INDEX
さまざまな大人の“はたらく”価値観に触れ、自分らしい仕事や働き方とは何か?のヒントを探る「はたらく大人図鑑」シリーズ。
今回は、23歳で100万円の独立資金を手に、乾電池のリユース事業を始めた小林泰士さん。25歳の時に、現在代表取締役社長を務める株式会社マーケットエンタープライズを立ち上げました。今では、ネット型リユース事業を中心とした多角化ビジネスで年商80億円を超え、東証マザーズに上場を果たし、大きな企業へと成長しています。
やりたいことを探し続けていた10代から、オンリーワンのビジネスに目をつけた20代、そして、関わる人誰もが喜ぶようなビジネスを展開し、挑戦し続ける30代。これからも続いていく小林さんのキャリア人生についてお伺いしました。
やりたいことがなく途方に暮れた10代。20歳を機に人生を方向転換、起業の道へ
——今、どんなお仕事をされていますか?
小:ネット型のリユース事業をメインに行う、株式会社マーケットエンタープライズという会社の代表取締役をしています。
リユース事業とは、お客さんが不要になったものを弊社で買い取り、それを必要としている方へレンタルや販売をすることです。
手持ちのものを売り、必要なものをレンタルしたり、新しいものを購入したりするなど、“賢い消費”という選択肢を提供しています。
——どういった経緯で今の事業をスタートさせたんですか?
小:少し長くなってしまうかもしれませんが(笑)、10代の頃は流行を追うのに一生懸命な学生でした。古着やフリマも大好きで、大学に進学してからも、ファッションやその時代のトレンドに染まりきった、流行を追う普通の学生でした。
——その頃は、将来やりたいことは決まっていましたか?
小:いいえ、具体的なビジョンは持っていませんでした。
大学1、2年生の頃は、根拠のない自信だけは持っていたのですが、「自分は何をやりたいか」「将来何を仕事にしたいか」といった明確な目的は持たないまま過ごしていました。
毎日を浮かれて過ごす自分と、やりたいことが見つからない焦りとのギャップにやきもきする日々を送っていましたね。
——その気持ちを打破するきっかけは何があったんでしょうか?
小:昔から自分の中で、“20歳”という年齢が一つの区切りだと何となく思っていたんです。そこで20歳になった時、「人生を方向転換しよう」と長かった髪をばっさり切り、世界を知るためにバックパッカーの旅に出ました。
さまざまな国を訪れる中で、内戦が終わったばかりで混沌とした国があったり、一生懸命生きている人々に会ったりすることで、自分は恵まれた環境にいるんだということを痛感する旅になりました。
——旅の中で印象的だった出来事はありますか?
小:マレーシアで、20歳の現地ガイドの青年と知り合ったんです。
お金がないので大学には行かず、働いて家族を養っている彼が、自分の国について多くを語ることに当時の僕は驚きました。
「マレーシアをもっと成長させていくためには、日本からたくさん学ぶことがある。どうすればこの国は良くなっていくと思うか」というようなことを、真剣に20歳の僕に聞いてくるんです。
その当時の僕は、国という主語でモノを語った経験がなかったので、彼との会話をきっかけに「何か自分の軸になるような考え方を持ちたい」という想いを持ったことを覚えています。
——帰国後はどのようなアクションを起こされたんですか?
小:“働くこと”を知りたくて、色々なアルバイトを経験しました。20種類くらいやったんじゃないでしょうか。
同時に、仲間と事業もスタートさせることにしました。
——どういった事業を始められたんですか?
小:海外のセントラルマーケットに行き、当時流行っていたターコイズのアクセサリーを仕入れ、日本国内のフリマやネットオークションで売る事業です。その他、イベント事業も始めました。
でも実際に商売をやってみて、はじめて自分の実力不足を感じるようになったんです。それまで漠然と持っていた、根拠のない自信が崩れたきっかけでもありましたね。
社会経験の必要性を感じ、「一度就職してみよう」とベンチャーの投資会社に就職を決めました。
——ベンチャー企業を選ばれた理由は何だったんでしょうか?
小:僕には「自分が成長したい」という強い気持ちがあったんですね。
成長できるかどうかは、結局自分の意識次第だと思うんですが、その成長の度合いに大きく関わってくるのは、意思決定している人との距離の近さや、自分が持たせてもらえる裁量権、つまりは自分が持たせてもらえるボールの大きさじゃないかと思ったんです。
そこで最終的には、“自分でもボールが持てて、ゴールを決められそうな会社”で働こうと思い、創業社長が経営しているベンチャー企業ばかりを受けることにしたんです。
——就職されてみていかがでしたか?
小:営業代行を中心に、色々な仕事の経験をさせてもらいました。
ハードワークでしたが、早期にたくさんの経験を積みたいと思っていたので、何をやっても楽しくて、どんどん自分の中に仕事のノウハウを吸収している感じがしましたね。
基本的に自分のマインドが「成長したい」となっていたことが良かったんだと思います。
——意識の持ち方によって仕事のやり方も異なってくるということですか?
小:そうです。例えば、まだ人生にビジョンが無かった10代の頃は、「コンビニの夜勤のアルバイトって楽そうだな」と思っていました。ボーっと座っていればいいんじゃないかなって。
ですが、「自分を成長させたい」と思い始めた20歳以降、実際にコンビニで夜勤アルバイトを始めてみると、ビジネスとして勉強になることがたくさんあったんですね。
POSシステムで、お弁当の発注作業を志願してやらせてもらい、原価率や廃棄率、売れ行きなどを研究するなど、同じアルバイトでもマインドが違うだけで経験値が大きく変わってくる。
他人事ではなく、自分事になると、働くことって楽しいんだなと感じたんです。
——起業されたのはどういった経緯があったんですか?
小:営業代行という仕事は、商品やサービスをお客様に販売した後で改善点を求められても、自社の商品ではないため応えきれないことが多いんです。
特に、次から次へと新しい商材を担当していると、お客様から相談された時にはすでに別の商材を扱っていることも多く、どうしても歯切れの悪い答えになってします。
そういった経験をしていく中で、「純粋に目の前にいるお客さんに喜んでもらいたい」と思うようになりました。
また、「単に他社の商品やサービスを売るだけではなく、将来に対しても責任をもって成長させていけるような仕事がしたい」という気持ちが抑えきれなくなり、1年5ヵ月勤めた会社を辞めることにしました。
——起業したいという気持ちはいつ頃からお持ちだったんですか?
小:20歳の頃から「起業したい」「自分でビジネスを手掛けたい」という気持ちは持っていました。退職後、100万円を握りしめて、学生時代の仲間2人と共に3人で3LDKのマンションを借りて、共同生活をしながら独立することにしました。
——最初に手掛けられたのはどんな事業だったんですか?
小:格安電池ドットコムという、乾電池のリユース事業です。
当時、使い捨てカメラが全盛の頃で、撮影し終わったカメラの中にはまだ電力の残っている電池が入ったまま捨てられていたんです。
この廃棄処理にも1本数円がかかることを知り、商売になるのではないかと思いつきました。
そこで、廃棄される予定の使い捨てカメラを写真屋さんから譲り受け、1本ずつ電池の残量を調べ、まとめて業者向けに売る事業を始めました。
——その事業が成功されるんですね。
小:最初はもちろん売れずに苦労しましたが、画期的な安さだったこと、また原価が掛からないので利益率が100%ということも相まって、商売は徐々に軌道に乗っていきました。
廃棄処分を減らし、環境的な視点から見ても貢献できていましたし、こういったリユースで売る方も買う方もWIN-WINになれるというのはとても嬉しく思いました。
——乾電池事業の後、次に何を手掛けられたんですか?
小:学生の頃から好きだったフリーマーケット事業です。
乾電池をフリマでも売っていたので、関東の主要なフリマ会場にはほぼ出店をしていたんです。
当時のフリマ事情にも精通していたので、乾電池事業が軌道に乗り始めた時に、フリマの事業も並行してスタートさせました。
——どういった形でスタートされたんですか?
小:当初は、参加者から参加費をいただいて開催するというごく普通の形式をとっていましたが、フリーマーケットはせっかく出店者を集めることができても、当日になって雨天中止になるなど、不安定な要素が多い事業でした。
ある時、企業から運営を委託されたフリマがあったのですが、出展者集めが難しい地域だったこともあり、出店側の費用を企業が負担してくれることになったんです。
結果、出展者は無料でフリマに参加でき、来場者も掘り出し物を手に入れられ、開催企業も集客イベントとして成功し、参加した人みんなに満足いただけるイベントになりました。
この経験から、企業にこのようなWIN-WIN-WINの形のフリマ開催を提案し、最終的には36都道府県で延べ800開催ものフリマを手掛ける会社に成長しました。
自分の安全地帯から飛び出そう!茨の道を突き進み、新たな気づきを得る
——小林さんがビジネスを展開していく中で心がけていることはありますか?
小:「資金がない中で、事業がうまく行くためには何が必要か」というのを20歳の頃、よく考えていました。そこで僕が辿り着いた考えは、5つあります。
まず、圧倒的にオンリーワンな業態であること。
そして、利益率が高いこと。キャッシュフローがスピーディーであること。そして消費者と企業側が双方共にWIN-WINな関係を築けること。最後に、成長産業であることです。
——その理念を基にビジネスを転換してきているんですね。
小:最初に始めた乾電池のeコマース事業は、同業他社のいないオンリーワンのビジネスで、利益率も高く、毎月30万本ほど販売するようになりましたが、将来性がなかったんです。
次にフリマを全国規模で開催するようになりましたが、このマーケットにも限界があるなと思い、現在のようなネット型リユース事業を手掛けるようになりました。
——事業を転換される時はかなり大きな決断がいると思うんですが…
小:そうですね。でも転換期には、まず一歩進んでみて、うまくいったらもう一歩、そしてまた次の一歩というように、着実に進むようにしています。
意外と石橋を叩いて渡るタイプだと思いますよ(笑)
——これまでのキャリアの中で、小林さんが挫折を感じられたことはありますか?またそれをどうやって乗り越えていかれましたか?
小:それはもういろいろありましたよ(笑)
たくさん騙されましたし、信用していた人に裏切られたこともあります。
でも、これはもう仕方がないことなんです。
——仕方がないことというのは…?
小:「前に進もう 成長しよう」と突き進んでいく以上、この先もずっと茨の道は続いていくと思います。
自分のコンフォートゾーン、いわゆる安全地帯から一歩踏み出して外に出ていくのって、刺激が強いんですよ。
地元から出る、海外に行く、留学する、新しいバイトを始めるといった時は、刺激とストレスを感じますよね。
でもその茨の道を避けて生きていってしまったら、新しいアイディアやビジネスも生まれないし、人としての成長も期待できないと思っています。
ですので、あえて自分から色んなことに巻きこまれていくようにしていますね。
自分はなかなか変えられない!環境をチェンジし、好奇心の赴くままに行動を
——小林さんが、“はたらく”を楽しむために必要なことはなんだと思いますか?
小:僕たちの会社のベースとして、「楽しく働いたほうが良い」というのは前提にあります。
先ほどのコンビニのアルバイトの話もそうですが、何事もやらされているとつまらなくなるんですよ。
だからこれからもずっと商売そのものを自分事で楽しみ続ける集団でいたいです。
そして仕事を楽しむためには、お互いがwin-winな関係じゃないと続いていかないと思います。
——例えばどういったことでしょうか?
小:20歳の頃の僕が「起業したい」という想いから乾電池事業を始めたように、「何かやりたいけど、具体的なやりたいことがない」という人も多いと思うんですよね。
でも、学生の頃の部活でもいいですし、文化祭や体育祭でもいいんですが、仲間とワイワイ何かを実現するのって楽しかったですよね?
一人で何かをやってほくそ笑んでいるより、仲間とハイタッチして喜び合う方が楽しいし、その後の可能性も広がっていく。
その喜びが「仕事って面白いよね」という気持ちに繋がっていくと思います。
——“はたらく”ことに関する自分のルールや、これだけは譲れないというような思い、信念などがあれば教えてください。
小:好奇心を絶やさずに、興味関心のあるものに突き進むこと。
若い頃って、旅すること、人に出会うこと、本を読むことの3つでしか、人生が変わるような大きなきっかけに出会うことってないと思うんです。
でも好奇心を絶やさずに、たくさんの経験を積んで、周囲からの自分の信用度が高くなってくると、色んな人に出会えるし、良き仕事仲間も増えてきます。
そうやって、人生や仕事はより良いものになっていくのではないでしょうか。
——“はたらく”を楽しもうとしている方へのメッセージをお願いします。
小:好奇心を常に持って、動き回ってみてはいかがでしょうか。
海外へ行くも良し、新しいアルバイトをしてみるのも良し、引っ越しも良し。
住む場所や付き合う人間といった、自分の環境を変えてみると、新しい出会い、価値観に出会えると思います。
実は一番難しいのは、「自分の気持ちを変えること」だと思うんですね。
ずっと同じところで同じ仲間と同じように過ごしてきた人は、自分を取り巻く安全地帯からまだ出てきていないんです。
その生き方はもちろん否定されることではありませんが、これまでの自分のエリアから一歩出てみれば、自分の未熟さや知識欲が刺激され、自身の興味関心を惹くジャンルに出会えると思います。
刺激物にたくさん出会い、人生を広げていってみてください。
- 小林 泰士(こばやし やすし)さん
- 株式会社マーケットエンタープライズ 代表取締役社長
1981年生まれ。大学卒業後、ベンチャー企業を経て2004年に起業。乾電池のリユース事業、フリーマーケット事業を経て、2006年、株式会社マーケットエンタープライズを設立。インターネットに特化した買取・販売を独自に行うリユース事業で業界最大規模の事業を展開。2015年に34歳で東証マザーズ上場。宅配レンタルやメディア事業、通信事業など多方面に渡った事業展開を行っている。
転載元:CAMP
※この記事はコンテンツパートナーCAMPの提供でお届けしています。