INDEX
不老不死へのあこがれは、人類文明と共にあるといってよい。古代ギリシャやエジプトにはフェニックス(不死鳥)の伝説が伝わり、中国の始皇帝は不死の薬を求めた。最近ではシリコン・バレーで幾つもの死を克服するためのプロジェクトが進められ、巨額の投資を集めたことが話題になった。
一般人も同様に不老不死への執着を持っている。社会にウェルネス文化は根付き、アンチエイジングを謳う商品やサービスはあふれ、医療水準が向上したおかげで人々の寿命は延びている。
「死なない」ということは、私たちに幸せをもたらすものなのか。実はそうではない。死があってこそ、生は意味を持つのだ。「よりよい生のために、よい死を」というコンセプトである「デス・ポジティブ・ムーブメント」が世界で活発化している。特に米国や英国などでは、関連イベントやワークショップが行われている。
進んだ医学に助けられ、人々の寿命は延びている Image by truthseeker08/Pixabay
死を否定する社会に生きる私たち
今の社会は死を否定しているといっても過言ではないだろう。日本を含め、多くの先進国でも、昔は皆自宅で死を迎え、その死にゆく姿を周囲の人々は日々見守った。しかし20世紀後半からは違う。亡くなる場所は病院や高齢者施設が取って代わった。昨今、自宅で亡くなった人は米英では20%強、日本では13%に過ぎない。
近代医学には「延命至上主義」の面がある。医療技術や医薬品は、患者を少しでも長く生かすことを最優先に発達してきた。胃ろうや栄養点滴、人工呼吸などがその例だ。
また死について知り、理解する手助けをしていた宗教に人々は重きを置かなくなった。米国のシンクタンク、ピュー研究所が27カ国を対象に調査し、4月発表した報告書によれば、20年前と比較して、宗教が果たす役割は失われたと感じる人は米国で58%、カナダで64%。欧州でも半分の国で同様の傾向が見られた。
少しでも若々しくいたいという、人々の欲求は常在し、衰えを知らない。「〇〇したら、歳をとらない」「若さを取り戻せる」などのハウツーに人々は飛びつき、アンチエイジング商品やサービスは引く手あまただ。
若さを追うばかりの社会に生きる私たちは加齢や死に対する認識が不足している。また若さは「成功」「勝利」である一方、死は「屈辱的」「敗北」と、誤った風に捉えている。一見、技術や商品でコントロールしているかのようだが、死を避けることは不可能だ
死を考えることで、よりよい人間になる
近年、科学的実験も踏まえた研究調査で明らかになってきたことがある。それは、死を認識することが人々をよい生に導いてくれるということだ。
科学関係のニュース・アグリゲーターである、米国の『サイエンス・デイリー』に掲載された論文でも、死の再認識がポジティブな行動に結びつく例が多いことを指摘されている。2010年のドイツはライプツィヒ大学の実験では、環境意識が高まりを見せる中、実験参加者に死を再認識させたところ、よりサステナブルな行動をとるようになったという。
また2009年カンザス大学で、米国とイランの各々の原理主義者に、他者に思いやりを持って接することを説いた聖書やコーランの一部に触れた上で、死を再認識させた。すると、お互い態度が友好的に変化したそうだ。
死を認識すれば、人は寛容で思いやりがあり、他人の気持ちを理解できる存在になることが可能なのだ。自分の中の平和主義や平等主義精神を発揮するよう努め、従来持っていた価値観やゴール設定の見直しをも行う。こうした前向きな姿勢は身体的健康の向上にもプラスになる。
デス・オーバー・ディナーの発起人は、「今まで怖くて話せなかったことをぜひ話してほしい」と勧める © James Emery (CC BY 2.0)
ムーブメントの柱は死について話すこと
「デス・ポジティブ・ムーブメント」における主要な活動の1つに「死について話すこと」がある。従来、話題にするのをためらったり、タブー視したりしてきた死について、オープンに語り合い、皆で恐れや気持ちを分かち合う。
ムーブメントを牽引するのは、各種イベントとそれを企画・実行するグループだ。代表的なのが、ケーキを食べ、お茶を飲みながら、死についての意見交換をする「デス・カフェ」だろう。限りある人生を最大限に満喫するために、死に対する意識を高めてもらおうと、スイスの社会学者、ベルナール・クレタズさんのアイデアをもとに2011年、英国で立ち上げられた。
固定店舗でなく、ソーシャル・フランチャイズの形態をとるイベントといっていい。デス・カフェが掲げる基本方針に賛同し、ガイドラインに沿っていれば、誰でも主催できる。今までに65カ国、約9,200のデス・カフェが催されている。
デス・カフェの食事版といえるのが、米国の「デス・オーバー・ディナー」だ。死は特別なことではないという意識を持ってもらうために、食事をとりながら話し合う。デス・オーバー・ディナーのウェブ上にはディナーを主催するためのプランニングツールがある。これを使えば、自分が主催するディナーで、招待客とどんな会話を展開するのがいいかなどのアドバイスを得られる。
シチュエーションは国で違うこともあるため、豪州とブラジル在住者向けのツール、宗教的背景を鑑みたユダヤ教徒向けツール、また医療従事者向けツールもある。2013年の活動開始から現在までに、30カ国の計10万人が参加している。
約1週間にわたる大がかりなイベントも米国で行われている。「リイマジン・エンド・オブ・ライフ」では、ワークショップやパフォーマンス、展覧会などを開催。それらを通して死を深く掘り下げ、生の喜びを満喫してもらおうという趣旨だ。直近では、サンフランシスコで10月下旬から10日間にわたり、300近い催しが行われる予定。昨年は予想を上回る約1万人が参加、関心の高さをうかがわせた。
ビデオやゲーム、アプリも
YouTubeには、『アスク・ア・モーティシャン(葬儀屋に聞け)』という、死を主題にしたビデオ・シリーズがある。タブー視されてきた話題を、米国の葬儀ディレクター、ケイトリン・ドーティさんが忌憚なく、ユーモラスに解説するものだ。
シリーズが始まったのは2011年。サブスクライバーは85万人近くに上り、再生回数は計約8,200万回という人気ぶりだ。ケイトリンさんは死を暮らしの一部にすることを目指し、「ジ・オーダー・オブ・ザ・グッド・デス」というグループの主宰や、本やブログの執筆も手がける。
死について話すきっかけを作るのに役立つカードゲームもある。『ゴー・ウィッシュ』は終末期を迎えた人や病人が、自分にとって何が最も大切かを割り出すのを助けてくれる。大切に思うことを生前、家族や友人に伝えることは本人にとっても、周囲の者にとっても重要なことなのだ。
携帯電話を手放せない人はアプリを利用するといい。『ウィクローク』は「幸せになりたければ、日に5回、死について熟考しなくてはならない」というブータンのことわざに触発されて開発された。ダウンロードすると、著名な詩人や哲学者、思想家による、死にまつわる格言が1日に5回届く。死が訪れるのと同じように、送られてくるタイミングは利用者にはわからない。格言が届いたら、一時、そのことについて考え、意識呼吸やめい想をするよう努める。
ラテン語で「死を思え」という意味の「メメント・モリ」。ストア派哲学者は、この言葉を念頭に置くことで、日々の生に感謝し、時間を無駄にせず、人生を充実させる努力を怠らずに暮らすことができたという。さらに人生の意味や優先事項を見出すのにも用いたという。「メメント・モリ」は古代ギリシャやローマ帝国の人々に浸透していた。現代に生きる私たちも、よりよい生を目指し、「メメント・モリ」をマジックワードとして心に留めるべきだろう。
文:クローディアー真理
編集:岡徳之(Livit)