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12月中旬、京都の清水寺で、年末の風物詩となっている今年の漢字が発表された。選ばれた漢字は「災」。振り返ると、北海道、大阪で起こった地震、近畿地方や西日本を襲った台風や豪雨、気象庁の観測史上最も高い記録(埼玉県熊谷で41.1度)をだした猛暑と、日本では様々な自然災害に見舞われた年だった。「災」は、中越地震が発生した2004年から2回目となる。
その年を言葉で総括したいという心理は他の国でも働くようで、イギリスのオックスフォード大学出版局が運営するオンライン辞書の「Oxford Living Dictionaries」でも、Word of the Year 2018として、検索率や事件、関心事などから世相を反映する今年の単語を発表している。
選ばれたのは「Toxic」。中毒(性)の、有害な、という形容詞で、上述のオンラインでの検索率が45%上昇したとのこと。「職場や学校、文化、関係性、ストレスを表現するたとえとしてToxicを使うことが顕著になった年だった」と解説している。
https://en.oxforddictionaries.com/より
イギリスで起こった神経剤事件
Toxicの検索が上昇したのはイギリス固有の事情がある。それは、3月に発生したロシア人元スパイ暗殺未遂事件だ。
イギリス南西部のソールスベリーで、ロシアの元二重スパイとその娘が兵器級の神経剤ノビチョクにさらされ、意識不明の重体になった。ノビチョクはVXガスの5~8倍といわれる極めて毒性の強い物質で、自国で使われたことに衝撃を受けたメイ首相は「ロシア政府が関わっていると考える以外に説明がつかない」とロシア政府を非難し、対するプーチン大統領は、事実無根だと関与を強く否定。旧ソビエト時代に開発されたノビチョクは破棄済とした。
そして3カ月後の6月、ほとぼりが冷めやらないうちに、今度はソールスベリーから10キロほど離れた町エイムベリーで同様の事件が起こった。男女2人が同じノビチョクを浴び、女性のほうは死亡した。1995年に地下鉄サリン事件を体験した私たちにとって、イギリスに住む人々のショックは想像に難くない。
世界に広がるToxicな環境
Toxicは人を瞬殺で死に至らしめる物質だけに使われるわけではない。環境問題でもToxicという単語が頻発した。なかでも深刻なのが大気汚染(Toxic air)、プラスチックのゴミ問題(Toxic waste)である。
WHO(世界保健機関)は10月末、15歳以下の世界の子どもたちの93%が大気汚染にさらされており、健康と発達に重大な危険をはらんでいると報告した。子どもが大人よりも大気汚染の影響を受けやすいのは、脳や身体の成長時期であること、大人よりも呼吸が早いことなどがあげられる。神経発達や認知能力、慢性疾患のリスクも高くなるという。子どもだけではなく、妊婦も早産や低出生体重児を産む危険性がある。
WHOの世界保健統計2018年版によると、189の国の都市部でPM2.5(大気を漂う微粒子物質を指す。大きさが2.5マイクロメートル以下のもの、髪の毛の太さの1/30程度)の年間平均濃度が高いのは1位がネパール、2位がカタール、3位がサウジアラビアと報告している(4位エジプト、5位ニジェール、6位バーレーン、7位インド、8位カメルーン、9位イラク、10位アフガニスタン。中国が15位、日本は159位)
プラスチックゴミ問題も、もはや待ったなしの状態になっている。国連の発表によると、年間、海洋に流れ込むプラスチックは800万トンで、海洋生態系に与える経済的損失は毎年80億ドル(約9,000億円)にものぼるという。プラスチックはリサイクルの効く資源として有効活用できるというのは、増え続けるゴミを前にして、もはや通用しない古い考えかもしれない。
それを証拠に、リサイクル資源として中古プラスチックを大量に輸入していた中国が2017年末に廃プラの輸入禁止の措置をとり、続いてASEAN諸国でもマレーシア、タイが運用ベースで輸入禁止、ベトナムも制限、ラオスも輸入禁止を検討している(JETRO資料より)。世界各国が脱プラを模索するなかで、海洋ゴミの解決策や、プラスチック代替素材の研究開発が急ピッチで進められている。
オランダ人エンジニアが開発した世界最大の海洋清掃システム「The OCEAN CLEANUP」
Toxicと#MeToo
Toxicは、上述した物理的なことを指す用法のほか、今年は状況を例える形容詞としても多く使われた。Oxford Living Dictionariesでは、Toxicと一緒に高い頻度で検索されたのは以下の単語だと報告。
- Chemical
- Masculinity
- Substance
- Gas
- Environment
- Relationship
- Culture
- Waste
- Algae
- Air
その中の2位にあるMasculinity(男らしさ、男性のもつ特質)とToxicを組み合わせると、今年、世界的に広がりを見せたある運動が浮かび上がってくる。「#MeToo」である。
2017年に『ニューヨークタイムズ』紙が、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインが十数年にわたりセクハラを行っていたことを暴露。同じようにワインスタインからセクシャルハラスメント、性的暴行を受けてきた女性が次々と実名で告発、アメリカの女優で歌手のアレッサ・ミラノが、ツイッター上で同じような被害を受けた女性たちに向けてMeToo(私も)というハッシュタグをつけて声をあげようと呼びかけた。それをきっかけに男性俳優、コメディアン、企業の重役、記者、政治家らが次々と告発され、北米、欧州、アジアへと広がって社会的現象にまでなった。
一方で、この運動のいきすぎを懸念する声も上がっている。
カナダの女流作家のマーガレット・アトウッドは、架空の共和国で、子どもを産む侍女として支配層たちに仕える女性を描いたベストセラー小説『侍女の物語』で有名だが、1月のカナダの『The Globe and Mail』紙に「Am I a bad feminist?」というタイトルで寄稿して論争を巻き起こした。#MeTooは壊れた司法制度の兆候であるとし、“女性や性被害者は企業や組織の体制・制度に声を届けることができなかったが、インターネットによって効果的に警鐘を鳴らす手段を手に入れた。
しかし、その次は? 司法制度が役立たずだとみなされ無視されるようになったら、代替わりするものは何なのか。誰が新しい権力を握るのか”、“極端な時代には過激派が勝つ。イデオロギーは宗教になり、背くものは背教者、異端者、反逆者のレッテルをはられ、中道派は滅びていく。フィクション作家は人間について書くので特に疑い深い。人間は得てして道徳的に曖昧である。イデオロギーの目的は曖昧さをなくしていくことだ”。
アトウッド氏は、オンラインメディアにより声なき一個人が電光石火でメッセージを伝えることが可能になっている反面、メッセージが過激化、先鋭化することで、時間をかけてしか熟成しないデモクラシーの根幹を揺るがしかねないことを示唆している。
イギリスは来年Brixit(イギリスのEU離脱の通称)が待っている。Toxicという禍々しい言葉で今年を締めくくるのは少々やるせないが、欧州連合離脱法が成立し、離脱の日を2019年3月29日午後11時と定めた。「来年はいい年にしたいよね」と、気持ちを切り替えたいところだと思うが、来年は今年以上に先が見えず、Toxicよりさらに毒性の強いネガティブな言葉が選ばれるのか、激変が吉とでてポジティブな言葉で総括するのか検討もつかない。
文:水迫尚子
編集:岡徳之(Livit)