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都心の高層マンション、郊外の庭付き一戸建て。紋切り型のマイホーム像はもはや過去のものだ。
都心でも郊外でもない第3の場所へ移り住んだり、そもそも所有する必要なんてないという人が増えたり、シェアハウスのような新たな居住形態を選ぶ人も増えたりと、住まいの多様性はここ数年一気に増加している。
ソーシャルアパートメントも新たな住まい方を提供する選択肢の1つだ。
個室のサイズを抑える分、共用部にコストをかけ、寝室+αのゆとりある空間を提供するソーシャルアパートメントは、シェアハウスともワンルームマンションとも異なる住まいだ。
ワンルームマンションと比べるとゆとりある生活が送れ、住民同士の関わりもある安心感のある暮らしができる。シェアハウスと比べるとしっかりとした個室があることによってプライバシーが守られ、住民同士もお互いを干渉しない程度の距離感を保つ。
2005年からスタートしたソーシャルアパートメントはミレニアル世代を中心に新たな住まい方として受け入れられ、いまでは36棟、2,000戸の規模で展開されている。ミレニアル世代はなぜ新たな住まい方を選んだのか。ソーシャルアパートメントを企画・運営する、株式会社グローバルエージェンツ・代表取締役社長の山崎剛氏に話を伺った。
- 山崎剛
- 株式会社グローバルエージェンツ・代表取締役社長
- 2005年5月、東京工業大学在学中に有限会社グローバルエージェンツを設立。大学卒業までに1物件をオープン、他2件のプロジェクトを手がける。2006年4月、ゴールドマン・サックス証券株式会社に新卒入社。マーチャント・バンキング部門にて、グローバルのファンド資金を利用した国内の不動産投資に携わり、オフィス・商業施設・ホテル・ゴルフ場・不動産関連会社などの投資案件を担当。2008年に同社シンガポール支社にてアジアでの不動産投資に従事し、2009年1月ゴールドマン・サックスを退職し、株式会社グローバルエージェンツ代表取締役に再就任。2017年現在、基幹事業のソーシャルアパートメント事業をはじめ、ホテル4棟400室、飲食店6店舗などを経営。
SNSのようなリアルの場、「他人と共に住まう」価値
山崎「原体験は、19歳の頃に出会ったロンドンの家でした」
山崎氏がグローバルエージェンツを創業したのは大学生の頃。起業に至った経緯を聞くと、ロンドンでの経験について教えてくれた。
築100年を超える家が建ち並ぶロンドンの町並み。昔は大所帯で住んでいた2、3階建ての家も、核家族化により1階にオーナーが住み、上の階を若者に間貸しすることが一般的になっていた。
ロンドンに留学していた山崎氏も一軒家の一室を間借りして暮らしていた。
山崎「1つの住戸内にさまざまな人が住む、コミュニケーションのある暮らし。ロンドンでの住まい方は当時の僕に強い原体験を残していました」
帰国後も、寮やゲストハウスなど多様な住まい方を経験する中、コミュニケーションのある暮らし方の良さを日に日に強く感じるようになる。そんな山崎氏をソーシャルアパートメントへ導いたのはSNSの台頭だった。2003年にMyspace、2004年にはFacebookとmixiが登場。当時、国内外でSNSは盛り上がりを見せていた。
山崎「1人のユーザーとしても、SNSはとても魅力的なものでした。それぞれのコミュニティと継続的に、よりライトにコミュニケーションできる。社会的にも今後SNSは一般化するだろうと言われた中、私は”SNSのようなリアルの場”を作れないかと考えました」
SNSによりコミュニケーションは、オンラインでも可能になった。だからこそ、物理的に「人と共にいる」価値を再定義する必要があった。山崎氏は、SNS上でのコミュニケーションのようにコミュニティと自由に関わる姿をリアルの場で実現できないかと考えるようになる。
そう考えたとき、思い浮かんだのは、留学中滞在したロンドンの家をはじめとした様々な住体験だったという。当時は、まだシェアハウスも一般的になる前。他人と同じ屋根の下で暮らすというと、安価に住めるゲストハウスや寮のようなものだと思われていた。
山崎「当時、このような住宅形態に対して『付加価値』 という概念はありませんでした。共有スペースも単に生活機能をシェアするだけのもので、狭く汚いものばかりでした。でもSNSの台頭を見て、住宅の共用部こそが、リアルのSNSの場になり得ると考えました。そこで共用部を『コミュニケーションの場』 と定義付けて、デザイン性を高くし、誰もが集まりたくなる空間に仕上げ、住みながら人脈形成(ソーシャル・ネットワーキング)ができる付加価値型の住宅をつくろうと考えました」
オンラインで実現できる価値とオフラインで実現できる価値は異なる。オフラインの場だからこそ実現するコミュニケーションのある暮らし方を提供する家。それが「ソーシャルアパートメント」の原案だった。
山崎「ソーシャルアパートメントの構想が生まれた当時、私は大学3年。幸いにも投資ファンド、不動産デベロッパーでインターンを経験してきていました。それぞれのインターン経験で得た投資および不動産の両面の視点からも事業の実現可能性は見込める。これはやってみたい。そう思い、起業を選択しました」
そこから、投資ファンド時代の上司に資金を工面してもらい大学4年生の5月に法人の設立。事業主探しや物件を選定、内装工事等を経てオープンへとこぎ着けたのは10ヶ月後の3月。卒業式も終わった頃だった。
「これから」のタイミング、選んだ就職の道
大学4年で起業。卒業のタイミングと同時に最初の物件がオープン。まさに「これから」のタイミングで山崎氏が選んだのは、「就職」という選択だった。山崎氏は外資系金融大手のゴールドマンサックス証券へ入社。なぜこのタイミングで就職という道を選んだのだろうか。
山崎「正直、最後までどうするか悩みました。ただ、今後経営者としてのキャリアを積んでいく上で必要な要素が当時の自分には足りていませんでした。最も足りていなかったのは、チームプレーの経験です。私は昔から個人で動くのが好きで、スポーツも個人スポーツばかり選んでいました。ただ経営においてチームプレーは必須。組織の中でもまれ、チームでの成功体験を積んだ方がいい。そう考え、就職を選びました」
山崎氏は大学4年春の時点で大手コンサル会社から内定を獲得していた。ところが卒業直前のタイミングで、グローバルエージェンツの活動を見たゴールドマンサックスの不動産投資部門からオファーが届く。このオファーも山崎氏が就職という道を選ぶ決め手の1つになった。
山崎「ゴールドマンサックスの不動産投資部門からオファーをいただけたことも、就職を選んだ大きな理由の1つです。経営において投資は非常に重要な要素。しかし勝てる投資家はほぼおらず、成功する投資家になるためのクリティカルパスもありません。投資組織に属し、投資哲学と感性を磨くことは最低条件ではないか。これは対極にあるコンサルティングファームではおそらく得られない経験です」
あえて就職を選んだ山崎氏。幸いにも同級生や後輩などで事業を手伝ってくれる人物も現れ、山崎氏がフルコミットせずとも事業が回る仕組みも構築でき始めていた。そこから約3年間、山崎氏はゴールドマンサックスでの仕事とグローバルエージェンツの事業の双方にコミットしていった。入社して、3年目の夏を迎えるまでは。
新卒3年目、資金ショート1,500万。事業を諦めるわけにはいかなかった
2008年9月、金融業界はリーマン・ショックに揺れた。ゴールドマンサックスで3年目を迎えていた山崎氏を取り囲む環境は、一変した。
山崎「突如、金融・不動産業界全体は厳しい状況に置かれました。当時私はシンガポール支社に1年間赴任している途中でしたが、6ヶ月後の11月には支社が閉鎖。私は東京に戻されました」
不動産業界にいたグローバルエージェンツも煽りを受けた。オープンするはずだった物件の取り止めや契約解除も続き、運営物件数は6棟から2棟へ減少。なかには運営を受託していた相手が躓き、入金がされなくなったものもあった。当然、資金繰りは悪化。このままいけば3ヶ月後には当時の月商の5倍にものぼる1,500万円もの資金ショートを起こすことも判明した。
グローバルエージェンツが厳しい状況にあるのは明らかだった。業界全体が苦境に立たされており、立て直せるかもわからない状況。山崎氏は事業を続けていくべきか否かの瀬戸際に立たされた。
山崎「当時のグローバルエージェンツは、正直私が事業に集中したところで、状況を打破できるかわからない状態でした。ただ、復帰を待ってくれている社員や、これまでお金を出してくれたり、目をかけてくれた人たちのおかげで、私は事業を継続し、ゴールドマンでも働けている。その恩を無視して事業を潰し、自分は会社に残る。そんな選択肢はありませんでした。立ち直せるかは正直分からないが、結果が同じでもやれる全ての努力をした上で潰すなら潰そうという覚悟で戻る決意をしました」
リーマン・ショックの影響がどこまで波及していくか、当時はまだ計り知れないタイミング。この先、何年この状況が続くのかもわからないが、巨大な金融危機が訪れていることは明らかだった。それでも、山崎氏は「挑戦」を選んだ。
リスクをとった。可能性に賭けた
山崎氏はゴールドマンサックスを退職。グローバルエージェンツの経営に全力を傾けた。
当時、グローバルエージェンツは物件数が減ったことで固定費が収益を大きく上回り、営業するほど赤字がかさむ状況だった。収益化に向け、山崎氏はすぐさま案件獲得へと動いた。ただ、金融危機まっただ中の状況で、運営を委託してくれる事業主はなかなか存在しなかった。
不動産事業のリスクには段階がある。一番大きい不動産の所有リスクから開発リスク、稼働率のリスクとあり、当時のグローバルエージェンツはどのリスクも取らず、企画・運営だけを受託していた。
山崎「リーマン・ショック後の厳しい時期にリスクを取ってまでソーシャルアパートメントを建てようという事業主はなかなか現れませんでした。しかし、僕達はソーシャルアパートメントという商品力には絶対的な自信があった。我々がリスクを取れなければ事業に未来はない。そう考え、稼働率のリスクを取る方針へと舵を切りました」
当時、山崎氏は20代半ば。普通であれば社会人3年目で仕事が楽しくなってきている頃だ。当時の彼にとって巨大なリスクを取る決断は重いものだったに違いない。
山崎「稼働率のリスクを取るということは、稼働が上がればしっかりと利益が出る反面、稼働が低いと損失を抱えるということ。それだけに集客を強くすることが最も重要でした」
不動産業界では、集客は仲介会社を活用するのが一般的。しかし当時は、まだシェアハウスさえも流行する前。ソーシャルアパートメントのような暮らし方は一般的ではなかった。仲介業者も見慣れない暮らし方を提案することは難しく、難色を示されることも少なくなかった。そこで、自社で体制を構築し、ソーシャルアパートメントならではの暮らしを直接伝えていく必要があった。
山崎「入居者を増やす方法が確立できれば、稼働率のリスクはリスクで無くなる。どうすればソーシャルアパートメントの魅力をより伝えられるか試行錯誤しましたが、結局ソーシャルアパートメントの世界観を100%伝えるには自社サイトしか方法がないという結論に至りました。そこで仲介会社やポータルサイト等の活用を一切止め、広告費用を全て自社サイトの投資に充てました。結果、今では一切他社依存せず成約の100%が自社サイト経由です。これは不動産業界で唯一ではないでしょうか」
稼働率のリスクを取りつつ、自社集客に優位性を持つことで稼働率リスクを抑えることを狙ったグローバルエージェンツ。この策は功を奏し、黒字化に成功。リスクと事業成長のバランスを取りつつ物件数を徐々に増やしていく。
山崎「ソーシャルアパートメントは急拡大できるものではありません。我々は『こういう暮らし方がある』という提案をし、理解を得ながら数を伸ばしてきました。物件数を一気に増やしても入居希望者が集まるとは限らないし、物件がないのに入居希望者が殺到してもただ機会損失が生まれるだけ。新規供給のペースに合わせて需要を段階的に創出し、地道に成果を重ねていきました」
領域は変えても、提供価値は変わらない
危機を乗り越え、ソーシャルアパートメントの事業が軌道に乗ると、グローバルエージェンツはホテルや飲食など事業領域を拡張していった。一見、異なる領域への展開に見えるが、各事業の根底にあるものはソーシャルアパートメントの頃から変化していない。
山崎「『SNSのようなリアルの場』という、提供しているものの本質的価値は変わっていません。ソーシャルアパートメントで提供していた体験をさまざまな場所で、濃さに違いを生みながら提供していくため、様々な業態へと展開していったのです」
住居は約2-3年程度の居住期間で、長く濃いユーザー体験を提供している。ただ住宅の場合は、2,000室しかなければ、2,000人にしかユーザー体験を提供できない。ホテルは1泊からの滞在のため、住居よりは薄い体験になるが、100室を1泊ずつ異なる人々が利用すれば、2年間で7万人以上にユーザー体験を提供できる。さらに飲食だと1時間ほどのライトな体験を1日で200人~300人に提供できる。
山崎「我々の世代が持つオンライン・オフラインを使い分ける価値観。この価値観を持つからこそ大切にできる、オフラインならではの体験が起こる場を提供しているのです。ソーシャルアパートメントでは住人同士が、ホテルではそこで暮らす人と宿泊者が、カフェでは近隣の人同士が。それぞれ集い交流するといった価値を提供しているのです」
ソーシャルアパートメントの着想時から持つ、世代ならではの価値観。この世代が求める場を提供する企業としてグローバルエージェンツはミッションを定めている。
山崎「『多様な情報・多様な人脈・多様な機会にアクセスでき、組織に過剰依存することなく自身の軸を持ち、互いに尊重のもと自己実現に邁進していける社会』。これを実現するために場を作る企業としてグローバルエージェンツは存在しています。我々の事業は全てここに通じているのです」
働き方もアップデートし、ワークとライフを行き来する「The Millennials」
グローバルエージェンツは2017年7月、京都に「The Millennials」という宿泊施設をオープンした。The Millennialsは宿泊機能に加え、『andwork』というコワーキングスペースを併設。グローバルエージェンツとして、初となる働く場を提供している。
山崎「『働くこと』は、我々にとってもずっと大きなテーマでした。考え続けてきて、やっとグローバルエージェンツが提供するべきワークスペースの形が見えてきた。それが『andwork』です。今の世代はワークとライフを切り分けるのではなく、境目を曖昧に行ったり来たりしている。切り分けず、互いをオーバーラップさせることで、両方を充実させられるのではないかと考えました」
The Millennialsとandworkではホテルとコワーキングが完全に区分されているのではなく、一体の施設として設計されている。
山崎「これまでは、ワークとライフは、どちらかを取ったらどちらかが犠牲になるゼロサムの発想でした。しかし、最近はツールの発達や考え方の多様化によって、ワークとライフの双方を互いに犠牲にすることなく高めようという二兎追いができるようになってきた。働きながらバケーションを取る『ワーケーション』もその一つです。こうしたワークとライフの双方をより充実させるという発想をもっと広めていきたいと思います」
山崎氏を含めミレニアル世代にとって「働くこと」と「暮らすこと」の距離はとても近い。価値観の変化やテクノロジーの台頭など、色々な背景が影響しているが、ワークライフバランスという言葉のようにワークとライフを対義的に扱わず、互いを柔軟に行き来している。
山崎氏自身、この世代ならではの価値観に共感できるからこそ、The Millennialsのような新しい価値観を体現する場が生まれたのだろう。
合理的で、多様性があり、自由な道を選ぶ
山崎氏は、ソーシャルアパートメントに始まり、The Millennialsにいたるまで、ミレニアル世代をターゲットとした事業を展開してきた。世代の特徴を上手く捉え、事業を展開してきた山崎氏は、ミレニアル世代をどのように捉えているのか。
山崎「私はミレニアル世代を理解するためには『合理性』『多様性』『自由』の3要素を捉える必要があると考えています。合理性は『シェア』との関わり方によく現れています。一般的には上の世代と対比され、上の世代は所有、ミレニアル世代はシェアといわれますが、本質はそうではない。合理的だからシェアを選んでいるにすぎないのです。逆に合理的に考え、所有すべきものはためらいなく所有するのがミレニアル世代です」
あくまでシェアは前提ではなく、選択肢の1つでしかない。ツールの進化、社会の変化などとともに成長してきた世代だからこそ、多様性を受け入れやすいと山崎氏は語る。
山崎「多様性は、ツールの影響を大きく受けて生まれてきた世代の価値観です。世の中の移動コストが下がり、学生でも何度でも海外に出かけることができるようになった。また、インターネットを介し、当たり前のように様々な情報に触れることもできるようになった。こうした経験が豊富だからこそ、その先にある世界をフラットに見ることができる。多様性を受け入れる素養が育まれてきたのです」
合理的であり、多様性を受け入れるからこそ、自由を重んじるようになる。
山崎「テクノロジーの進化などによって、物事のあり方が変わっていく中で育ち、固定概念が打ち砕かれる瞬間を当たり前に目にしてきた。そして、多様な価値観を受け入れる素養も持っている。時代の変化が自然と、自由を重んじる価値観を育んできたのです」
山崎氏は自身がミレニアル世代でもあり、これまでソーシャルアパートメントを中心に事業を広げてきたからこそ、この3つのキーワードの重要性を身をもって理解している。
山崎「自分自身、世代としてもこの3つのキーワードを大事にしてきたからこそ、現在の事業が生まれてきました。そして『合理性』『多様性』『自由』というキーワードはミレニアル世代だけでなく、社会全体の価値観がそちらに向かおうとしている機運もあります。ミレニアル世代が持つ価値観は実に本質的です。こういった価値観から生まれるものこそが、これからの時代を担っていくのではないでしょうか」
Photographer: Kazuya Sasaka