したがる時代は終わりに近づき、必要な特に必要な人に「車を使う手段」を提供することがクルマ会社の未来になるだろうと指摘する声も挙がっている。

利用時間の重複などの問題もあるのであまり単純にも言えないが、このMerwedeの街は「クルマは元々10軒に3台程度で十分である」という前提を直入に街づくりに導入したといえるだろう。

各家庭での自動車所有を手放すことには、「駐車スペースや自動車の交通を考慮せずにデザインできるこの町は、公共スペースの質や緑化、気候適応、生物多様性や交流の場といった、人が多く住む街にとってより重要な部分を充実させることが可能です。

この町が人々を自家用車依存の生活からより健康でサステイナブルなものへと導き、それが世界の人口密集都市の新しいスタンダードになっていけばいいと思っています」といったメリットもある(同氏)。

彼らが打ち出すこのエリアのデザインモットーは、「green, unless(意訳:グリーンにあらずんば街にあらず)」。

ブロックごとに緑豊かな中庭を設け、建物の屋根にはソーラーパネルと植物を配置。運河沿いには散策コースを整備し、その運河から引いた水を利用した国内最大のヒートポンプシステムにより、冷暖房をはじめとしたエリア内のほぼすべての電力をまかなうという。

ユトレヒト市議のKees Diepeveen氏は、「自転車の街ユトレヒトは例外として、人はまだ自動車で移動することを好みます。本当の『自動車のない町』を作るためには、住民のマインドセットの大きな変革が必要でしょう。

このMerwedeプロジェクトは、人の移動手段を車から自転車や徒歩へ、車へのアクセスを所有から共有へとシフトさせる良い第一歩です」と語る。

先述のようにデザインが最終段階に入ったこのプロジェクトは、現在ユトレヒト市民からの意見を募集中。「楽しみだ」という声もあれば、「自転車の数が増えすぎないか」という懸念の声も挙がっているとのこと。

こうした市民からのコメントは3月半ばに取りまとめて市議会にかけられるが、その後もし全てが予定通りに進めば2024年に入居開始だという。

「サステイナビリティ桃源郷」の様相を呈するMerwedeの町は、未来都市のあり方のモデルになるだろうか。完成したらぜひ見に行ってみたいので、レポートを待っていてほしい。

文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit