「街が成熟しきらないうちは人々は歩き、次第に生活のために自転車やオートバイを乗ります。そこから荷物が多く詰める利便性から車に発展し、趣味として高級車を楽しむ人も出てくる。しかし、都市として成熟していると、高級車は必要ないと感じたり、駐車場などの観点を含め車より自転車のほうが便利だと感じている人が増えてくるんです」

そう語るのは、東京発の自転車ブランド『tokyobike』を展開する、株式会社トーキョーバイク 代表取締役の金井一郎氏だ。スポーツ用途ではなく、東京の街を走るための自転車として感度の高い層を中心に、人気を集めるtokyobike。

同社が売るのは、乗り心地や早さといった「性能」だけでも、見た目の「デザイン」だけでもない。街にフィットした自転車で東京の街を走るという体験であり、同社が掲げる『TOKYO SLOW』という価値観だ。

創業から15年。同社を創業・牽引する金井氏に、都市と自転車の関係性、そしてtokyobikeというブランドについて話を聞いた。

金井一郎
株式会社トーキョーバイク 代表取締役
オートバイや自動車関連の会社を経て、自転車販売サイトを立ち上げる。2002年、街乗り用の自転車「トーキョーバイク」を発売。本店のある谷中を含めた直営店4店舗のほか、全国各地に取扱店をもつ。海外にも8店舗の直営店を展開。

“東京にフィットする自転車”を考え抜いた「tokyobike」

都市の変化によって、我々と自転車との関わり方はここ数十年大きく変わってきた。金井氏がtokyobikeを立ち上げたのは2002年。当初は自転車パーツのECサイトを立ち上げようとしていたが、その過程で「tokyobike」という名前を思いついたことが創業のきっかけだった。

金井「ECサイトの名前を考えているときに、“地名+bike”という名前を付けた会社を海外で見つけたんです。その名前をみつけてから『東京にフィットする自転車とは?』という問いを考えるようになりました」

金井氏は東京生まれ東京育ち。加えて東京の街で自転車に携わる仕事をしているなかで、当時流行していたマウンテンバイクやロードバイクは東京の街にはフィットしづらいと薄々感じていたという。

金井「私自身マウンテンバイクに乗っていたのですが、東京を走るにはタイヤはゴツゴツしているし自転車自体も重量があるので、あまり乗り心地のよいものではない。もちろん街向けのものではないにしても、東京の街を走るにはもっと別のアプローチが必要だと考えました」

そこで、金井氏は自身が東京を走るなかで感じた自転車に求められる「機能」と東京という「街」の特性を掛け合わせることにした。

金井「東京は坂や信号も多いので、こぎ出しが軽い方が望ましい。道はほとんどが舗装されているため、オンロード想定の細いタイヤがよいだろう。車重を軽くするためにギアは必要最低限に抑えたい…といった具合に機能を洗い出していきました。加えてtokyobikeが大切にしたのは、東京の街並みに似合うこと。デザイン性を大切にし、感度の高い人に選んでもらえるようシンプルでスタイリッシュな形に落とし込んでいきました」

当初は東京らしい自転車を考えていただけだったが、アイデアが具現化されていくにつれ、実際に形あるものを作ってみたいと思うようになっていった。そこから生まれたのが、現在のシンプルなデザイン、軽快なこぎ出しなどの特徴を持ったtokyobikeだった。

谷中を起点に「TOKYO SLOW」を体現するブランドへ

2002年の発売から、緩やかに拡大していったtokyobike。スポーツ専門店「OSHMAN’S」や「東急ハンズ」での取り扱いなどを経て、徐々に販売台数を拡大。国外にも取扱店を広げ、2009年には谷中に初の直営店を構えた。

当初は意図して谷中を選んだわけではなかったが、谷中の街に根付くことで、tokyobikeはブランドとしての方向性がより具体化していく。

金井「tokyobikeが初期に掲げていたコンセプトは『東京を楽しく走る自転車』というものでした。ただ時間が経つごとに、そのコンセプトは『東京と楽しく暮らす自転車』へと変化。乗り物としての自転車ではなく、自転車のある生活へと移り変わっていきました。それを体現するワードが、谷中に移った頃に生まれた『TOKYO SLOW』です」

『TOKYO SLOW』というワードは移転当初、海外で店舗を展開するパートナーが谷中の店舗に訪れた際に、街の空気感を表現して言った言葉だった。これが金井氏の心に残った。

金井「谷中の街にはゆったりとした昔ながらの空気感が漂っています。いわゆる東京のイメージとは真逆のスローというワードですが、この谷中にはピッタリと合う。徐々に暮らしを起点とした考え方に変わってきたtokyobike自体のコンセプトと、この谷中のもつスローな空気感はまさにピッタリだったんです。今我々が考える東京に合う自転車はまさに『TOKYO SLOW』を体現するものでした」

「tokyobikeは従業員を含め『TOKYO SLOW』を体現する存在、東京を愉しむプロフェッショナルであって欲しいと考えています」と金井氏が語るように、この『TOKYO SLOW』は、自転車自体、従業員、ひいては店舗へも反映されている。

話を伺ったTokyobike Rentals Yanakaもまた、TOKYO SLOWを表した場所だ。同店はレンタサイクルを行う店舗。レンタサイクルに加え、谷根千、浅草、蔵前などの周辺エリアでセレクトされた雑貨の販売やコーヒースタンド(夜はバーとして営業)も併設されている。

金井「この場所は、tokyobikeに共感してくれる多様な人が集まる場にしたいと考えて作りました。自転車を借りる人も、谷中の歴史ある街並みを楽しみに来た人も、もちろん地元の人も。たとえ国や言葉が違っても、感覚を共有できる人はいる。tokyobikeが提供する価値観に共感してくれる人を、私たちはもっと大切にしていきたいと思っています」

いつか自転車がなくなったとしても、「TOKYO SLOW」に共感する人のために何ができるか考え続ける

「TOKYO SLOW」というコンセプトを大切にしているからこそ、tokyobikeは感覚の共有を重要視する。店舗で扱うコーヒーも雑貨も、感覚を共有できるものをすべて金井氏や従業員のつながりからセレクトしている。

店舗の内装から、扱うプロダクト、店舗が提供する体験に至るまで、多様な側面でブランドを構築するtokyobike。同社の考え方は、近年注目を集める体験全体でのブランド設計「エクスペリエンス・アイデンティティ」の考え方に通じるだろう。

金井「“共感”は我々にとって大切なキーワードです。日本でも外国でも、感覚が近い人は間違いなくいる。逆に感覚が遠い人は日本でもtokyobikeに共感はしてもらえません。私は海外展開を通し、海外でもtokyobikeのコンセプトに共感してくれる人がたくさんいることを知りました。だからこそ、分け隔てなく共感してくれるあらゆる人に価値を提供していきたい」

海外に店舗を置く際には、事前に自らその街を実際に自転車で走ることで、この街に暮らす人がコンセプトに共感してもらえそうか否かを確認しているという。tokyobikeにとって、事業として規模を追求すること以上に、この価値観の追求が大切な要素になっている。

金井「大きくなるためにではなく、まずは価値観を伝え、その先に共感の輪を広げていく。tokyobikeはそうあるべきだと思っています。今後商店の形態はどんどん変わっていくでしょう。極端な話、将来的に自転車もなくなるかもしれない。そのときでも我々は、TOKYO SLOWという価値観に共感してくれる人のために何ができるかを考えていきたいと思っています」

Photographer: Kazuya Sasaka