ジュネーブ条約


赤十字国際委員会が捕虜に対し、人道的扱いをする必要があるとし、スイスのジュネーヴで傷病者の状態改善に関する、第1回赤十字条約が1864年8月22日に締結された。


ジュネーヴで締結された条約も含め、ジュネーヴ条約と呼称される。国際条約にはよくある話だが、ジュネーブ条約という単一の条約名があるわけではなく、複数の条約をまとめたものを便宜的に呼ぶことがあり、ジュネーブ条約にも当てはまる。


戦争関係については、傷病者の状態改善に関する第1回赤十字条約が一番古いが、この赤十字条約は1906年と1929年に改訂され、条約が結ばれている。ジュネーブ条約が1864年に成立してから、日本は22年後の1886年に加入する。初めは陸戦での傷病者の保護を目的としたわずか10条と短いが、とても歴史的な条文であった。1899年に海戦での病者の保護(全14条)が加わる。1904年の日ロ戦争時は、赤十字の腕章を身につけた衛生兵士が負傷したロシア人を治療している様子の記録が残っている。この時、日本の対応は高く国際社会で評価された。


また戦争のルールとして、1899年にオランダのハーグで結ばれた条約が基礎となっている。このため、戦争関連のハーグ条約とジュネーブ条約を一緒にする考え方もある。
ともかく、ハーグでまとめた陸戦条約を引き継ぎ、様々な規定がジュネーブで決められたのが1925年のジュネーブ条約である。これは戦争で生物兵器や毒ガスの使用を禁止するという条約だった。それと1929年のジュネーブ条約で捕虜の扱いが定められ、この2つを1つにして、戦争に関するルールとしてのジュネーブ条約と呼ぶことが多い。


この戦争のルールとしてのジュネーブ条約以外のジュネーブ条約としては1923年の海洋法、1949年の道路交通に関するもの、日本は1953年に加入したが強制的なものであった。1951年の難民の地位に関する条約など、51年のサンフランシスコ講和条約を締結する際に連合国側から国際社会への復帰のために他の多くの条約と共に加入することを求められた。


1952年の万国著作権条約、1958年のジュネーブ海洋法四条約など、国会の十分な審議がないまま加入手続きを完了した。加入したら、その規定を国内法に適用させる義務がある。しかし現在、赤十字の標章に関する法律と商標法上の中で赤十字標章の使用を禁じるだけにとどまっている。1977年には2つの追加議定書が採択されたが、日本はまだ加入していない。


【おすすめの記事】