人は人の影響を受けて成長する。必ずしも自分の中に明確な意思を持たずとも、選んだ選択肢一つひとつが歩むべき道の解像度をあげていくこともある。弱冠23歳でベンチャーキャピタルを立ち上げた木暮圭佑氏はまさにそのひとだ。

木暮氏には「自分が信じる道」があったわけではないという。自分が何に挑むべきかがわからない人は数多い。自分が信じることを本当に正しいと自信を持つことは決して容易ではないだろう。有名起業家のインタビューや、自己啓発本、スタートアップのピッチなんかを見ていると、自分の中に強い思いがないことがだめなことのようにさえ思えてくる。

ただ、必ずしも「自分が信じる道」を見つけることだけが正解ではない。木暮氏は、“誰かを応援したい”という想いを持ち続けたことで、自分の歩むべき道に気づいていった。

木暮 圭佑
1991年生まれ 早稲田大学国際教養学部入学後、2013年6月から大学を休学し、East Venturesにてフルタイムで勤務。2014年9月に退社。2015年4月TLM1号投資事業有限責任組合を設立。General Partnerに就任。インターネットが大好きです。

「ただ誘われたから」が将来への小さな一歩につながった

23歳。木暮圭佑氏が、ベンチャーキャピタル 『TLM General Partners』を大学在学中に立ち上げたときの年齢だ。彼は「これまで自分の人生において強い意志を持った意思決定をしてこなかった」という。筆者は、在学中に起業を決意した人間が言う台詞ではないだろうと最初は思った。

ただ話を聞いていく中で輪郭が見えてくる。木暮氏は「自分」を信じて意思決定をしてきたわけではなかった。代わりに「他者」を信じて意思決定を繰り返してきた。常に「支援したいというマインドが強かった」という木暮氏はどのようにして意思決定をし、23歳でベンチャーキャピタルを立ち上げたのだろうか。

両親は一般的なサラリーマンと専業主婦。強いて言うなら、多少教育熱心なくらい。木暮氏は、そんな家庭で育った。大学も「就職でも有利になるだろう」という理由で選び、一年浪人して早稲田大学へと入学した。

入学してすぐ、木暮氏は小さな一歩を踏み出した。学年的には一年先輩になっていた高校の同級生にサークルへ誘われ、そこに入る。これが、後の大きな挑戦へとつながっていった。

彼が入ったサークルは、日中韓の学生が参加する国際ビジネスコンテストサークルの「OVAL JAPAN」だった。ビジネスに興味があったわけでも、起業を考えていたわけでもない。「ただ友人から誘われたから」と木暮氏は当時のことを振り返る。

強い意思を持って入ったわけではないにせよ、OVAL JAPANはビジネスコンテストサークルの中でも大きな規模だ。過去には、ラクスルの松本恭攝氏やクラウドワークスCOOの成田修造氏、連続起業家の柴田陽氏なども輩出している。OVAL JAPANの活動は、少しずつ木暮氏とスタートアップの距離を縮めていった。

コワーキングスペースで出会う人々にも影響を受ける

誘われて入ったとはいえ、木暮氏は活動には懸命に取り組んだ。OVAL JAPANの活動が忙しい時期では、家に帰って作業していると時間が足りないほどだったという。どこか作業するための場所を借りられないかと考えた木暮氏は、渋谷のシェアードワークプレース『co-ba』を借りた。

木暮「当時、コワーキングスペースが東京に増え始めたタイミングでした。中でも、co-baは僕がSNSでフォローしている人が使っていて、この人たちがいるなら面白そうだと思い選びました」

co-baは、当時海外では広がり始めていたコワーキングスペースの日本における先駆け的存在だった。スタートアップや、フリーランスなど多様な感度の高い人が集まり場と時間を共有して働いていたという。

co-baにはコミュニティマネージャーが配備され、横のつながりを生み、相互にナレッジやリソースをシェアし合う機能も有していた。単なる働く場ではない、関係性や次なる可能性を生み出す場として機能していたという。

OVAL JAPANの活動の忙しさもあり、木暮氏は24時間利用できるco-baへと入り浸るようになる。

木暮「夜中作業して始発で家に帰り、ちょっと寝てから大学へ行き、またco-baへ戻るという日々を過ごしていました。当時は家よりco-baにいる時間の方が長かったかもしれません」

目的の見えなかった留学先で見つけた人生の軸

OVAL JAPANやco-baを通し、それまで関わることのなかったスタートアップを肌で感じることとなった木暮氏。充実した経験をしていたが、入学から一年半後、木暮氏はポートランドへと留学する。

木暮「僕が在席していた国際教養学部は、留学しなければいけないというルールがありました。ただ、正直僕はあまり海外には興味は持てず、就職に有利になるかなくらいのイメージしかなくて。当時はモラトリアムまっしぐらな時期で、自分でも『何のために留学行くんだろう』と思いながらポートランド行きの飛行機に乗っていました」

渡米した木暮氏は現地の大学で勉強しつつ暮らしていた。それなりに忙しいとはいえ、OVAL JAPANで活動していた頃の忙しさと比べると余裕があった。時間に余裕ができると、その分考えられるようになる。その時間で木暮氏は今後の人生を考え、働く上での軸を整理していった。

木暮「ポートランドでは、日本に帰ったらどうしようと毎日考えていました。その中で自分の好きなものや、やりたいことを整理し、人生の軸として据えたのが、ファッションとインターネットでした」

息を吸うかのごとくしていた情報収集が仕事になった

元々、SNSを利用していた木暮氏だったが、プライベートな使い方が主だった。せっかくアメリカにいるのであれば、と木暮氏はポートランド留学中にアメリカのテックシーンに関する情報を発信するようになる。

木暮「元々インターネットが好きで、サービスも好きだったので、なんとなく情報は収集していました。息を吸うかのごとく集めて発信する感じで。今でも当時からの習慣を続けていて、RSSを使って1日1,500件くらいの記事タイトルは目を通しています。実際中身まで読むのは減りますが、それをやって一日がスタートする、みたいな感じでした」

当時、木暮氏の情報収集は決算情報にまでおよんでいた。ファッション領域など興味を持っていた企業に限られていたが、どのようなビジネスモデルになっているのかが気になり、決算説明会の動画などにも目を通していたという。

木暮「単純にユーザー比率、売り上げ、男女比などの情報が書いてあって、それが面白くて目を通していました。今と比べると、全く詳細には見てなかったですが。当時、よく見ていたのはスタートトゥデイですね。ファッションとインターネットという僕がやりたい領域をやっている会社というのもあり、公開されている範囲の情報は一通り目を通していました」

自分が好きで継続できるテーマを軸と定め、主体的に行動し始めたことで木暮氏の人生はさらに変化していく。

ポートランドから情報発信を行っていると、木暮氏のアカウントはベンチャーキャピタル『East Ventures』でディレクターとして働いていた鳥居佑輝氏の目に留まる。

木暮「突然TwitterでDMが来て、『日本に帰ったらインターンしないか』と誘われたんです。ただ、当時僕はベンチャーキャピタルがどんな仕事をしているのかもあまり分かってなくて(笑) いろんなスタートアップと関われるのは面白そうだなと思って、帰国後はEast Venturesでインターンをはじめました」

インターン先で学んだベンチャーキャピタリストとしての姿勢

またしても、「誘われたから」という理由で始めたEast Venturesのインターンだったが、実際にさまざまなスタートアップと関わる中で、木暮氏はその面白さに目覚めていく。大学も休学し、計一年三ヶ月の間フルタイムで働いた。

木暮「実務面のなんでも屋でした。オフィスのゴミ捨てから、大事な契約書を届けるまでなんでもやりました。East Venturesパートナーの松山太河さんに言われたことや、出資先の起業家に言われたことをとにかく全部拾う日々を過ごしました」

木暮氏がなんでも屋的に業務を担当しながら学んだのはベンチャーキャピタリストとして一番大切なマインドセットだという。

木暮「East Venturesでは、起業家が1番で、ベンチャーキャピタリストはあくまで2番手、3番手の存在であることを徹底しています。責任は負いつつも、あくまで起業家をサポートする立場であるという考え方です。僕はこの考え方に強く影響を受けました」

当時大学生だった木暮氏は、「なにもできなかった」。営業を支援することも、開発を手伝うこともできない。それでもスタートアップの力になろうと取り組んできた木暮氏は、常にスタートアップのためになにができるかと考える癖がついた。

木暮「起業家が成功すればなんでも良い。そのためであればトイレ掃除でも何でもやります。いまでも変わらないスタンスの土台がこの時期に出来上がったんだと思います」

兄弟子の言葉が、自分をベンチャーキャピタリストとしてのキャリアへと導いた

ベンチャーキャピタリストの仕事に楽しさを見いだす中、木暮氏の転機となったのはEast Venturesでの兄弟子で、2012年に自身でも独立系ベンチャーキャピタリスト『anri』を立ち上げた佐俣アンリ氏からの一言だった。

木暮「アンリさんから『ベンチャーキャピタリスト向いてると思うよ』って言われて。はじめて、今後もベンチャーキャピタリストとして働いてみようと考えるようになったんです」

ベンチャーキャピタリストになる方法はいくつか存在する。木暮氏は、自分なりに投資先の成功を第一に考えた結果、自らファンドを立ち上げようと考えた。

木暮「自分が預かっているお金で投資する方が、言葉の重みも責任の重さも圧倒的に変わります。そうすれば、必然的に投資先のことも本気で考えるようになりますし、成功するために必要なことも最大限支援してあげられるんじゃないかって考えたんです」

木暮氏はEast Venturesでの一年三ヶ月のインターンを経たあと、復学。卒業後にファンドを立ち上げようと考えた。

後押しがあったから挑戦できた

木暮「卒業してからでも間に合うから、ベンチャーキャピタルの立ち上げは卒業後にしよう、となんとなく思ってたんです。そうしたらアンリさんから突然連絡がきたんです。『卒業まで待つなんて、やる気が感じられない』って。お世話になっている方だからこそ、そこまで言われて僕もビビっちゃって。やるしかないと思い2015年の1月からすぐに準備を始めて、4月には立ち上げ。想定より一年早くはじめる形になりました」

突然の状況に焦りながらも、木暮氏は在学中に独立系ベンチャーキャピタル『TLM General Partners』を立ち上げた。木暮氏は当時の決断を振り返り、少し間を置いてから、ぽつりと「でも、すごく感謝しているんですよ」と言葉を続ける。

木暮「自分で強い意志を持って独立するって、難しいことだと思うんですよ。独立してしまうと年齢なんて関係ないですし、ベンチャーキャピタリストはあらゆるビジネスに関する知識が求められる。先輩方と比較したら、僕はきっと自分の足りない部分が気になってしまう。ベンチャーキャピタルは投資家のお金を預かる大切な立場でもある。自分だけではなかなか決断できなかったと思います」

人が決断する際に、人の後押しが必要なこともある。だが、背中を押してくれる人は誰でもいいわけではない。

木暮「アンリさん自身、崖から落とされるようにベンチャーキャピタリストの世界に飛び込んだからこそ、僕へも同じように崖から落としてくれたんだと思うんです。覚悟の大切さを知っているからこそ、僕を追い込んでくれた。逆に当時を振り返ると、アンリさんのように20代で独立した方が信じて後押ししてくれたから、僕はここまで進んでこられた」

たとえ、自分に自信が持てなかったとしても、自分を強く信じてくれている人を信じてみることで道が拓けることはある。

成功すると信じられる起業家がいるからこそ、投資できる

木暮氏はヒカカクを運営するジラフをはじめ、計20社へ投資している。これまで選んだ投資先は、ほとんどが同年代の起業家だ。自分は悲観主義だという木暮氏だが、投資先の話になると「絶対に大丈夫」と自信を持って答えてくれた。

木暮「投資先全員が成功すると信じています。スタートアップの成功確率からすると、6~7割は失敗すると言われています。それを知った上で、僕は全員成功して欲しいと思っていますし、僕の仕事はそれをいかに応援できるかなんです」

自分を信じられないときでも、誰かが強く信じてくれるのであれば前に進める。木暮氏が、これまで実感してきたことだ。

木暮「起業家自身、本当に成功できるか心配になったり、自分を信じられなくなることもあります。そのときに僕が信じなかったら誰が信じるんだと。僕はぶれることなく起業家を信じ続けていきたいです。たとえ成功しなくても、会社がなくなる最後の最後まで、起業家を信じてあげたいんです」

支援する形はベンチャーキャピタルだけではない

自分ではなく、全ての投資先の成功を全力で信じる木暮氏は常に自分ではなく「周囲を信頼」してきた。自分が信じる相手、自分を信じてくれる相手。それぞれの存在が木暮氏のいまを作っている。

木暮「僕は人を支援したいというマインドが強いんだと思います。起業家が好きだし、起業家が難解な課題を解くのが見たい。だから支援しているというのが根源的にはあると思います。いまはそれが仕事でできている。自分にとって、ベンチャーキャピタリストという職業は合っていると思います」

「いまはこの仕事に全力でフォーカスします」と前置きをしつつも、自分のやりたいことを実現する方法は必ずしもベンチャーキャピタリストだけではないと考えている。

金銭的なリターンが得られる事業者でなければ投資ができないベンチャーキャピタリストにとって、支援できる先は限られてしまう。

木暮「ベンチャーキャピタルが扱うのはあくまで金融商品なので、資本主義の限界があります。社会的には解決されるべき問題でも、ビジネスにならなければ解決されない」

ベンチャーキャピタルとは異なる支援の道があるのでは、と木暮氏は語る。ICOやクラウドファンディングはあり得る手段の一つであり、それ以外道はきっとあると考えているという。

木暮「それこそ50年後にはベンチャーキャピタリストという職業がないかもしれません。人の未来を信じて、応援できるもっと良い仕事が生まれているかもしれない。より最適な方法があるのであれば、そちらにベットすることが僕の仕事だと思うんです」

チャレンジできない理由をなくす、社会実験をしたい

海外に目を向ければ、Y CombinatorによるNPO支援やベーシックインカム、ピーターティールによるティールフェローシップや、20 under 20など実験的な取り組みが数多く行なわれている。新たな支援のあり方が次の世代には求められているのではないかと木暮氏は考える。

木暮氏にやりたい支援の形を聞いてみると街を作りたいと語ってくれた。たとえば、ビル一棟を借りて、1Fに定食屋を入れ、投資先の起業家は無料にする。上の階には住居を完備。ビル1棟で食と住が提供される、ベーシックインカムのようなものができるイメージだ。

木暮「チャレンジできない理由をなくしてあげたいんです。寝る場所と飯があれば生きていけますよね。同じように介護や、子供の問題でチャレンジできないのであれば、保育園とかの施設を用意する。起業家村的なコミュニティとチャレンジするためのベーシックインカムを提供できる場を作りたいんです」

誰かを支援したいという木暮氏が持つ根源的な思いを形にするには、社会実験的なアプローチもあれば、金銭面以外のアプローチもありうる。資本主義の仕組みの上では、支援できない人を支援できる仕組みを考えることは、多様化が進んでいくこれからの世代にとって必要なマインドであることは間違いない。

人を支援していく姿勢、それを突き詰めることで木暮氏は一つの道を見つけた。必ずしも自分の中に答えがあることが正義とは限らない。ただ自分の中に一つの軸があればいい。

Photographer: Kazuya Sasaka