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2019年3月15日はオランダ史上初の「全国全校種教員ストライキ」
この原稿を書いている時点ではまだ数日先の話になるが、今年3月15日はオランダの教育界にとって歴史的な日となる。オランダ史上初めて、初等教育から大学まで全教育範囲にわたる数十万人の教員たちが一斉にストライキをすることになるのだ。
指揮を執る組合員数8万4,000人を誇るオランダ最大の教職組合AObは「ワークプレッシャーは全教育現場で高まっているが、特に初等・中等教育と、MBO(中等職業訓練教育)において教員不足が深刻化している」と述べ、今年度の教育分野への30億ユーロの予算計上と、来年度以降の更なる増額を要求。不参加を表明している教職組合もごく少数あるものの、全国の児童・生徒・学生の大多数が影響を受ける。
数年前のユネスコの調査の結果を受けて「世界で一番子どもが幸せな国」のイメージが定着し、大人のワークライフバランスにも定評のあるオランダでそんな殺伐とした大イベントが行われるなんて、ちょっと意外な印象ではないだろうか。
近年頻発していた教員のストライキ
とはいえオランダの片田舎で子育てをする筆者にとって、学校から今回のストライキのお知らせが来たときは「またか」という感じだった。
今年basisschool(小学校)3年生の息子が入学した時から、年に1、2回は教員のストで学校がお休みになっていたし、「研究日」という名目で授業がない日も毎月のようにある。先生の病欠も年に何回かあるし、そもそもフルタイムで仕事をしている先生はほぼ皆無で、週に1日か2日は副担任が受け持つパターンが多い。オランダの小学校は自習がメインの授業スタイルのため、先生が副担任であろうとお休みであろうとひどく困りはしないらしい。
今年度の息子の担任はクラスの子どもたちに「ママとしての時間も大切だから、水曜日と金曜日は仕事をせずに家にいるの」と説明したとのことで、子どもたちも先生が教育者である以前に私生活をもつ被雇用者であることを自然に理解している風だった。
オランダの小学校(筆者撮影)
筆者はオランダに移住する前は日本の公立学校に勤務していた。日本では先生はなんだかんだ言っても「聖職者」で、仕事への情熱と献身を自他ともに当然と見なしていた気がする。
クラスをたった一人で一年間抱え指導する担任の責任感は大変なものだったし、近年教員がストレスや過労で休職に至るケースが急増していることも知っているだけに、オランダの先生は日本と比べてあくまで仕事として教育に従事するという共通認識なのだなあと思っていた。勤務時間の中に準備の時間もしっかり確保されているので、日本の学校のように「毎日夜の9時や10時まで職員室がにぎやか」などということもあり得ない。
今回のストライキも、「労働者としての権利の行使」であると学校からのお知らせにも明記されていた。しかしここまでムーブメントが大きくなるにはそれなりの背景がある。
「教員不足」現状と原因
オランダにおいて「教員が不足する」という声は2016年前後から上がり始めていたようだ。原因のひとつにはいわゆる「2012年問題」がある。ベビーブーマーが一斉に退職した際に教員数も大幅に目減りした。
その後中退率を下げる目的で教職課程に2015年に導入された語学と数学の「入試」により、履修者が半減(中退者の減少率も微かだった)。さらに追い打ちをかけるように国の経済の回復により相対的に給与が低い教職が(特に男性に)不人気となった。
ちなみにオランダの小学校教諭の給与は、だいたいざっくりフルタイムの平均値として額面3,000ユーロ程度といわれている。ここから税金や雑費などで2、3割がた引かれた額が手取りとなるわけで、まあ責任ある専門職としては少々寂しい額と言わざるを得ないかもしれない。
一方オランダの人口は移民の流入などにより直線的に増加を続けており、子どもの数も増えている。特に人口の90%以上が生活する都市部において、教員不足が深刻化する結果となった。現時点では2025年には全国で1万人の教員が不足すると推測されている。
最も深刻なアムステルダム市は「手段を選ばず」
特に近年人口過密となり、土地価格や家賃の高騰、住宅不足などにあえぐアムステルダム市は、当然のように教員不足も最も深刻な状況に。
教員が病欠などした際の休校、他のクラスへの生徒の割り振り、教員免許を持たないスタッフによる代講などが市内で数百回繰り返された結果、2016年から本腰を上げた。
隣接するザーンダム地区から教員をヘッドハンティングしようとしたり、教職課程を履修中の大学生に在学中から授業を担当させたり、住宅難にもかかわらず新採用の教員が優先的に入居できる住居を100件用意したりと必死だったが、結局昨年9月の今年度開始に当たっては、アムステルダム市役所に勤務する職員を60人、教職員として現場に派遣するというウルトラCを繰り出した(うち教員免許を持つものは4人)。また、自国で教員だった者などを中心に15人の難民も教員として採用。
まさに手段を選ばずに空白を埋めていたが、それでも新年度開始時点でまだ112人の教員が不足していた。
教員不足を訴え、市内での教職課程履修と就職を促すアムステルダム市(公式HPより)
ザーンダムでは義務教育なのに「週4日制」も
そのアムステルダムに教員を持っていかれそうになっていた隣接する街・ザーンダムでも、教員は決して余ってはいない。今年度は小学校をなんと「週4日制」にして凌いでいたが、これはオランダ政府の義務教育の基準に反するものだった。
ついに今年2月、児童の保護者たちから学校を週5日制に戻す嘆願書が提出された。学年によって自宅学習になる曜日も違い、共働きが基本のオランダの家庭で複数の子どもの自宅学習に対応しきれないケースが多かったためだ。
他にも教員が病欠の場合保護者が代講に入るためのシフトを組んだ学校などもあり、各自治体がこの難局を乗り越えるためにあれこれ奥の手を出さざるを得ない状況が広がっている。
金融業界と教育相が協定
そんな中今年2月、金融業界と教育省大臣がある協定を締結した。IT化によりこれから最も大量の「人余り」が見込まれている銀行や保険業界などの金融セクターから、教職に興味のある人材を訓練し、教員として養成することをサポートするという内容である。
「人余り」と「人不足」の著しい二つの業界が手を組んだとはいえ突飛な発想のようにも思え、実際「分野が違いすぎる」「今年度の教員も不足しているのに、全くの専門外の人材を0からトレーニングをするのでは時間がかかりすぎる」など批判もあるが、試験的に2016年から実施されていたプロジェクトではすでに数人の銀行員が教員としての訓練を受け、現場に出ている。
教育者としての経験不足は、授業を担当してからのガイダンスを追加することで解消した。銀行員が教員になると給与が大幅に下がることも問題と見なされてきたが、トレーニングのコストを銀行が負担したり、教師としての勤務先を協定により確保したり、週に2日教壇に立ち、3日銀行で勤務するなどの「ハイブリッドティーチング」のシフトを組んだりすることで当事者をサポートしている。
電気機器メーカーの「PHILIPS」のお膝元であるアイントホーフェンでは、同社社員(主にエンジニア)が勤務時間を近隣の応用科学大学での講義に充てることを可能にする形のハイブリッドティーチングも実施され、好評を得ている。
中央政府コメントと今後の対策
しかしここまで状況が差し迫ってくると自治体と企業にまかせておくわけにもいかず、オランダ中央政府も声明を発表した。そこには教員不足の問題が限界に達しているという認識、「全当事者の関与が必要である」という呼びかけなどとともに、中央政府の計画がまとめられている。
内容は、補助教員養成のための新しい補助金制度、教員養成大学の最初の2年間の授業料を半額にすること、学生のバイトや社会人の副業としてのパートタイム教員の拡張、現職教員の転職を食い止めるための計7億ユーロの投資、教員免許を持っていても現在教壇に立っていない人材の就職サポート、その他少ない教員数で効率的に授業を行うためのアイディア集などである。
中央政府も本腰を入れ、次年度までにある程度の教員不足解消を狙う構えだ。
6歳児なりの理解
こぼれ話になるが、今回学校からストライキのお知らせを受けた時、筆者は学校サイドが幼い子どもたちに休校を説明したのかどうか好奇心がわいて、6歳の息子に「ねえ、15日はどうして学校がおやすみになるのか、先生なにか言っていた?」と尋ねてみた。
すると息子は当然のような口調で、「先生たちは怒っているんだ。たくさん仕事をしているのに、お金を少ししかもらえないから。だから学校をお休みにして、えらい人たちを困らせて、もっと先生たちにお金をちょうだいってお願いするんだって」とさらりと答えた。
現在オランダに住んでいるとはいえ120%日本人の私は驚きで開いた口がふさがらなかった。こちらの教育システムでは3年生とはいえ、日本にいたらまだ幼稚園の年長さんの年齢の子たちである。ここまで明け透けに説明するか?!と。
しかし考えてみれば自分の権利を主張することが大切な文化において、こうして先生たちが具体的に行動している背中を見せることも教育の一部なのだろう。
他人ごとではない日本
さてすっかり遠い国の話ばかりしてしまったが、実は日本でも数年後に深刻な教員不足が見込まれている。
現在公教育の教員は50代が4割を占めており、若手はまた多く採用され始めているものの「中堅どころ」が極端に少ないいびつな比率となっている。現在ベテランとして活躍している世代が退職してしまった後の教員の数と教育の質の維持に各自治体が頭を悩ませているのだ。すでに福岡県は今まで全国的に30歳だった教員採用試験の年齢上限を59歳まで引き上げて事実上年齢制限を撤廃し、おもにUターン組などを狙って東京で採用試験を実施。高知県もこれに続いているという。
いざその時がやってきたら、日本では教員数確保にどんな手が打たれるだろうか。とりあえず市役所職員が駆り出されたり、金融界と手を組んだりしている場面は想像できないが、さて。
文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit)