INDEX
あなたは自分の「強み」を知っているだろうか?
自分の強みを正しく知り、それをどう生かしていくかということは、自分のワークスタイルの確立に大きな影響を与えるといっても過言ではない。
そこで今回取材させていただいたのが、株式会社キュービックでPRを担当しながらフリーアナウンサーとしても活躍している小笠原舞子さん。前職は札幌テレビでアナウンサーを務め、178cmという高身長でも話題に。さらに、学生時代にはミス・ユニバース・ジャパン山梨県代表にも選出されたという輝かしい経歴を持っている。
そんな彼女はどのようにして自分の強みを見つけ出し、それを自分のキャリアに活かしているのか話を伺った。
日本一背の高い女子アナが語る「夢の原点」
身長が178cmもあることで「日本一背が高い女子アナ」としても知られている小笠原さん。学生時代には抜群のスタイルを活かしてミス・ユニバース・ジャパン山梨県代表にも選出された経歴を持っている。 彼女はなぜ、“アナウンサー”という職業を選択したのだろうか。
小笠原「高校時代の部活動で放送部に入ったことがきっかけです。昔から本を音読することがとても好きで放送部に入りました。NHK杯という放送の全国大会に出たり、番組を制作したり、ラジオドラマを録音したりするなど体育会系のアクティブな環境だったので、スキル的にもメンタル的にもかなり鍛えられました。そういった活動を通して、自分の声で将来仕事がしたいと思うようになり、アナウンサーを目指すようになりました」
もともと、アナウンサーを志していたという彼女。しかしアナウンサーという職業に就くためには狭き門を突破しないといけないことがある。ミス・ユニバースに出場したのも戦略的な背景があったというのだ。
小笠原「そもそも慶應義塾大学に進学したのもアナウンサーになるため。理由はミス慶應がアナウンサーを多く輩出しているイメージがあったからです。アナウンサーという仕事を志す上で、多数の人に厳しく評価される舞台を学生のうちに経験したいと思い、その過程でミス慶應だけでなくミス・ユニバースにも応募しました。縁があって選出していただき、20歳になったばかりの私が多くの女優さんやモデルさんと同じ舞台で戦うことができたのは良い経験となりました」
「ミス〇〇」と聞くと、整った容姿や抜群のスタイルを持つ女性が華々しく活躍するイメージを持つ方も多いだろう。小笠原さんも「身長」という他にはない武器を持っている。しかし、ミス・ユニバースに出場したことで、全く違う物が得られたのだという。
小笠原「ミス・ユニバースでは、『人からの見られ方』を学びました。どうしてもアナウンサーという職業は華やかにみられがちですが、実は意外とそうでもなくて、表に立つ分、批判もされやすいんです。背が高いだけで態度も横柄だと思われたり、笑っていないだけで冷たい印象を相手に与えてしまったり…。そのため、第一印象で相手の懐に入り信頼を獲得するために大変な部分もありました。
ミス・ユニバース時代に学んだ、『人に良い印象を持ってもらうための立ち居振る舞い』や『説得力のある話し方』というのはとても参考になりました。これらは自分の強みとなってアナウンサーの仕事に活かすことができたと思っています。
自分では気づけなかった“仕事上の強み”
その後、アナウンサーとなり4年間札幌テレビに勤めた小笠原さん。そこではまた違った視点で自分の“強み”を見つめ直すきっかけになったのだという。
小笠原「入社1年目の時に上司から『何を言っているのか、全然分からない』と言われたことがあるんです。どうしてもテレビの前に立つと緊張で日本語が崩れてしまったり、主語と述語が正しく使えてなかったりしてしまうことがあって。
その上司から『自分の放送をきちんと見返して自分の日本語が正しく使えているかを考えなさい』と。
それから自分の放送を何回も見返して、何度も研究しました。その上司の言葉は弱点を強みに変えられた大きなきっかけだったと思います」
生まれ持った強み・弱みというのは自分でも見つけやすいかもしれないが、仕事上の強み・弱みとなると、簡単に見つけることは難しい。 むしろ、気づかされることが多いのではないだろうか。
小笠原「今も学んでいる途中ではありますが、『人に対して情報を過不足なく伝えること』はすごくアナウンサー時代に学びましたし、強みになったと思います。
人に何かを伝えようとすると、どうしても、どこかで食い違ったり、情報を与えすぎたりしてしまうんです。そのため、初対面の人に伝えたいことを正しく伝えられるようになるための訓練みたいなものを重点的にやりました」
話すことから書くことへ。強みを生かして新たなフィールドに挑戦
そして結婚を機に札幌テレビを退社。現在は株式会社キュービックのPR担当とフリーアナウンサーの二足のわらじを履いているという。しかしPRを務めているのは、メディア運営やマーケティングなどを行っている全く違う業種・職種のIT企業だ。
小笠原「フリーアナウンサーとしてイベントの司会などをやりながら、何か別のことにチャレンジしたいなと思って転職活動を始めました。
もともと書くことにも興味があって、最初は弊社のエディトリアルという文章編集の部署に応募しました。けれども、実はエディトリアルは紙媒体の経験5年以上が必須でした。その際、会社側から広報職はどうかと提案をいただいたんです。
どんな話の運びで私に広報職を勧めてくれているのかと不思議に思い、素直にそのことを尋ねたところ
『求めるポジションが先にあって、そのポジションに見合う人を見極めて採用するのが世間のスタンダードかもしれませんが、キュービックは逆なんです。経営理念・ミッション・ビジョン・クレドへの共感は大前提として、そこがクリアできれば、あとはヒトありき。ヒトが先にあって、ポジションが後。もちろん募集ポジションにぴったり見合う方は大歓迎ですが、候補者と実際に会ってみて、その人が本当に輝けるポジションがそこではないと判断すれば躊躇なく他のポジションを勧めます。ポジションがない場合にはつくることもあります。今回はその後者です』と答えをいただきまして。
“なんだこの会社は!”と強く興味を引かれました。採用時にこれだけヒトを見てくれる会社であれば、入社後もきっと私らしく活躍できるだろうと思い、広報としての入社を決めました」
しかし、ある程度キャリアを積むことによって全く違うフィールドに立つのは勇気がいることだろう。株式会社キュービックへの入社を機に小笠原さんが今のような働き方を選べた根底には、自分の強みや弱みを理解できているからだという。
小笠原「まず元々の性格上、とにかく暇なことが嫌いで常に動いていたいというのが根本にありました。さらにテレビ業界にいたからこそテレビの弱点を知っていたことも大きな理由です。
テレビはメディアとしては非常に大きいものですが、インターネットの台頭もあって、昔のようにこの番組を見たいから走って帰宅するなんてことはほとんどなくなりました。若年層にとってテレビの価値が少しずつ下がっているように思えます。そのような変化がある中で、私自身の働き方も時代とともに変えていけたらという風に思ったのが、今のワークスタイルを選んだきっかけになっています。
広報のお仕事の中で、PR Tableというメディアの中で執筆担当しており、社内でインタビューをした内容を記事に起こしアップしています。その際のインタビュー力はアナウンサー時代に鍛えたもの。限られた時間の中で、本当に聞きたいことを相手から引き出すためには、どんな質問が適切か。瞬時に判断しなくてはいけません。その点では自分の強みを活かせているかなと思っています。
後はライティングですね。難しさもありますが、話すこととはまた違う魅力があって面白さを感じています」
最後に今後の展望についてお伺いした。
小笠原「今のように二足のわらじが履けているのは、イマドキというか、時代の変化にあった働き方ですよね。何かひとつのものに固執するのではなく、色々な可能性にチャレンジできるロールモデルのようなものを提案して行けたらと思っています。
そのため、フリーアナウンサーとしてももっと活動の幅を広げていきたいですし、もちろん広報としてもまだまだ新人なので会社のブランディング強化に尽力していきたいと思っています」
好きなことや興味のあること対して、一貫性を持ってストイックに取り組む勉強家の一面を覗かせた小笠原さん。
キャリアやライフステージの変化とともに次々と現れる新たな課題に対しても、学びの姿勢を貫くことで弱点が強みとなり、自信へと繋がる。その強みを生み出す連鎖を体現し、輝き続けている小笠原さんのスタイルは、すでに現代に働き方にふさわしい一つのロールモデルになっているのではないだろうか。
- 小笠原舞子
- 岩手県盛岡市出身。2013年、ミス・ユニバース・ジャパン山梨県代表として日本代表を決める合宿「ビューティーキャンプ」に参加。さらに同年、ミス慶応コンテスト候補者にも選出される。その後札幌テレビ放送株式会社に入社し、朝の情報ワイド番組「どさんこワイド朝」などを担当。日本一背の高い女性アナウンサーとして日本テレビ『今夜くらべてみました』などにも出演している。現在は、株式会社キュービックに入社しPR担当を務める傍ら、フリーアナウンサーとして各方面のイベントの司会などを行っている。
取材・文:志田智恵
写真:西村克也