さまざまな大人の“はたらく”価値観に触れ、自分らしい仕事や働き方とは何か?のヒントを探る「はたらく大人図鑑」シリーズ。

今回は、「CAMP」キャプテン、そしてはたらクリエイティブディレクターとして、これまで15万人以上の学生と接点を持ち、次世代の“はたらく価値観”を提案し続けている佐藤裕さん。

“はたらく”について考え続ける裕さんは、どういった働き方を経て今に至ったのでしょうか?これまでの裕さんのキャリアライフについて、そして、裕さんが今考える、“幸せなはたらき方”についてお伺いしました。

アスリートへの道を断念。何も知らずに始まったノーネクタイでの就活。

——今、どんなお仕事をされていますか?

裕:パーソルホールディングス株式会社でグループ新卒採用統括責任者を務めています。

またパーソルキャリアの活動として、若者向けキャリア教育支援プロジェクト「CAMP」のキャプテンや、はたらクリエイティブディレクターとして活動しているほか、ベネッセi-キャリアにて特任研究員、関西学院大学経済学部ではフェローを務めており、2019年3月には、ハーバード大学の特別講師も務めました。

これらの活動の傍ら、世界のキャリア教育・就活・“はたらく価値観”の専門家として、テレビやラジオなどのメディアにも出演させていただいています。

——大学をご卒業後の進路を教えてください。

裕:大学卒業後、外資の人材系のコンサルティング会社に就職し、5年弱勤めていました。企業の採用周りに関するコンサルでしたが、人材ビジネスや広告など、幅広く担当させていただきました。

——裕さんはどのような就活をされていたんですか?

裕:学生時代はずっと野球に打ち込んでいたんですが、卒業のタイミングでアスリートとして生きてくことを断念し、そこから就活を始めました

スタートも遅く、就活のことを何にも知らない状態だったので、就職した企業の説明会にもノーネクタイ、手ぶらで参加するような学生でしたね。

——どういう経緯で就職先を決められたんですか?

裕:実は企業説明会での僕の態度が良くなくて、人事にそれを指摘されたんです。

お話をしているうちに「また、いらっしゃい」と言っていただき、何度かその企業に出向きました。

社会勉強のつもりでお邪魔していたんですが、今思えばあれが全部選考の一環だったんでしょうね。

数名の社員と会い、最終的に社長から「お前が欲しい」と、握手を求められたんです。

僕はその人が社長とは知らずに会っていたんですが…(笑)

——その言葉で就職を決められたんですか?

裕:そうですね。当時の僕にその言葉はとても刺さったんですよ。

「僕自身を必要としてくれている」という気持ちを強く感じることができ、「この会社で働いてみよう」と思えたんです。

——就活のルールやマナーを知らずに挑戦していた当時の裕さんを会社に招き入れたのには、どんな理由があったと思いますか?

裕:当時、その会社が日本で初めて新卒を採用するタイミングだったんです。

30人くらいしか採用しない中で、僕はおまけ枠だったんじゃないかな(笑)

同期を見渡しても、みんなエリートで高学歴の中、僕だけ体育会系でしたしね。

——他はどこか受けられていたんでしょうか?

裕:アスリートを辞めた時点で就活のシーズンが終わっていたのもありますが、就活らしい就活をして、選考を受けたのは就職した1社だけなんです。

野球を辞めようと決めた頃、とあるスポーツメーカーの方から「うちにおいで」とお誘いいただいたこともあったんですが…。

——なぜそこには就職されなかったんですか?

裕:会ったこともない人に「佐藤君みたいな人材がうちの会社に欲しい」と言われても、「この人は僕の経歴しか見ていない。僕じゃなくても、誰だっていいんだな」と悲しくなっちゃって

そう言われたことが悔しすぎて、電話を切って泣いたのも覚えていますよ(笑)

そういった経緯もあって、就職した会社の社長からの「お前が欲しい」という言葉が心に染みたんだと思います。

「この人は、“僕という人間”を選んでくれたんだ」という風に思えたんですね。

“やりがい”よりも成果を求めた2年目。「仕事が楽しい」と感じたことはなかった。

——入社してからはいかがでしたか?

裕:なかなかうまくいかない1年でした。

同期のみんなは4月には売り上げを出していたのに、僕は7月末でやっと売り上げが出せたという状態。

でも全体ミーティングの司会とか任されて、「金は稼いでないけど元気あるやつだな」って周囲に思われていたんじゃないかな(笑)

だた、僕に良くしてくれていた同期を否定し続ける上司に嫌気がさして、交差点で上司を投げ飛ばして無断欠勤したり、色んな意味でギリギリの1年目でした(笑)

——破天荒な感じですね…。2年目からはどのような働き方をしていたんですか?

裕:2年目からは仕事が割とうまくいくようになっていったんですが、思うように売り上げを出せなかった1年目の経験から、仕事自体のやりがいより、“お金を稼ぐ”ということに執着していくようになりました

「仕事が楽しい」という感覚は正直全くなく、常に成果や売り上げばかりを意識していたように思います。

——いつ頃までそのような状態が続いたんでしょうか?

裕:4年目に入った時くらいまでですね。成果や売り上げばかりを意識して仕事をしていると、仕事ってうまくいかなくなってくるんです。

成果は出しているけど、特に飛び抜けているわけではない。トップを取れても、その成績がキープできない。

周囲に期待されていることはわかっていましたが、ずっと不安定な成績が続いていました。

「君はパートナーではなく、ただの業者」クライアントの一言で転職活動へ。

——次のステージに進まれるきっかけは何があったんでしょうか?

裕:メイン担当をしていた企業のある人に、とてもかわいがってもらっていたんです。

ただ、ある日飲んでいる時に、「君はパートナーではなく、ただの業者だね」と突然言われて。

今でも明確に覚えているくらい、衝撃の一言でした。「え?どういう意味?」って

——その言葉にはどんな意図があったんでしょうか?

裕:「成績はナンバーワンなのに、どうしてですか?」と聞くと、「人事というのはとても幅のある仕事のはずなのに、君は1つのことしかやっていない。会社の中でトップを取っているみたいだけど、この業界の中では君は何番目のコンサルなの?」と。

僕は何も答えられませんでした。

——それを聞いてどう思われましたか?

裕:おそらく、答えられなかったことに意味があったんですよね。

自分はまだまだ視野が狭く、井の中の蛙なんだということを思い知らされた気持ちでした。

そこから、初めて会社の外に目を向けるようになり、次の日から転職を意識するようになりました。

——次の日からとは切り替えが早いですね!転職活動のテーマは?

裕:自分の市場価値を上げることです。

“自分は世の中からどういった評価を得られるかを、この転職活動を通じて試してみようと思いました。

入社以降、会社の一員として機械的に動いていた自分から、アスリート時代の個人としての感覚に戻ったような気持ちでしたね。

——業界や職種はどのように選ばれて転職活動をされていたんでしょうか?

裕:業界や職種は関係なく、とにかく“個人”で勝負しようとしていました。

初めに、メインで担当していた企業から内定をいただいたんです。人事か営業かどちらでもいいよと言っていただいたんですが、せっかくの転職活動ということもあり、もう少し他も見てみたいなと思いました。

——他はどういった企業を視野にいれていたんですか?

裕:これまでの業界と関係ない所でも自分を試してみたかったので、広告代理店や金融系も視野に入れて活動していました。

——結果はどうだったんですか?

裕:最終的にジャンルの異なる大手企業5社から内定をいただきました。悩みに悩んだ上で、まずお断りしたのは金融系。これは、自分の考え方と会社の理念があまりハマらないかもと感じたからです。

その次に、「商品」を扱う2社をお断りすることにしました。

——それはなぜですか?

裕:僕の考えている市場価値は、モノがあることで成立するということではなかったんです。

“見えないものを見せる力”というような、つまり、その企業がすでに構築している商品を介してではなく、自身の人間性そのもので勝負することにこそ価値があると考えたんですね。

僕がいなくても勝手に売れていくような商品を、力を入れて売っていく、というイメージが持てなかったんです。

——残りの2社は?

裕:残りの広告代理店と人材系の企業は大手だったんですが、会社に価値がある=社員に価値があるということではないなと思い、お断りすることにしたんです。

というのも、人材系の会社で少しフリーとしてお手伝いさせていただいた時、優秀か否か関係なくどの社員もどんどん電話でアポを取るのを目にしたんです。

正直、「大手だと、これだけスムーズにアポが取れるなんて、世の中は社名に価値を置いているんだな」と感じました。

会社が有名というだけで成績を上げられるっていうのは、僕がテーマに掲げていた“自分自身の市場価値を上げる”こととはイコールにならなかったんです。

——大手5社の内定を辞退し、次はどういった動きがあったのでしょうか?

裕:転職活動のきっかけとなった人が、インテリジェンス(現パーソルキャリア)に僕を紹介してくれたのをきっかけに、話をお伺いしに行くことになりました。

実は、当時インテリジェンスは好きな会社じゃなかったんです(笑)

前職とも近いジャンルだったし、ライバル的な意識も持っていたので。

——そこからなぜ、インテリジェンスで働かれることにしたんですか?

裕:暇だったし、敵を知るような感覚で1次面接を受けることにしました。ところが、そこで面接を担当した人事が、めちゃくちゃ会社のグチを僕に話してくるんですよ(笑)

「これは何かの戦略か?」とも思いましたが、そのグチが何だかとっても愛のあるものだと感じられたんです。

「なんか面白そうな会社だな」と思い、「次も来ます」と勝手に自分から面接を希望し(笑)、どんどん面接を進めていただき、最終的に転職することを決めました

——決め手は何だったんですか?

裕:当時のインテリジェンスって、まだベンチャー企業だったんです。会社が成長していく中で、自分もその発展途上の時代を共にすることに意味があるんじゃないかと感じたのが大きかったですね。

年齢、性別、新卒か中途かなんて関係ないといった雰囲気を感じ、中途採用の僕でも、この場所で新しい価値観が作れるんじゃないかと思ったんです。

——転職活動中、「起業しよう」と思われたことはなかったんでしょうか?

裕:考えたことはありますが、自分の市場価値を上げることが最優先事項でした。それに、起業するには、まだまだ実力不足だとも思っていましたしね。

最近もよく言われるんですよ、「起業しないの?」って。

でも、なぜ僕が起業しないかというと、自分がやりたいことをやるためなんです。

——というのは?

裕:起業という選択肢よりも、パーソルグループというプロフェッショナルな組織に属していた方が、活動の幅が格段に広がるんです。

個人では、とんでもなく売れない限りは、大きな範囲で動くことって難しい。

でも会社の力と自分の持っている力とを合わせれば、すごく大きなパワーになるんです。

そういう経緯からパーソルキャリアで働き始めて、もう13年目になります。

転職後、不要なプライドを捨てることで得た仕事の楽しさ。

——転職してからはいかがでしたか?

裕:先輩たちにたくさんのことを教えてもらい、真摯に仕事と向き合うことができました。

「こんなやつがいるよ」と社内の色んな人に紹介してくれたり、大きなプロジェクトを任せてくれたり。それこそ、仕事だけでなく、お酒の飲み方からプライベートまで、たくさんのことを教わったと思います。

——転職後、何か印象的な出来事はありますか?

裕:ある大きなプロジェクトを任せていただいた時、1週間ほど時間を費やしてプランを練ったんですが、途中で自分には到底できない要素がたくさんあることに気づいたんです。

でも26、7歳の頃で、変な意地というかプライドもあり、そのことを上司に言えなかった

言えないままプレゼンを迎えてしまい、あろうことか僕、プレゼンを途中で辞退したんです。

「ごめんなさい、できません。嘘ついてました」って

——え!それからどうなったんですか?

裕:窮地に立たされた気分だったんですが、誰も僕を怒らなかった

その場で何が足りないかをすぐに確認し、各所に電話をして必要なものやスケジュールを押さえていただき、結果的にそのプロジェクトを任せてもらえることになりました

結果それが大成功して、特別賞とキャリア新人賞をもらうことができたんですよ。

——そこから裕さんは何を学ばれたんでしょうか?

裕:仕事って“不要なプライドがあるとまわらない”ということ

そして、“できないことはできないと言う”こと

当たり前かもしれませんが、その経験を基にそう考えられるようになり、仕事がめちゃくちゃ楽しくなりはじめました。

働くことが生活の一部になって、やりがいも感じ、仕事もプライベートも全部がとっても楽しい2年間でした。

リーマンショックで営業への異動を打診され、「辞めたい」と会社に伝えると…

——その後、どんな転機があったんでしょうか?

裕:充実した毎日を送っていた矢先、リーマンショックが起こりました。

入社以来2年間在籍していた人事系の組織は、縮小することになったんです。会社に残ることはできましたが、現場が大変なことになっていたので、営業へ異動してほしいと打診されました

——その時はどういうお気持ちでしたか?

裕:「成果ばかり求めていた以前のような自分に戻りたくない」という気持ちがあり、営業に異動するのは気が進みませんでした。

2度ほど断ったのですが、辞令が出てしまい、考えた結果「会社を辞めよう」と思ったんです。

——そこまでのお気持ちになられたんですね。

裕:はい。異動ではなく退職しますと伝えたら、当然引き止められると思っていたのに、やたらと退職交渉がスムーズだったんですよね。

あれ、これはおかしいな、と(笑)

——おかしいというのは…?

裕:お世話になった役員が大阪からプライベートの時間を使って会いに来てくれたんですが、第一声が「で、いつ辞めるの?お疲れ様」だったんです。

正直、「当然引き止められるんだろう」と思っていた僕には衝撃で(笑)

その言葉がきっかけで、なんだか急にすーっと気持ちが落ち着き、気づいたら「営業の現場に行くことにします」って答えていました(笑)

——もしかして、作戦だったんでしょうか…?

裕:今考えるとそうかもしれません(笑)

「うまいことやられたな」って思います(笑)

チームで頑張る楽しさを知った営業を経て、新卒採用担当へ。「CAMP」、始まる。

——営業に異動されてからの仕事はいかがでしたか?

裕:チームを持たせてもらいましたが、現場がかなり大変だったので正直きつかったですね。

でもそれで、自分にスイッチが入ったんですよ。

「この状況をなんとかしたい」と思うことで、自分のやりたいことより、“チームのみんなをハッピーにしたい”という気持ちが、すごく強くなったんです。

チームのみんなで頑張り、メンバーが成長して賞を取るなど、若い人たちがどんどん上昇していく喜びを間近で見ていることがとても楽しい3年半でした。

——そこから新卒採用担当になったのは、どういったきっかけがあったんでしょうか?

裕:営業で新しいプロジェクトが決まっていたんですが、人事本部長から飲みに誘われ「別の可能性がまだあるんだよね」と。

それが新卒採用でした。

これも、「何か裏がありそうだな」と思っていたんですが(笑)、自分を変えてくれた会社へ恩返ししたいという気持ちと、新卒採用という大役に選んでいただいた嬉しさもあり、3日間考えてそのお誘いを受けることにしました。

——実際はどうだったんですか?

裕:やっぱりありましたよ、裏(笑)

新卒採用への異動は4月1日からだったんですが、3月31日にインテリジェンスが経営統合されるという発表があったんです。

統合される側だったので、会社そのもののブランド力が下がり、内定者がどんどん辞退していってしまうという…。

僕が新卒採用担当に選ばれたのにはこういう背景があったんだな、と。

つまり、1から企業ブランドを構築していくために、僕の力を必要としていただいたということです。

——初めはどういったことから取り組まれたんですか?

裕:まず、企業ブランドを構築するにあたり、全国に出張して就活の調査を始めました。

日本全国をまわって直接学生に話を聞き、当時の就活トレンドを掴んで採用戦略を考えようと思ったんです。

——なるほど。

裕:でも、そうやって多くの就活に対する意見や素材を集めていくうちに、「就活ってイケてないな」ということに気づいたんです。

そこから今の僕に繋がる活動が始まりました。

「自社のブランド力を高めるよりも、就活そのもののスタイルを変化させる方が良いのではないか」という考えから、採用戦略ではなく、もっと大きな方を変えてやろうじゃないかと思ったんです。

新卒採用の仕事も忙しかったので、個人でまずは始めてみようと思い、7名の学生を集めて、なんでも相談室的に2時間、対話をすることから始めました。それが、2014年のことです。

——そこから「CAMP」は始まったんですね。

裕:そうですね。参加してくれた学生たちから「またやりたい、次は友達を連れていきたい」というリクエストがあり、何度も開催を重ねました

そのうちに学生の1人が、「大学の先生にCAMPのことを話したら、興味があるらしいので講演に来てほしい」となり、そうこうしている間に全国で講演活動などをすることになりました。

——たった7人とのトークセッションからそこまで広がりを見せたんですね。

裕:「CAMP」っていう名前も学生がつけてくれたんですよ。

活動を始めて2、3年は会社とは切り離した個人の活動として行っていました。

それでも、会社の仕事とうまくバランスを取りながら、年間で200本ほどトークセッションや講演を行うようになっていきました。

——個人の活動ということは裕さんはノーギャラ…?

裕:もちろんですよ!ただ、週末に講演3本とかを行っていくうちに、だんだん組織化することが必要になってきたなと感じたんです。

そこで2017年の2月、社長に「CAMP」を会社の活動としてやらせていただけないかと提案しました。

すぐに社長から「いいね、やっていいよ」と言っていただいたことで、本格的に会社の活動として動き出したという感じです。

——会社の活動を始めたことで、何か大きな変化はありましたか?

裕:会社の中で組織化されることで、これまでより大きな規模のイベントを開くことができたり、周囲から多くのサポートを得ることができたりするようになりました自分1人では不可能だったプロジェクトも、どんどん発信できるようになりましたね。

“やりたいこと”より“やるべきこと”。まずは自分の“好き”を要素分解してみよう。

——裕さんにとって、“はたらく”とはどういうものですか?

裕:僕はまず、働いている感覚がないんです。

生活と仕事が融合してしまっているので、平日も週末も意識的には変わりないんです。

“やりたいこと”より“やるべきこと”がある、という感覚ですね。

——なるほど。

裕:一方で、今の時代の“はたらく”って一日8時間じゃすまないでしょう?

移動時間や、仕事終わりの会食も含めたら、一日の3分の2を占めてしまう。

人生の半分以上が“はたらく”ことにまつわる時間になるわけです。

そこを自分のものにできなかったら、人生を自分でコントロールすることができなくなってしまう

——裕さんが、“はたらく”を楽しむために心がけていることはありますか?

裕:僕は“自分を大切にすること”を常に心がけているんです。

自分が幸せじゃなかったら、周囲も幸せにできない。

「アーティスト論」っていうのを掲げているんですが、自分がアーティストだとして、ステージでパフォーマンスをしたくても、一人では何もできないですよね。

最高のパフォーマンスをするためには、バックバンドや照明や音響、観客も最高の状態になるよう、調整に奔走しなければなりません。

自分が最高の歌を披露するためには、周りの協力やコンディションの調整が欠かせないわけです。

そういった気持ちが、自分が仕事や人生を楽しめるポイントになっていると思います。

——これからの就活市場はどうなっていくと思われますか?

裕:“キャリアを生き続ける”というのが大きなポイントになってくると思います。

——キャリアを生き続ける、というのは?

裕:終身雇用が当たり前ではなくなるこれからの時代、大手企業もリストラしてAIを導入したり、公務員だって突然リストラされたりすることも起こりえる。

でもそこで、個人に力がある人はキャリアが止まらないんですよ。

個人のキャリアを築くのが重要な時代になっていくので、若い人はそのための準備として、広い視野や価値観を持っていないといけない。

——なるほど。

裕:世界の就活を見ていても、日本の就活スタイルって独特なんですよね。

でもそうした偏った就活スタイルが続いてきた結果、現状のような、あまり良いとは言えない就活が当たり前になっている。それを打破するためにも、自分の選択を自分で持てるようになるのが大事

そうなるために、働くことにワクワクしたり、自分自身の人生の楽しみを見出したりしてほしい

若い人がそういった意識を持ち始めると、大学生活も変わると思います。

——まず何をしていいかわからないという方も多いと思うのですが…

裕:「何をしていいかわからない」というのは、圧倒的に情報量が足りていないんです。

僕が学生と話してアドバイスをするとしたら、自分には「何の情報が足りないか」を知るということ。

「こうした方がいい」と言うとその通りに行動してしまうので、まずは「君に足りないのはこの情報」というヒントを与えてあげるんです。

——そうすることで見えてくるものがあるんですね。

裕:そうです。さらに、要素分解も大切です。

「○○が好き」という気持ちがあったとしたら、「じゃあそれはなぜなのか?〇〇のどういった部分が好きなのか?どういった部分は苦手なのか?」を考えてみてください。

そうやって、ぼんやりとした“好きなこと”を細かく要素分解していくと、“今、自分が何をするべきなのか”が見えてくるはずです。

——好きなことを客観的に分解していくということですね。

裕:そうです。そうすると見えてくるのが、“want”(したい)より“must”(するべき)

みんな「やりたいことを見つけたい」って言うけれど、本当は“するべきこと”を探す方が重要なんです。

未来を読み込んで、自分の興味あることや好きなことの要素分解をすることで、考え方も強くなっていくと思います。

——“はたらく”を楽しもうとしている方へのメッセージをお願いします。

裕:僕、いつも言っているんですけど、「学生時代に戻りたい」なんていう大人とは付き合わない方がいいです

実は僕自身、「ずっと大学生でいたい」と思っている人間でした(笑)

でも今、あの頃に戻りたいかって聞かれても、全くそうは思わない

それは、今、この瞬間、仕事もプライベートも含め、人生を楽しんでいるからだと思います。

そういう人を周囲に探してほしいし、そういった価値観に触れることで、人生を変えられるような考えを身につけてほしいなと思います。

佐藤 裕(さとう ゆう)さん
「CAMP」キャプテン はたらクリエイティブディレクター
若者の“はたらく”に対するワクワクや期待を創造する「はたらクリエイティブディレクター」。
1979年生まれ。横浜出身。法政大学文学部英文学科卒業後、外資系HRサービス会社にて営業&コンサルタント職に従事。
現在は、パーソルグループ新卒採用統括責任者を務める傍ら、2015年からパーソルキャリアが運営する若年層向けキャリア教育支援プロジェクト「CAMP」を立ち上げ、大学生を中心にキャリア教育を実施。
若者の就活変革や将来への期待を創造する活動を積極的に行う。関西学院大学ではフェロー、名城大学では池上彰氏がスーパーバイザーを務める、予測不可能な時代を主体的に生きる力を養成する「チャレンジ支援プログラム」にも参画。他にも全国の大学で年間200回近くの講座・講演を行い、これまで15万人以上の学生に、キャリア・就活の支援をしている。2019年3月には、ハーバード大学の特別講師を務め、活動範囲は日本だけに留まらずアジア、アメリカと広がり、世界のキャリア教育・就活・“はたらく価値観の専門家として、テレビやラジオに出演するなど、幅広く活躍する。2020年1月8日に自身初の書籍『新しい就活自己分析はやめる! 15万人にキャリア指導してきたプロが伝授する内定獲得メソッド』が発売された。“今、企業に求められる学生”と就活最前線について記している。

転載元:CAMP
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