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様々な大人の“はたらく”価値観に触れ、自分らしい仕事や働き方とは何か?のヒントを探る「はたらく大人図鑑」シリーズ。
今回は、 “鉄の街”と呼ばれ栄えた北九州の産業システムに、最新のITやAI技術を持ち込み、新しいビジネススタイルを構築されている下岡純一郎さん。
九州大学在学中に訪れたシリコンバレーで多様な価値観に触れたことをきっかけに、自身のキャリアの方向性が定まり、大手2社でのビジネスの経験を経て、起業の道へ。地元である北九州の産業を改革していく、若き実力者の働き方についてお伺いしました。
シリコンバレーで気づいた“ルールなしの人生”の素晴らしさ。
——今、どんなお仕事をされていますか?
下:パートナーと共同で立ち上げた、株式会社クアンドという会社で代表取締役をしています。
僕たちの会社は、最先端のIT技術やAI機能を使い、歴史ある産業や地方産業を事業変革するようなことを行っています。
僕たちが活動している北九州という街は、鉄鋼産業に始まり、その産業を支えるように工場や物流、建設といった昔ながらの産業がたくさんできたのですが、現在は様々な課題も出てきています。
そんな中、自社の事業を今後どのようにして発展させていくべきか悩んでいる経営者の方の相談に乗ることが多くなり、結果、企画・コンサルティングの段階から、次の時代に見合った新しいシステムを開発し、デジタルによってビジネスを変化させていことをビジネスとして行うことになりました。
——最先端の技術を使って、歴史ある産業をこれからの未来に対応させていく、ということですね。
下:少しわかりにくいかもしれないですね (笑)具体的に手掛けた仕事の例を挙げます。
原子力発電所にはバルブという機器が必要なのですが、原子力発電所の数自体はどんどん減少してきていて、代わりに電力自由化による小型の電力会社が増えてきている状況でした。
そんな中、バルブを売るといったいわゆる「モノ売り」のビジネスに加え、バルブを購入した後のアフターサービスも含めた「コト売り」に対するニーズが高まっていたんです。
そこで、元々メンテナンスなどにも力を入れていたあるバルブメーカーさんと一緒に、バルブを売った後のメンテナンス自体を提供するクラウドサービスを共同で開発しました。
具体的に言うと、電力会社からクラウド上にバルブの状態をアップしてもらい、それをバルブメーカー側がチェックすることで、問題を事前に防ぐことができるというシステムです。
——問題が起きてから人間が動くのではなく、問題が起きる状態かどうかを日々チェックすることで、より効率的・効果的なバルブメンテナンスサービスが提供できるんですね。
下:そうですね。これはその企業さんの強みを活かした新しい事業開発ですし、世界にも通用すると思っています。
また別の例では、とある街の釣具屋さんがネット通販の普及の影響が大きくなっているというご相談を受けました。
釣りってコアなファンが多い世界なんです。お客さんが釣れた魚を自慢しに店舗にやってきて、その時に撮った写真を飾るなどしているんですが、そのお客さんとのコミュニケーション自体が彼らの資産だなと思ったんです。
そこで、SNSのように釣った魚を投稿できて、どこでどんな釣り具を使って釣れたか、といったコメントが書き込めるツールを共同でアイデアを出しあいながら開発しました。
お客さんと店員がコメントしあうことで、釣り具だけじゃなく、釣り具にまつわる彼らが持っている情報をサービスとして提供していくわけです。
そうすることで、その釣り具ブランドをさらに好きになってもらい、店舗に来店する機会も増え、“釣り具”の会社が“釣り”の会社に変貌していくんです。
こういった、既存のビジネスを転換していきたいという会社と一緒に連携し事業を展開しています。
——なるほど。報酬はどのようにして得ているんですか?
下:最初は、困りごとを解決するという目的に対してフィーを頂きます。その後のプラスアルファの機能は開発費をあえて頂かずに、システムから得られる収益を折半しようと思っています。
そうすることで僕たちの会社も安定した収入を得ることができますし、お客さんも最初の投資をせずにシステムを構築できるんです。
——お互いにとってよい形ですね。下岡さんは、大学時代はどのように過ごされていたんですか?
下:九州大学の理学部で宇宙物理を専攻していました。
九州大学では、学生にアントレプレナーシップ(企業家精神)をつけさせようという目的で、シリコンバレーへの留学プログラムがあり、20歳の時に2週間参加しました。
その留学で将来のキャリアへの考え方が変化したんです。
——どういった経験をされたんでしょうか?
下:当時、九州での就職は、電力会社や鉄道会社といった、安定した就職先が推奨されていました。僕も何となくそういった所に進むんだろうな…という気持ちを持っていたんです。
ところがシリコンバレーで、多種多様なキャリアの方に多く出会ったことで、「レール通りの人生っておもしろいのかな?」と思うようになって。
——どういった方がいらっしゃったんですか?
下:印象的だったのは、以前大手企業に勤めていた50歳の日本人の男性です。
「仕事がつまらない」と感じながらも企業勤めをされていた40歳の時、週末に思い立ってシリコンバレーにやってきたらしいんです。
土日をシリコンバレーで過ごす中で色々な人に出会い刺激を受け、「よし、このままここに住もう」と決意し、月曜日にはシリコンバレーから日本の会社に「辞めます」と電話して本当にそのまま転職してしまったそうなんです。
そういう個性的で、行動力のある方がたくさんいらっしゃいました。
——下岡さんもシリコンバレーでの滞在から価値観が変化されたんですね。
下:はい。そういう方と色々な話をする中で、「人生にルールなんてないんだ」ということを強く感じました。多様なキャリアの方を見て、「いつか起業したいな」と思い始めたのも、そのシリコンバレーでの滞在がきっかけです。
大学院で好きなことを追求した後、就職へ。起業へ向け、グローバルな視点や売り手側の意識を学ぶ。
——帰国後はどのような道を進まれていったんですか?
下:就職に関して自分の考え方を見直し、「今は好きなことを研究したい」という気持ちに辿り着きました。そこで、京都大学の大学院に進学し、スポーツ生理学の研究をしながら、企業と商品開発などを行っていました。そして大学院を卒業後、P&Gという企業に就職しました。
——起業されたいという気持ちを持ちながら、一旦就職をされるんですね。
下:はい、将来的には起業したいなと思っていたのですが、それにはグローバルな視点を持つことが絶対的に必要だと感じていたので、世界中へビジネスを展開しているP&Gへの就職を決めました。
入社後、担当したのは紙おむつの『パンパース』という商品でした。
生産工程や商品企画を一から見直し、これまで国によって異なっていた仕様を統一することでコストを下げるプロジェクトを担当し、工場があったイタリアに1年ほど住んでいました。
——その後、転職をされたのはどういった理由からですか?
下:P&Gでの仕事はとても面白く、やりがいのあるものでした。部門別にそれぞれのプロフェッショナルを育てる会社なので、作る側の知識や経験は多く得ることができたと思います。
ですが、起業するという観点で見ると、僕にはまだマーケティング力や営業力といった売る側の知識が足りなかったのです。
そういった部分を勉強したくて、博報堂コンサルティングへ転職し、ブランド価値をいかに上げるか、といったことを中心に保険商品や車などの製品を、売る側の視点からビジネスを作って行く経験をしました。
——今の会社を立ち上げられるきっかけは何があったんでしょうか?
下:共に会社を立ち上げたパートナーは小学校の同級生で、偶然ではありますがシリコンバレーでの留学も同じタイミングだったんです。
彼も起業したいという想いを持っていたので、30歳になる直前、「折角だから一緒にやろうか」となり、ふたりで起業しました。
——おふたりで何をビジネスにするか、ということを考えられたんですね。
下:そうですね。当時、彼は東京でIT系の会社に勤めていて、僕は博報堂コンサルティングに勤めていました。
お互い色んなビジネスを仕事で見ているので、週末にビジネスの可能性についてディスカッションをしていました。
アイデアベースで「こういった外国人向けのサービスがあると良いんじゃないか」と様々なビジネスを構想していたのですが、その2カ月後くらいに同じようなサービスが世に出てくるんです。
アイデアで競っても仕方がないし、技術もすぐ追いつかれるのであれば意味がない。じゃあ、「僕たちが他の会社と差別化できる所って何なんだろう」というところに焦点を当てました。
そこで、伝統的な産業が多くある北九州の製造の現場に入り込んでいくというのは普通のIT企業にはできないんじゃないか、と思ったんです。
そこで2人で北九州に戻ってきて、今のようなビジネスをスタートさせました。
——北九州に着眼点を持たれたのは具体的にはどういった理由があったんでしょうか?
下:僕たちの地元である北九州は、鉄の街と呼ばれるくらい、工場がたくさんあって、モノが動く場所なんです。
そういった中で、“モノ×IT”という組み合わせが面白いなと思ったんですね。
北九州だからこそできることというのがあるんじゃないかと。
——起業されて2年間経たれると思いますが、会社はいかがですか?
下:プロジェクトをいくつかこなしながら、社員も15人に増えました。
どんどんエンジニアの採用が必要になってきたので、エンジニアの採用がしやすい福岡にも拠点を持ち、本社は北九州に置いています。
どこで働いていても、大切なのは「自分に何ができるか」
——すでに産業が発達している北九州で起業し、コネクションをゼロから作るのは困難なように思いますがいかがでしたか?
下:僕は今32歳で、経営者の中では若い方の部類に入ると思います。
今の時代、若者がしっかり意思を持って行動すると、きちんと受け入れてくれる土壌があると思うんです。「若い人がやっているんだから応援しよう」みたいな想いに助けられた部分も大きいと思います。
——九州でビジネスをされるにあたって、他に大変だったことはありますか?
下:東京はビジネスライクで、情や目に見えない信頼関係よりもロジカルなものが求められることが多いですが、こちらはどちらかというと、“まず第一に信頼関係、話はそれから”という雰囲気でした。
当初は、歴史ある北九州の業界に突然ITの要素を入れるということに、抵抗を持つ企業は多かったです。
これはまず信頼を勝ち得ることが先決だと思ったので、一緒にお酒を飲んでお話をたくさんしたり、工場に出向いてヘルメットと作業着で一緒に仕事をしたりしました。
提案を聞いてもらえるまでの信頼関係の構築や、自分たちの目指しているものをわかってもらえるまでが苦労した点だと思います。
——企業で働かれた経験が現在のお仕事で役に立っていると思われる点はありますか?
下:企業で働くことによって、ベースのビジネススキルが身につきました。会社ってこうやってまわっているんだな、ということに気づけたのは大きな経験になったと思います。
僕、キャリアって3つしかないと思っているんですよ。
1つ目は、会社に雇われて、その中でどうやって昇進していくか考えるやり方。2つ目は、何らかのジャンルのプロフェッショナルになり、高く自分を買ってもらえるようにスキルを身につけること。
3つ目は、自分でお金を作り上げること。これは僕が今やっていることです。
3つのキャリアのパターンを全部経験した結果、今のやり方が自分に合っているなと感じています。
——キャリアにも色々なスタイルがあるんですね。
下:少し違う見方になりますが、これからの将来、「大企業だから」「ベンチャーだから」という考え方は無くなっていくと思います。
どこの場所にいこうが、結局は「あなたは何ができますか」ってことなんですよね。
そういう意味では、これまでやってきたメーカーの生産管理や、企画立案の経験など、すべてが今に繋がっているように感じますね。
——下岡さんにとってキャリアの転機はいつだと思われますか?
下:P&Gという企業に勤めていた頃、これからの自分の働き方について思うところがありました。
グローバルを含め4万人ほどの社員がいるんですが、そこはもう一つの世界になっていて、その中でいかに上がっていくか、ということが社員たちの大きなモチベーションのひとつになっているんです。
それってある意味狭い世界だなと感じたんですね。
このポジションに行くためにこういう評価を取りましょう、という価値観の中で生きていくのが嫌だな、と。
出世コースからは外れるかもしれないけど、自分が世の中にどういった価値を残していきたいか、そのために何が自分にできるのか、ということをベースにしていきたいと思うようになりました。
——企業の中で昇進していくという働き方が、下岡さんには向いていなかったんでしょうか。
下:これは合うか合わないかだけの話なんですが、社内で評価される人って、とにかく来たボールをスピーディに打って、ホームランを狙える人なんだと思います。
「そもそも何故このボールを打つ必要があるんだっけ?」って考えてしまう僕には、ずっと働き続けるには少し価値観が違ったのかもしれません。
“楽しくないことをしないためにどうするか”を考えて働く。“やりたいこと”の抽象度を高く持つと道が開ける。
——“はたらく”ことを楽しむために必要なことは何だと思われますか?
下:自分にとって面白いと思ったことをやることでしょうか。
僕たちの会社は、どの仕事をやりたいか、社員に選んでもらうんです。
自分が面白いと思えたり、課題解決の必要性を感じたものの方が真摯に取り組めるんですよね。
——下岡さんが楽しく“はたらく”ために心がけていることはありますか?
下:なんでしょう、基本的に楽しいんですよね(笑)
逆に言うと、“楽しくない仕事をいかにしないか”というのを常に考えているように思います。
自分が苦手なジャンルは得意な人に任せるようにもしていますね。
——“はたらく”を楽しもうとしている方へのメッセージをお願いします。
下:僕もまだ、やりたいことが何なのかわからないです。
興味のある分野をやっているだけなので、「本当にこれが一番やりたいことですか?」と聞かれると、違うかもしれません。
——大学生の時はどうでしたか?
下:大学生の時もめちゃくちゃ悩みましたよ。“やりたいこと”を見つけるために自己分析もたくさんして、バックパッカーにも行ったけど、“やりたいこと”って見つかりませんでした。
それはなぜかと言うと、自分自身が知っている世界が狭いから。
じゃあとりあえず興味のあることを一生懸命やってみようというのが出発点でした。
一旦何かを始めてみて、「こんな世界があるんだ」「これ面白そう」の繰り返しで今までやってきています。
——“やりたいこと”を見つけようとすること自体が意味のない行為なんでしょうか?
下:無駄ではないかもしれませんが、考えると変ですよね。
やりたいっていう気持ちは、考えたり探したりして見つかるものじゃなくて、感じるもの。
それに、やりたいことって1つに絞らなくていいし、もっと抽象度が高くてもいいんじゃないかな?
職種ベースで考えるのではなく、「何かを企画して人に喜んでもらう」「人を教育して成長させることで誰かの役に立つ」というような、ざっくりとした想いから動き出してもいい。
今後は、今名前がついていない職業も増えていくと思いますしね。
学生のうちってリスクはあまりないと思うので、起業でも何でもした方がいいですよ。
助けてくれる大人もいるし、心おもむくままに行動してみたらいいのではないでしょうか。
- 下岡 純一郎さん(しもおか じゅんいちろう)
- 株式会社クアンド 代表取締役/CEO
九州工業大学客員准教授
九州大学理学部、京都大学大学院を卒業後、P&G、博報堂コンサルティングを経て、2017年より株式会社クアンド(http://quando.jp/)を創業。九州工業大学客員准教授。
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