「中東のシリコンバレー」や「起業国家(Strartup Nation)」と呼ばれるイスラエル。毎年1,400社ほどのスタートアップが誕生し、現在6,000社が存在するといわれている。
イスラエルの人口は約850万人。スタートアップの数は、人口1,400人あたり1社となる。英国の0.21社、フランスの0.112社、ドイツの0.056社などと比べると圧倒的に高い割合だ。
イスラエルはなぜ、これほどのスタートアップを生み出す起業国家となることができたのか。その答えの1つがイスラエル工科大学(Technion)にある。1995年以降、イスラエル工科大学ではスタートアップが1,600社以上誕生し、これらの売上総額は300億ドル(約3兆4,000億円)を超え、10万人以上の雇用を生み出したのだ。
2018年11月には起業家ハブ「t-hub」を開設。イノベーションをさらに促進させる構えだ。
起業国家イスラエルの根幹をなす存在といっても過言ではないイスラエル工科大学。その知られざる実態に迫ってみたい。
アインシュタインも支援したイスラエル工科大学、デジタル教育世界1位
イスラエル工科大学が創設されたのは1912年。当時ユダヤ人は科学技術に関する学問やトレーニングに携わることが許されなかった時代。シオニズムの流れが強まるなか、建国には科学技術の教育が必要になるとの認識が高まり創設された大学だ。
ユダヤ人の科学技術教育に関心を寄せていたアルバート・アインシュタイン博士はイスラエル工科大学の重要性を認識し、ドイツでイスラエル工科大学ソサエティーを立ち上げ、自ら会長を務めていたといわれている。1923年には同大学を訪問している。
1980年代以降、イスラエルのハイテク産業が急速に拡大し始めたといわれている。その中核を担ったのはイスラエル工科大学だ。
1991年ソビエト連邦崩壊を前後して、ソビエトからイスラエルに多くの移民が流入。このとき高度な技術や知識をもつ科学者やエンジニアもイスラエルに移住、それにともないイスラエル工科大学の学生数も増加したという。
イスラエル工科大学は、こうした科学者、エンジニア、学生のテクノロジー分野での起業を支援するために、多くのインキュベーション企業や組織を設立。また、企業との連携を促進するための研究開発センターを設立した。
1998年にはイスラエル工科大学・アシャー宇宙研究所が小型衛星の打ち上げに成功。2004年には同大学のアブラム・ハーシュコ氏、アーロン・チカノーバー氏らがノーベル化学賞を受賞するなど、イスラエル工科大学が世界中に知られるようになっていった。
現在イスラエルの地中海沿いの都市ハイファにメインキャンパスを、テルアビブにはMBAコースなどを実施するサテライトキャンパスを構えている。生徒数は学部が約9,000人、修士過程が3,400人、博士課程が1,000人となっている。
航空宇宙、ケミカルエンジニアリング、バイオテクノロジーに加え、コンピューターサイエンス分野での研究実績が評価されている。
2017年にタイムズ・ハイヤー・エデュケーションが公表した「デジタル教育ランキング」では世界1位となり、IT教育水準の高さを示した。
このランキングでは、企業がどの大学の卒業生のデジタルスキルが高いのかを回答。1位のイスラエル工科大学の続き、2位英UCL、3位韓国科学技術院、4位オランダ・アイントホーフェン工科大学、5位オランダ・フローニンゲン大学、6位米MIT、7位ソウル国立大学、8位スウェーデン・カロリンスカ研究所、9位英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス、10位ロシア・モスクワ大学がランクインした。
先端科学やデジタル教育への評価は高く、イスラエル工科大学との提携を望む海外の大学は少なくないようだ。
2011年には米コーネル大学との提携によりニューヨークに合同キャンパス「Cornell Tech」を開設。
このキャンパスでは、コンピューターサイエンス、MBA、法律、技術アントレプレナーシップ分野の修士コースが実施されている。Cornell Techに所属する学生は、コーネル大学とイスラエル工科大学、両方の修士号を取得することが可能だ。
また2015年には、中国広東省・汕頭大学と提携し広東省に合同キャンパス「広東・イスラエル工学院」を開設。
ケミカルエンジニアリング、材料工学、環境工学、バイオテクノロジー分野のコースがあり、修士だけでなく、学部生も受け入れている。授業は英語で実施されているという。
スタートアップ増産環境を醸成、イスラエル工科大学の特別ユニット「T3」
イスラエル工科大学からスタートアップが数多く誕生する秘密は、効率的な技術移転を可能にする研究/起業環境にあるようだ。
この環境を実現しているのが、イスラエル工科大学で2005年頃に設立されたT3(Technion Technology Transfer)オフィスだ。
T3オフィスは、イスラエル工科大学で行われている研究を商業化することを目指し、研究者と投資家、起業家、大手企業などをつなげる役目を担っている。
また知的財産のライセンス契約や企業設立の支援なども行っており、大学でのイノベーションをスムーズに事業化するエコシステムを作り上げているという。
T3の責任者ベンジャミン・ソファー氏によると、イスラエル工科大学の研究予算はおよそ9,000万ドル(約10億円)、一方MITの研究予算は15億ドル(約1,700億円)。
イスラエル工科大学の研究予算はMITに比べるとはるかに小さいが、研究の事業化によって得られた収益額はほぼ同じだと指摘。予算が限られるなか、スタートアップ企業は少人数かつタイトなスケジュールで事業化を進めることが求められる。
一方、T3の支援を受けることで煩雑なタスクを避けることができ、事業化スピードを最大限に高めることが可能というのだ。
現在T3オフィスでは90社のスピンオフ企業を支援している。バイオテクノロジー、人工知能、ブレインヘルス、医療小型ロボットなどさまざまな分野のスタートアップが含まれている。
そのうちの1社、ウェアラブル・ロボティック・エクソスケルトンを開発するReWork Roboticsは、米食品医薬品局(FDA)の認可を取得、イスラエルだけでなく米国、欧州、アジア、アフリカで展開するグローバル企業として注目を集めている。
冒頭で言及したように、イスラエル工科大学は2018年11月に起業家ハブ「t-hub」を開設。起業に特化したプログラムを通じて、学生や教員の起業家精神を醸成し、イスラエル工科大学発のスタートアップをさらに増やしていく計画だ。
イスラエルを代表するハイテク起業家、ヨシ・バーディ氏。これまでにソフトウェア、モバイル、エネルギー・水などの分野で85社以上の起業/起業支援を行った経験を持つ。彼もイスラエル工科大学の卒業生で、同大学では5つの学位を取得した人物だ。
このバーディ氏、ニューヨーク・タイムズ紙の取材で、イスラエルのハイテクシーンでは必ずと言っていいほどイスラエル工科大学の卒業生が活躍しており、イスラエル工科大学がなければイスラエルはハイテク/スタートアップ国家にはなれていなかっただろうと述べている。
イスラエルを起業国家たらしてめる重要要素の1つ、イスラエル工科大学。今後どのようなイノベーション/スタートアップが生み出されるのか、その動向から目が離せない。
文:細谷元(Livit)