ニューデリーの街並み

日本のキャッシュレス化を促進「PayPay株式会社」

ソフトバンクとヤフーが今年6月に合弁会社を設立したことが、IT業界(特にFinTech界隈)で話題になっている。会社名は「PayPay(ペイペイ)株式会社」。2018年秋からバーコードやQRコードを使って決済ができる新たなスマホ決済サービス「PayPay」を提供開始し、日本のキャッシュレス決済の普及を促進していくという。


PayPay株式会社ロゴ(公式HPより)

日本の「キャッシュレス化」現状

キャッシュレス化の話題では、デンマーク政府が「2030年までに現金の一切の利用を廃止」「2017年までに紙幣及び硬貨の発行を停止」の計画を発表したことはまだ記憶に新しい。が、現時点で日本人のうち何割が「現金の一切ない社会」を具体的に想像できるだろうか。

日本は先進国の中では屈指の現金大国で、2016年の時点で国内のキャッシュレス決済の割合は20%未満。中国の60%、韓国の96%と比しても低い割合にとどまっている。

原因はもちろん真面目で保守的な日本人が「どれだけのお金を使ったか実感を持ちにくくなる」キャッシュレス決済にいまだ心理的抵抗がある(日本人と国民性が似ているといわれるドイツも、キャッシュレス化が急速に進む周辺諸国を尻目にいまだ現金主義である)、などといった文化に的な問題がベースにあるといわれている。

しかし、「偽札が少ない」「計算が得意なので現金で決済しても手早く正確に処理がなされる」、「現金を持ち歩いていても盗難の被害にあう確率が低い」など、言ってしまえば「慣れ親しんだ現金決済でいっこうに困ることがない」日本人の有能さもキャッシュレス決済の普及を阻んでいるように見える。

支出額も見えやすく利用が格段に楽なデビッドカードがまだまだ普及途上であるなどのハード面の問題もあるが、こちらはむしろ副次的なものかもしれない。

しかし昨年経済産業省が発表した報告書によると、日本政府はまず2020年のオリンピック・パラリンピックイヤーまでに外国人利用の多い店舗や施設での「100%」のクレジットカードやIC対応を、そして2027年までにキャッシュレス決済の割合を現在の倍の4割程度とすること、さらに将来的にはその割合を8割程度とすることを目標として掲げている。

これはもちろん外国人の国内消費を容易にする意味合いもあるが、それ以上に現金管理に日々割かれる手間とコストが、特にこれから少子化により人材確保が課題となっていく日本において無視できない負担となっているという事実が背景となっている。

実はインド発の技術

キャッシュレス化推進の重要性を概観したところで、今回の主役・冒頭で紹介した「PayPay」の話題に戻りたい。

専用アプリのみならず、Yahoo!JAPAN IDと紐づけできてYahooのアプリからも利用可能、利用可能店舗は「全国チェーンから地元の小規模店舗まで」、加盟店が必要な準備は方式によってはQRコードの掲示のみ、開始後3年間は店舗側の決済手数料無料として普及を促進するなど、既にビッグプロジェクトの様相を呈しているPayPay。

しかし実はこのサービスは、IT大国日本のオリジナルでも、キャッシュレス大国の北欧のどこかの国からの借用でもなく、なんとインドの企業「Paytm」との連携により初めて可能となるのだ。

「Paytm」は、インド最大のデジタル決済企業である。ユーザーは3億人以上、決済ソリューションを提供しているオフライン加盟店は800万店以上。公共料金支払いや、映画のチケット、授業料、携帯と衛星放送のリチャージなど、アプリを通じてさまざまなピア・ツー・ピア決済を即座かつ安全に行うことを可能にしている。

インド最大のモバイルインターネット企業であるOne97 Communicationsが所有し、デリー首都圏に本社を置く。投資している企業にはソフトバンク・ビジョン・ファンド、アリババ・グループ、アント・ファイナンシャルなどのビッグネームが並ぶ。


Paytmイメージ(公式HPより)

つまりはこのPayPayがブレイクすれば、「立ち遅れる日本のキャッシュレス化をインドの先進企業が救済した」という形になるのである。

リバースイノベーション

PayPayに限らず、「途上国」から生まれた技術が一気に先進国をディスラプトする時代が訪れつつある。これは「リバースイノベーション」と呼ばれており、数年前から医療などの分野で注目されてきた。

例えば、元来資源の乏しい途上国のニーズから生まれた「手に入り易くどんな環境でも利用しやすい医療機器」が、自国の医療費が高額な先進国の人々に歓迎されたり、先進国においてインフラが復旧していない被災地で必要とされたりして導入され、成功をおさめるといったケースの増加である。

従来の「先進国で開発した商品をそのまま新興国に持ち込んで市場を開拓していく、もしくはその廉価版を売る」というグローバリゼーションのあり方とは逆の流れを取り、世界60億人の「ノンコンシューマ(現時点でビジネスの対象とされていない消費者)」のニーズに応える商品を開発するところから始まるビジネスモデルが特徴だ。

先進国の企業がリバースイノベーションに取り組む場合、直接的には市場拡大の意味が大きいが、その他にも現地で開発した製品を逆輸入して国内向け事業展開を刺激する、国内でのビジネスでは思いつかなかった新たな発想やイノベーションが吹き込まれるなど、様々な面で企業成長に寄与するとして注目を浴びている。

IT界隈におけるリバースイノベーション

IT・フィンテック界隈でも事例が増えつつある。

例えば2007年にケニアで誕生した電子送金システム「M-pesa」。銀行口座を持たなくとも、インターネット回線すらなくても、代理店を通じて携帯電話のSMSを利用して送金できる便利さで、貧困層を含む国民に爆発的に普及。現在国内GDPの50%以上のマネーフローを掌握しており、近年インド・中東などを経由してヨーロッパにも進出した。

もちろんこのテクノロジーの開発・普及の背景には、先述の日本と逆の社会的背景がある。偽札の横行、治安の悪さ、インフラのあてにならなさ、そしてそんななか出稼ぎで得たお金を家族に送金しなければいけないというニーズである。しかし使いやすく簡単・確実な送金手段は、先進国の生活者にだって魅力的だ。

また、米Microsoftは「スターターエディション」の簡易版ヘルプメニューとビデオを今後アメリカ版にも導入する予定であるが、これは元来途上国のIT知識が乏しく低品質なPCを使っているユーザー向けに開発されたものが、「全てのユーザーにとって分かりやすいバージョン」として逆輸入された形だ。

米ゼロックス社にいたっては、インドのスタートアップ企業に目を光らせ、北米市場で利用可能な発明や製品を見つけるためだけのリサーチャーを雇用している(彼らは『イノベーションマネージャー』と呼ばれる)。

リバースイノベーションの本質

「リバースイノベーション」の提唱者で、2016年に『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌に掲載された論文の中で最も評価されたものに贈られる「マッキンゼー賞」を受賞した米ダートマス大学のビジャイ・ゴビンダラジャン教授は、「リバース・イノベーションは非常に大きな機会をすべての企業に提供するものだ」と語る。

事実、彼は米ゼネラル・エレクトリック社でインドと中国の未開拓市場のリサーチを任された際、同社がインドでも販売していた2万ドルの心電図マシンで検査を受けることができる人は国内でたったの10%であることに目を留め、「つまりこのマシンは人口の90%にとってはまったくの役立たずである」と判断。コンサルタントとして500ドルの心電図マシンを開発し、インドの人口の90%の「ノン・コンシューマー」を「コンシューマー」に変えた上で、その500ドルのマシンをアメリカに持ち帰り大成功をおさめた経歴がある。 

教授の語るリバース・イノベーションの本質は、「善行であると同時にビジネスであること」。効率よく利益を出そうと飽和状態の既存市場にのみ目を向けて苦戦しがちな先進国の企業に、「Value for moneyからValue for manyへ」のマインドシフトを求めている。


ゴビンダラジャン教授(Twitterより)

受賞論文の共同著者である米MITのエイモス・ウィンター氏は、現在のビジネスがリバース・イノベーションに着手する際に直面しがちな問題を2つ挙げている。

1つ目は「先進国の商品開発は戦後ずっと富裕層にばかり目を向けてきたので、貧困国の消費者固有のニーズを知らないこと」、2つ目は「既存の製品を途上国で販売しようとする企業が、しばしば『安さ』の意味を履き違えること」。

先進国で開発した製品から長所をそぎ落として安くしたものなど誰も欲しがらないとし、「だから逆に、貧困国の消費者のニーズを知ることから開発を始め、制約をバネに優れた技術を創造していくのです」と語っている。

「なぜ富裕層向けにもっと安くていい製品を開発しないのか?」という質問には「既に高価格の製品を買っている層に更に手をかける必要はないから」と応え、様々なニーズが手つかずで山積している途上国だからこそイノベーションが生まれる構図を浮き彫りにしている。

リバースイノベーションと日本

先述のゴビンダラジャン教授は「日本のグローバル企業は極めてポジションがよくない」とも指摘する。それは能力の問題ではなく、途上国に進出する際に既存の戦略を「移植」しようとするマインドセットの問題であるという。

まず現地のノンコンシューマーたちが直面している問題を知り、世界一流の能力を使ってその問題を解決できるプロダクトやソリューションを開発することできれば、「そこには素晴らしいビジネスチャンスがある」と発見できる。

事実世界には160の貧困国(GDPの合計額は30兆ドル)と60億人のノン・コンシューマーが存在する。「先進国」の企業が自国用に開発した製品の進出に苦戦している一方で、現地の消費者をよく理解している地元企業がイノベーションで市場を掌握し、先進国にも進出すれば、「先進国」と「途上国」が一気に逆転もあり得る。

今回日本に進出したインド発の技術も、リバースなドラマを巻き起こすかもしれない。とりあえず海外在住の筆者としては、アプリを用意し、次回日本に帰国したときにどれくらいの店で使えるか今からワクワクである。

文:ウルセム幸子
企画・編集:岡徳之(Livit

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