日本を含め世界的に議論が巻き起こっている「ベーシック・インカム」。一部の国で試験的に導入されており、その効果に注目が集まっている。

イタリアでこのほど発足した連立政権の一翼を担う政党「五つ星運動」がベーシック・インカム導入を公約に掲げるなど、本格導入を目指す国も出てきている。

しかし一方で、フィンランドは2017年1月から実施しているベーシック・インカムの試験運用を終了期限となる2018年末以降は延長しないことを発表。いくつかの課題が浮上したためと考えられている。

こうしたベーシック・インカムに関わる最新動向を見ていると、その議論のほとんどが近視眼的で、長期的には国の経済力を衰退させてしまう危険性をはらんでいることが分かってくる。

今回は、欧州で巻き起こる議論と取り組みからどのような課題が明らかになったのかをお伝えしつつ、これまでとは異なる切り口のベーシック・インカム論を紹介したい。

イタリアとフィンランドのベーシック・インカム議論

2018年3月イタリアで行われた総選挙では、新興政党「五つ星運動」が最大得票率を獲得した。五つ星運動は反エリート主義を掲げ、低所得者減税やベーシック・インカムの導入を公約に掲げ、貧困層からの支持を広く集めたといわれている。


「五つ星運動」の支持者たち

イタリアでは経済の低迷が長く続き、失業率と貧困率が急速に増加。ロイター通信によると、イタリアの失業率は北部で10.8%と2008年比で4ポイント増加、南部では18.3%と7.2ポイントも増加している。

若者の失業率に至ってはさらに深刻だ。南部では2008年比で13ポイントも高い46.6%に達しているのだ。イタリア経済の将来に希望を持てず、海外移住を計画する若者も少なくないという。

貧困者数も2006年の170万人から、2016年には470万人に増え10年で2倍以上に膨れ上がっている。こうした経済・社会的な背景があり、反EU・反移民を訴える五つ星運動に票が集まったようだ。

しかし、これらの公約に関して、実行するための財源が明確に示されておらず、ばらまき政策と批判されている。

イタリアの公的累積債務はGDP比で130%以上とギリシャに次いで高い状態で、財政は悪化している。地元報道などによれば、内需回復によるGDPの底上げを狙っているとされるが、イタリア国立統計研究所やエコノミストらは、同国のGDP成長率がこの先鈍化すると見込んでいる。

さらに、減税政策により大幅に税収が減る見込みで、ベーシック・インカム政策を実行できるかどうかは、かなり不透明な状況といえるだろう。

フィンランドでも、ベーシック・インカムへの風当たりは好ましいものではない。同国では、2017年1月から2,000人の失業者を対象に、ベーシック・インカムの試験運用を実施している。

しかし、今年4月に試験運用の終了期限となる2018年末以降は延長しないことを決定。延長中止の明確な理由は明らかにされていないが、試験運用の制度設計に携わったオリ・カンガス教授はBBCの取材で、フィンランド政府のやる気が消えうせ、追加の資金拠出が拒否されたと語っている。

ニューヨーク・タイムズの2017年7月の記事がフィンランドのベーシック・インカム試験運用の問題点を指摘し、この時点でうまくいかないであろうと予測していた点は興味深い。

この記事は、試験運用の第一のゴールが「雇用促進」に置かれていたことが大きな間違いだったと指摘している。雇用促進というと聞こえは良いが、実際のところは低賃金で低生産性の仕事に就くよう促すものだったという。職業訓練や教育を通じて、より良い仕事を見つけ、貧困から抜け出すというシナリオは考慮されていなかったようだ。

またイタリアと同様、ベーシック・インカム議論の背景には、同国の経済不況とポピュリスト的な政治が関係したことも示唆している。

脅威論の根底「汎用人工知能」は本当に誕生するのか?

ベーシック・インカムの議論はいまに始まったことではなく、18世紀後半ごろまで遡ぼれるといわれている。20世紀にも米国やカナダでいくつか関連する実験が行われていたようだ。この頃は、研究者や政策決定者の間で議論されており、一般に広がったとはいえないだろう。

ベーシック・インカムという言葉が一般に普及したのは、アルファ碁がプロ棋士に勝利し、「人工知能脅威論」や「技術的失業論」が議論され始めた2015年ごろと言っていいかもしれない。

この頃から実際に機械学習を活用した定型業務の自動化サービスや自動運転車が登場、メディアの過剰ともいえる人工知能報道も手伝って、脅威論が示すシナリオの対応策としてベーシック・インカムが活発に議論されるようになった。イタリアやフィンランドのベーシック・インカム議論はこの文脈で活発化した可能性も考えられる。

しかし、現在議論されている脅威論を前提として、ベーシック・インカムの導入を議論することは大きな危険性を伴うことを認識しなくてはならない。

なぜなら、脅威論の根底にある「汎用人工知能」が本当に誕生するのかどうかが不明であること、そして誕生したとしても、それはかなり先になり、今後数十年の産業・雇用戦略がすっぽりと抜け落ちてしまう可能性があるからだ。つまり、国の成長が見込めないまま、ベーシック・インカムを導入してしまうことになり得るということだ。

これまでの議論だと2045年ごろに、人間の能力を超える汎用人工知能が登場し、人工知能が人工知能をつくりだすシンギュラリティに到達するとされてきたが、この未来予測はあくまでもシナリオの1つにすぎないのだ。

このことを示すおもしろい研究がある。英オックスフォード大学と米イエール大学の研究者らが2018年5月に発表した最新の論文だ。

この論文は352人の人工知能研究者に人工知能の進化スピードとその可能性について尋ね、人工知能がいつごろ、どのタスクで、人間を超えるのかを予測している。

それによると、まず2024年ごろ人工知能は翻訳で人間を超える可能性があるという。その後、2026年に高校レベルのエッセー、2027年にトラックの運転、2031年に小売店での業務、2049年にベストセラー書籍の執筆、2053年に医療手術で人間を超えるという。

そして、すべてのタスクで人間を超えるのが2060年、またタスクレベルを超えて、ありとあらゆる人間の仕事をこなすようになるのが2135年ごろという。ただし、これらの確率は50%でしかない。

もちろん、もっと早く汎用人工知能が登場すると見ている研究者もいるが、すべての意見を統合すると、上記のような結果になるのだ。

この論文が示唆するところは、汎用人工知能が登場するにしても、それは少し先になるかもしれないということであり、それまでは特化型人工知能を活用して、新たな産業・雇用を生み出す機会があるということだ。

この研究結果を踏まえて、IT企業コグニザントが予測する今後10年で誕生する新しい仕事リストを見てみると、さまざまなアイデアが湧いてくるはずだ。

たとえば、特化型人工知能が持つ精度、持久力、計算力、スピードという強みと、人間が持つ認知、決定力、共感、汎用性などの強みをどのように組み合わせ、ビジネスゴールを達成するのかを管理する「人間ーロボット・チームマネジャー」という仕事がある。

特化型人工知能が得意とするタスクが増えることで、さまざまな分野のマネジャーが必要になってくるのではないだろうか。このほか「人工知能ビジネス開発マネジャー」や「人工知能アシステッド医療技術者」「データ探偵」など興味深い職種が新たなに登場するようだ。

これまでは人工知能・ロボットの台頭で自動化が進み、それによって人間の仕事が奪われてしまうかもしれない、だからベーシック・インカムが必要だ、という議論が多かった印象だ。

一方、最新の研究が示唆するように、自動化は新たな機会をつくりだす可能性があり、これを前提としたポジティブなシナリオが議論されてもよいのではないだろうか。

人工知能やロボットによる自動化を超えて何を生み出すことができるのか。日本の閉塞感を打開する重要な一歩になるかもしれない。

文:細谷元(Livit