ユニークな「教育大国」シンガポール

いきなり本題からずれて恐縮だが、今年日本のパスポートが「世界最強」にランキングされたことは記憶に新しい(ビザなしで渡航できる国の数が世界最多の180か国)。しかし、その際に「同率一位」のもう一つの国があったことはあまり話題にならなかった。日本のパスポートが5位であった昨年、それまで3年連続で一位だったドイツを抜いてアジア初の一位に輝いていたその国は、シンガポールである。

日本と同じアジアの島国で人口は日本の20分の1以下、総面積は50分の1以下でありながら世界有数の国際国家で、「世界第4位の金融センター」「世界で最もビジネス展開に適した国」「国民一人当たりの所得世界第3位」「世界幸福度ランキングアジア最高ランク」など、なにかと小国らしからぬパフォーマンスで話題に上るシンガポール。国際競争力を育む土壌は、おなじみの「シングリッシュ」でも知られる二か国語教育に始まる国家レベルでの英才教育である。

同国は毎年国家予算の20%を教育に歳出しており(日本は約5%)、国民の学力は世界的に評価が高い。OECDによる「15歳の時点での国際学力比較ランキング」では2015年に世界トップに上り、大学評価機関Quacquarelli Symondsが毎年発表する世界大学ランキングでは、今年発表の2019年版で北京の清華大学が突如キックインするまでアジア唯一のトップ20常連国だった。


シンガポールの街並み(ぱくたそより)

「教育先進国」にならざるを得なかった事情

同国がこのように教育熱心になった理由は大別して2つある。一つは自国に資源が乏しく「土地はもとより食糧も飲み水までも周りの国々に頼らざるを得ない『超資源貧乏国』」として、人的資源しか国を支えるものがないという、言ってしまえば懐事情。

もう一つは二か国語教育を強力に下支えすることになった同国の民族構成だ。先述の理由で自国民の人材開発に余念がない一方、優秀な人材を海外から吸収すべく積極的に移民政策を推進した結果、現在いわゆる「シンガポール国籍」を持つ居住者は全体の6割程度。その「国民」も1965年の独立当時ですら中国系・マレー系・インド系など多民族で成り立っており、全国民の共通語としての英語(イギリス統治時代の行政用語であった)の普及が急務だったという歴史的・社会的背景がある。


シンガポールの小学校(シンガポール教育省公式YouTubeチャンネルより)

学校における順位記載を廃止

その教育熱心なシンガポールが先日、教育について意外な決断を下し話題になった。いままでは日本と同様学校では勉強のモチベーションを高めるため、成績表にクラスやテストでの順位が記載されてきたが、このほど教育省の決定により、成績表に順位を記載することを全国的に廃止。その理由は、まず順位への過度な心配が勉強の妨げになっている可能性があること。そして「学習は競争ではなく、個人の成長のためである」という政府の基本的な考え方を示すためである。

小学校1年生と2年生の成績表からはテストの学年平均・中央値、最低・最高点数、赤点のマーキング、学年末の合否など、順位や点数に関する記述を抜本的に廃止し、両学年は来年からテスト自体実施しない意向。生徒の学習評価は、数字ではなく「質的な情報」に重点を置き、ディスカッションや宿題などから、子どもたちの学習進捗を把握するという。中学年から中等教育までの生徒はこの対象ではないが、テストの結果は小数点以下を四捨五入して正数で表すなど、点数に細かくこだわらない方針を打ち出していく。

教育相のオン・イエクン氏は「クラスや学年で1番や2番という評価は子どもにとって名誉な勲章として歓迎されてきた」ことは認めた上で、今回の改革の意図を「勉強は競争ではなく生涯続く自己鍛錬であるということを、幼少時から子どもが理解できるように」と語った。とはいえ「成績表には何らかの形で生徒の成績の相対的な評価や、得意不得意が分かるような指標は残す」としている。

変化が求められる背景

「教育先進国」のシンガポールがこのように舵を切った背景には、もちろん時代のニーズの変化がある。社会が円熟し、国のためにパフォーマンスを上げることよりも国民のQOLが重視されるようになったこともあるだろうが、おそらくもっと大きな要因は世界的な潮流と同じ。IT化・AIの活用などにより、社会に求められるクオリティが点数で測れるような「知識」よりも、「人間力」に傾いたことである。今年開催されたWorld Economic Forumの会合においてもIT技術が人間にとってかわったことによる「人余り」「リストラ」が大きな問題として提起され、その高度IT社会においてもなお必要とされる人材の資質として、創造性、共感性、調整力、感情知性などが指摘された。

同フォーラムが今年発表した「仕事の未来に関する報告書」は、今から2022年までの間に仕事場面で必要とされるスキルは42%変化し、単純作業・記憶・簿記などの必要性が下がる一方で、クリティカルシンキング、自発的な学習、分析的思考などの必要性が上がると予測「それらの人間的なスキルの学習には、生涯学習が必要となる」と指摘しているが、これも先述のオン教育相の「生涯続く自己鍛錬」という言葉と重なる。能動的に自分の軸をもって豊かな創造性と感情力を発揮しながら仕事をする人物像は、点数や順位にこだわって受動的に知識を詰め込む優等生ではなく、自分の成長のために能動的に勉強することで育まれる自律的で幸福な個人であるという考え方が見て取れる。

日本の現状

さて、比べてわが国日本はどうだろうか。実はこれまでも「暗記重視・点数と順位重視」の学習スタイルからの脱却を図り、各地で工夫は重ねられてきた。偏差値の廃止など、学校から国まで様々なレベルで、何度試行錯誤されてきたか分からない。ただ多くの学習者の「勉強」の最終目標である高校・大学入試のシステムが依然として暗記学習と偏差値をベースに成り立っている以上、「偏差値」というハシゴだけ取り外されても混乱を招くだけで定着することはなかった。

その後の就職活動でも「偏差値の高い大学出身である」ことは知性と人格の証明として重視されるし、そもそも現在の日本の労働文化ではまだ多くの会社組織で「既存のシステムの是非はともかく、与えられた条件下で努力ができる忍耐力・適応力」が求められる。点数重視の学習競争で他の生徒よりも優れた結果を出すことは、根強く無視できない意義を持っているのだ。また圧力の強い詰め込み教育は、ストレスに強く一定水準の知識と教養を持った国民が揃うという社会にとっての利点もあった。

ただし変革の波は確実に押し寄せている。現行のいわゆる「センター試験」は2019年を最後に廃止され、代わって2020年から実施となる「大学入学共通テスト」では、「知識・技能」だけでなく、「思考力・判断力・表現力」を一層重視するという考え方に基づき、各教科での(段階的な)記述式問題の導入と、英語での「話す・聞く」を含む4技能の出題が予定されている。

また、今年閣議決定された教育振興基本方針においては、「今後の教育政策の基本方針」の第一項目に「夢と志を持ち、可能性に挑戦するために必要となる力を育成する」ことが挙げられている。元来、義務教育の目的の半分は社会にとって望ましい市民を育てるという国家の要請に基づいているが、時代の要請に応え個人の能動的な思考と成長が重視されるように変化していることが伺える。

ある「ヨーロッパの教育先進国」の例

ちなみに、最近「子どもが世界一幸せな国」などと評価されヨーロッパの教育先進国として取り上げられる機会の多いオランダも、徹底した「個人内評価主義」である。

進路決定や発達のチェックなどのために毎年IQテスト的なものは実施されるものの、「テスト」と呼んでしまうと子どもが負担に感じ本来の能力を発揮できなくなる恐れがあるため、あくまで普段の学習活動の一環といった体で実施される。もちろん定期テストのスコアによる順位付けというものは存在しない。

年齢による到達目標すらなく、徹底的に「本人を最大限伸ばせる=その子のペースに合った学習環境」に一人一人の子どもを置くことだけを配慮するため、本格的な学習が始まる6歳(標準的には)の時点ですでに留年・飛び級・特別支援学校への転校などなんでもありである。留年にも転校にもネガティブな印象はさしてなく、逆に飛び級は本人に負担を強いる選択肢としてかなり慎重な態度を取られる。

全ては学習における最小限のストレスと最大限の効果を狙ってという面が大きいが、授業のスタイルも理由の一つ。仮に理解度0でも座って先生の話を聴いていればいい日本の学校と違い、オランダの学校はある程度の説明を受けた後はひたすら自分の頭で考え、学習を進めていく(必要な時はまず友達に、それでもダメなら先生に助けを求める)という形式なので、ついていけなくなるとにっちもさっちもいかないという身もふたもない事情があるのだ。

シンガポールは幼稚園も充実させていく方針

シンガポールはまた、向こう5年間で全国に幼稚園(保育園)を20万件増設するという目標も発表した。これにはもちろん女性の社会復帰をサポートする意味もあるが、もっと大きな要因は早期教育が情動や社会性の健康な発達に重要であるという研究結果を政府が重く受け止めたということだ。2023年にはキャリア教育や自己表現力の育成などを含むより実践的な教育プログラムを開始するという。

本来かなり重いはずの教育の方針という舵を、世界の風向きを読んで軽やかに切っている印象のシンガポール。結果は数年で私たちの目の前に現れるだろう。

文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit