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「好きなことを仕事に」——。ここ数年、なにかと聞くようになった言葉。「そんな言葉で若者を扇情するな」と批判的な意見を口にしていた大人の声を一度ならず耳にしたことがある。
本当のところ、まだ社会との接点が少ない僕たち学生は、この状況をどうやって受け止めるべきだろう。個人的には、「好きなことを仕事にできれば、人生を充実させることにつながるのではないか」と思う。とはいえ自分の身をもってそれを確かめることにも、勇気がいる。
汁なし担々麺専門店「タンタンタイガー」の店主・東山広樹氏は、自分の「好き」を仕事にし、毎日を笑顔で過ごす理想的な働き方をしている一人だ。現在の仕事は、小学生のときに出会った“料理の楽しさ”の延長線上にあるのだという。
しかし、お店をオープンするまでの道のりは苦労の連続だったそうだ。1,000回以上試作を繰り返す中で作った“渾身の一杯”を「まずい」と一蹴され、「本当に成功するのだろうか?」と、不安に押しつぶされそうになる日もあったと語る。
東山さんがわたしたちに教えてくれたのは、「辛さを乗り越え、好きを仕事にする」ための心構え。人材派遣会社から出版社へ、そして夢だった飲食店の開業。彼の人生を振り返り、“充実した仕事”の根幹をなす要素を探っていく。
料理は『美味しんぼ』で学んだ。見よう見まねで作った汁なし担々麺が「タンタンタイガー」のルーツ
——担々麺、ごちそうさまでした。ほどよい山椒の香り、食欲をそそる辣油の風味…格別です。お店を立ち上げる以前から、料理が好きだったんですか?
東山:初めて料理をした小学校5年生から今日まで、ずっと料理が好きなんです。たしか、本格的に料理を始めたのは、中学校2年生のときだったと思います。両親が共働きで忙しかったので、自分で料理を作っていました。
最初は500円のお小遣いでコンビニでご飯を買っていたのですが、食べ盛りなのでどうしても足りなくて。スーパーで食材を買えば、500円でもお腹いっぱい食べることができます。スーパーで鶏肉を買って料理をすることが日課になっていました。
——お腹いっぱいご飯を食べるために始めたのが、料理人の原点なんですね。
東山:そうです。料理をすればするほどお小遣いがたまるのが、嬉しくて。ただ、自分で作る料理はあまり美味しくありませんでした。ただ、たまに美味しく調理できることが嬉しくて、次第に料理の奥深さにハマっていきました。
——料理は独学で学んだのでしょうか?
東山:美味しさを追求するようになってからは、料理漫画『美味しんぼ』を見て勉強しました。
——漫画で勉強されたんですね…!
東山:実は、汁なし担々麺との出合いも、高校生のころに読んだ『美味しんぼ』なんです。今でも大切に持っています。「ほど良く炒ったピーナッツをつぶして油で伸ばし、ニンニクや山椒、干しエビを加えて…」って書いてあるんです。当時はこの通りにレシピをまねしていました。
——『美味しんぼ』にタンタンタイガーのルーツがあるんですね!
東山:今振り返ってみると、そうですね。「汁なし担々麺」という料理がそもそもなかったので、自分で試行錯誤しながら作っていました。親に褒められるとその気になってしまい、ためたお小遣いで中華鍋を買い、毎日のように調理していたと思います。
——当時から料理人を目指していたんですか?
東山:漠然とした想いはあったと思います。ただ、料理人を目指すなら、高校を卒業してそのまま料理の道に進めばよかったはず。ですが、大学進学する友達を見ていると、自分だけが違う道に進む勇気が持てなくて。料理人になりたいという気持ちはありつつ、「現実的ではないな」と蓋をしてしまったんです。
——好きなのはわかっていたけれど、仕事にはしようとしていなかった。
東山:そうですね。ただ、食から離れてしまうのは嫌だったので、東京農業大学の醸造科学科に進学しました。味覚について学ぶ授業があったので、「食との接点を失わない」と思ったんです。当時は、あとにこうして飲食店を経営するとは思っていませんでしたが、食とのつながりを離さなければ、いつか料理人にシフトチェンジできるのではないかと考えていましたね。
——「つながりを離さない」という選択はいろんな場面で参考になりそうです。
「一生かけてやりたいこと」を仕事に。離れて気づいた、料理への飽くなき想い
——大学入学後も、料理をされていたのでしょうか?
東山:部活の合宿で料理担当をしたり、ラーメン屋でアルバイトをしたり、料理との接点は多かったと思います。同級生に「東山料理上手だよね」って言われることが嬉しくて、改めて自分が持つ料理への愛を確認できた4年間でした。
——就職する際に希望されたのは、料理に関係のある業種ですか?
東山:いえ、ファーストキャリアは人材派遣会社なんです。会社選びの軸も確固たるものがなくて、就職活動をしているときは「料理は趣味でいいや」と思っていました。
——働き始めて、考えは変わりましたか?
東山:楽しかったことは間違いありません。ですが、充実していたというと、少し違うかもしれませんね。あたたかい仲間に囲まれた素晴らしい環境でしたが、仕事内容は自分に向いていなかったんです。営業職を担当していましたが、あまり結果を残すことができなくて。
——仕事に向いていないと感じたことが、転職のきっかけになったのでしょうか?
東山:そうです。もともと一つのことに集中してしまい、周りが見えなくなるタイプなんです。ただ、人材派遣の仕事に没頭することはできませんでした。「一生かけてやりたいこと」ではなかったんです。
——「一生かけてやりたいこと」を見つけるために、どうされたのでしょうか。
東山:モヤモヤを抱えてからは、改めて「一生かけてやりたいこと」を見つけようと、働きながらさまざまな業種の勉強をしました。料理の勉強もしましたし、中小企業診断士の資格を取ろうかとも考えていましたね。
——料理だけに選択肢を絞ったわけではなかったんでね。
東山:ただ、やっぱり料理が好きなんですよ。いろいろなことに挑戦してみようと方向性を広げてみましたが、結局、「料理が好き」なことにいき着くんです。社員には「このエリアでおいしい店知らない?」と声をかけられることも多く、“僕=料理”のイメージを持たれていました。「料理に関係する仕事が向いているんだ」と気づいた瞬間です。
至極の1杯まで、1,000回の失敗。飲食店開業の夢は、挫折から始まった
——「料理に関係する仕事が向いているんだ」と気づいたあとは、料理関係の会社に?
東山:食に関する本を出版している、柴田書店へと転職しました。前職時代に同社の本を読んで勉強していたことがきっかけです。すでに「将来は飲食店を開く」と決めていたので、食の知識を深めながら働こうと思っていましたね。5年くらいお金をため、お店を作る予定でした。実際は、9ヶ月で退職してしまったんですけど。
——どうしてでしょう?
東山:「お金をためてから」の予定だったんですが、友人が僕に「出資する」と言ってくれたんです。「本当は今すぐにでもやりたいんでしょ?それなら、お金を出資するよ」って。
——ありがたいお話ですが、突然のことですね。
東山:お店を作るのは5年くらい先のことだと考えていたので、なかなか覚悟が決まりませんでした。ただ、その友人がどんどん人を巻き込んでいくんです。友人が「お金を出す」と応援してくれているのに、自分に言い訳ばかりしていられないな、と思いました。サポートしてくれるみんなのためにも、絶対に成功したい——。会社を辞めると決め、もうあとがない状態にまで自分を追い込んだんです。
——高校卒業時に諦めてしまった「料理人になりたい」想いが現実味を帯びた瞬間ですね。開業まで、どのような出来事があったのでしょうか?
東山:たしかに、幼い頃ぼんやりと描いていた「料理人になる夢」へと近づきました。ただ、とにかく苦しいことの連続です。汁なし担々麺で勝負すると決めてから、1,000回以上試作品を作りました。試行錯誤を繰り返したのですが、なかなか理想的な味にできなくて。試食会をなんどか開いたのですが、「まずい」とストレートに言われたこともあります。
——それだけ試作を繰り返しているのに、「まずい」と言われてしまうと辛いですね…。
東山:今ではその言葉に感謝していますが、当時は本当に辛かったですね。自分の将来をかけて作った一杯が、たった一言で片付けられてしまう。料理を楽しむ余裕もなく、プレッシャーに押しつぶされそうな日々を過ごしました。
——大変な思いをしてお店を開かれたんですね。実際に開店したとき、どんな気持ちでした?
東山:はじめてお店にきてくれたお客さんが「美味しいね」と声をかけてくれたときは本当に嬉しかったです。常連さんができたときの喜びも忘れません。これからは、「期待を裏切らない味を毎回提供しないといけないな」と身が引き締まりました。
「好きなことを仕事にすると辛い」でもその先に、大きな幸せが待っている
——辛かった経験も踏まえ、お店を開業して良かったと感じていますか?
東山:もちろんです。今となっては、このお店なしに自分の人生を考えられません。よく漫画やアニメで、主人公が困難なシチュエーションに遭遇するシーンがありますよね。その困難に打ち勝って、また成長していきます。
振り返ってみると、僕はあのシチュエーションに立たされていたのでしょう。戻りたいとは思いませんが、あの経験によって得たことは、これからの僕を支え続けてくれると思います。
——お客さんに「美味しい」と言ってもらうのが、やりがいにつながっていますか?
東山:味だけじゃなくて、スタッフの人柄、雰囲気の良さを感じてもらい「タンタンタイガーにきて良かった」と言われ続けるお店を作りたいんです。お客さんの幸せは、僕の幸せでもあります。
——「好きなことを仕事にすると辛い」とよく聞きます。東山さんも辛い時期を経験されてきていますよね。辛い時期にも、好きなことを仕事にするのを諦めないで、どうやって乗り越えてきたのでしょうか?
東山:退路を絶ったことが大きな要因だと思います。「絶対に成し遂げる」と覚悟を決めたら、応援してくれる人が増えたんです。お店作りの合間を縫ってアルバイトをしていたので、月の給料が2万円しかない時期もありました。
——2万円…!どうやってその時期をしのいだんですか?
東山:友人たちがご飯をおごってくれたんです。「頑張ってね」と声をかけられる機会も増えましたし、現在取引をさせている会社さんも、「若者が頑張っているなら、協力する」と、オープンする前からお世話になっていました。
——周囲の人たちが支えてくれた。
東山:「好きなことを仕事にすると辛い」かもしれませんが、本気で挑戦すれば状況が一変します。まずは周りに宣言して、形はどうあれ始めてみる。そして、小さく積み重ねていけばいいんです。すると、辛かったことの何十倍も大きな幸せに出会えると思います。
人は年を重ねるごとに、夢を語るのが苦手になる。小学校の卒業文集に純粋な想いで綴った「なりたい職業」に今就いている人は、どれだけいるだろうか。かく言う僕も、かつて思い描いた職業に向かっているわけではない。
この先、現在と全く違う職業を目指す可能性は大いにある。それはもしかすると、小学校の卒業文集に綴った等身大の「なりたい職業」と遜色のない自分の夢なのかもしれない。もし、「もう遅いかな」と、自分の気持ちに蓋をしそうになったら、こう声をかけてあげたい。
「『もう遅い』と感じたその瞬間が、これからの人生で行動を起こす最速のタイミングだ」と。年齢を理由に夢を諦める必要はないし、先延ばしにする必要もない。二度と戻らないこの一瞬を大切に生きる人が、自分だけの幸せをつかめるのかもしれない。