共産党一党独裁ならではのスピードでテクノロジーによるハイテク監視社会化を推し進めている中国。監視社会化というと、どうしても私たちは、ジョージ・オーウェルが描いたディストピア小説『1984』のような、ネガティブな印象を持ちがちだ。だが、梶谷懐さんとの共著『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)を上梓した高口康太氏は、少し違った現状認識を持っている。本当の内情はどうなのか。詳しく話を訊いた。

名前や行動、すべてが監視される中国の“今”

中国では高速鉄道や長距離バスに乗るのにも身分証の提示が必要。街中のいたるところに監視カメラが設置され、その数は2億台にものぼるという。


中国では顔認証技術を用いて個人レベルでの特定が可能となっている。

ほぼあらゆるスマートフォンアプリには電話番号による実名認証が必要で、身分証やパスポートと紐付けられているため、中国政府が問題視する発言があった場合、すぐに身元が特定されてしまう。それでも不満を口にする中国人は少ないと高口氏は語る。

「わかりやすい例でいうと決済です。現金には匿名性があるため、今手元にあるお札がどういう来歴があるのかわかりませんし、支払った瞬間に自分との関係が断ち切れます。ところがキャッシュレス決済では誰が支払ったという記録が残されます。中国の都市部では現金をほぼ使わなくなった人もいます。もし、中国政府が望めば、そういう人々の行動は一挙手一投足まで把握できるわけです」

急ピッチでデジタル監視社会へと向かう中国で、注目を集めているのが社会信用システム。信用に関する各種の記録を統合するものと報じられている。

ここで誤解を招きやすいのが、中国での社会信用システムは士業の懲戒制度や個人融資に関する与信審査、法令違反企業の懲戒などに関する一連の制度。高口氏曰く、先進国の制度をキャッチアップする狙いがあるのだ。

「中国では1980年から改革開放が始まり、市場経済の導入が始まりましたが、そのための法律や制度が不足していたことが課題でした。先進国並の制度が必要だとして2000年代初頭から制度整備が始まり、先進国のような制度をというかけ声で始まりましたが、デジタルを取り入れたことで随分変わりました。

たとえば日本では破産者は官報に掲載されますが、中国では債務不履行で掲載される失信非執行人リストはデータベース形式で公示され、名前や身分証番号などで簡単に検索可能できます。またサードパーティーのサービスやアプリへの転用も簡単ですし、一般的に行われています。日本では破産者情報を地図で確認できる破産者マップが批判されて公開中止となりましたが、中国では同様のサービスが普通にあるのです」


2018年1月に設立された「百行征信」(バイハンクレジット)。中国政府系団体と8社の民間会社から成る団体であり、保険料の未納、賠償金の未払いなど社会的不正を行った人をブラックリスト化する。

技術が豊かになるほど、曖昧になるプライバシーの境界線

さらに個人の信用を点数にして表示するスコアリングサービスも広がっている。日本では、自身の行動が監視され、国家による都合のいい道徳が強制されるのでは?という懸念があるとも報道がされている。

「モバイル決済アプリのアリペイに付随するスコアリングサービス、セサミクレジットが有名です。ネットショッピングやウェブサービスの利用履歴、さらには学歴や交友関係、資産などの情報をAI(人工知能)が分析し、個人の信用を点数化するサービスです。点数に応じて、アリペイの支払いを分割払いにする限度額が上がったり、シェアサイクルやシェアモバイルバッテリーの保証金が無料になるといった特典が得られます。」


中国の信用スコア「芝麻信用(セサミクレジット)」、アリペイが提供する信用スコアで、2015年にアリペイの付帯機能としてサービスが開始された。

「AIが個人を格付けするなんてディストピアもいいところだと批判されてきたわけですが、次のように考えてみるとシンプルに理解できます。アリペイはデビッドカード、つまり物を買ったらすぐに銀行口座から引き落とされます。セサミクレジットに加入すると、翌月払いや分割払いといったクレジットカード的な機能を使うことができる。いろんな特典がついてくるのもクレジットカードと同じです。クレジットカードの審査は収入とクレジットヒストリー(融資と返済の履歴)をもとにしており、セサミクレジットはネットショッピングなどのデータを使用するという違いがありますが」

クレジットカードは一般のカードからブラックカード、プラチナカードと種類があるように、アップグレードには申請が必要だ。しかし、セサミクレジットは申請不要で毎月の信用の変化を計算し、ユーザーの目に見えるようにしてくれている。クレジットカードはユーザーの目に見えないところで信用を計算しているが、セサミクレジットはユーザーに分かるようにしているという違いがあると彼は述べる。

「それだけの違いといってしまえばそれまでですが、この差が大きい。より上の特典を目指して、人々が悪さをしないよう、つまり分割払いの返済を遅らせたり、ネットサービスの不正利用をしたりということをやめるように誘導する効果があるわけです」

しかし広範なデータを収集している以上、プライバシーをすべて売り渡しているようにも見える。中国人はプライバシーの流出を気にしていないのだろうか?

「誰だって個人情報を他者に提供するのには抵抗があるでしょう。ただ中国では個人情報を提供し、その代価として便利なサービスを使うという仕組みが普及しているので慣れているということは言えます。また個人情報を企業に提供しても、実際になにか不利益があるかというと、基本的にはないわけですよ。我々がグーグルやフェイスブックを使って、なにか目に見えるような悪影響があるかという話と一緒です。もし大きな実害が出るような状況になれば中国人も反発するでしょうし、中国政府も規制に向かうでしょう。プライバシーとデータ活用のバランスについては、日本も米国も欧州も、そして中国も今、落としどころを探っている段階です。その中でも中国は実際にサービスを動かしながらトライ&エラーで着地点を探っているという意味で、リードしていると言えるでしょう」

結果として便利な生活に、中国が目指す新たな監視国家

「データの世紀」と言われるようになった。今後、個人情報はさまざまな形で利用される流れが続くのだろう。しかしその流れの先にあるのは監視社会ではないのだろうか? 中国の人々は監視社会化が進む自国をどう思っているのだろうか?

「『1984』の世界では、人々は辛い生活を送っているわけです。自分が監視され、なにかあれば逮捕されることを知っておびえている。ストレスフルです。これが我々の想像する監視社会ですよね。ところが今の中国では監視におびえている人はごく少数です。街中に監視カメラがありますが、慣れると気にならなくなる。デジタル化によりさまざまな情報が記録されていますが、だからといってなにか不利益があるわけではない。どちらかといえば、さまざまなデジタルサービスで日常生活はどんどん便利になっている。

つまり、ほとんどの人にとってストレスを感じさせない監視社会なのです。専制国家では少数の支配者だけが幸せで、平民はみな苦しんでいる。そんなイメージが強いかと思いますが、反政府の活動家、ウイグル族やチベット族などの少数民族といった少数だけが行きづらく大多数の人々にとっては苦痛がない社会。こうした新しい監視国家、専制社会をどうとらえるべきか。隣国としてどう付き合うべきか。それが今、私たちに問われている課題です」

この中国モデルが成功してしまった場合、民主主義国家・日本のアイデンティティが揺らぐ可能性がある。これは日本にとっても他人事ではないのだ。

取材・文・写真:神田桂一