魚型しょうゆ差しをデザインの力で再設計 使い捨ての象徴が未来を守るアイコンに
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寿司をテイクアウトしたとき、手のひらサイズの「魚型醤油差し」に目を留めたことがある人は多いだろう。ぷっくりとした形と赤いキャップ。その無機質なプラスチックの中には、どこか人懐っこい”かわいさ”がある。
同時に、それは“便利さ”の象徴でもある。わずかな醤油を清潔に持ち運べ、使い切りで衛生的。大量生産が容易で、コストも低い。戦後の外食文化やテイクアウト需要の拡大とともに、魚型醤油差しは「合理的で愛らしい日本のデザイン」として定着していった。
しかしその便利さは、裏を返せば“使い捨てることの前提”でもある。ほんの一瞬だけ使われたあと、ほとんどがリサイクルされることなくゴミ箱へと消える。海へ流れ出れば、魚の形をしたまま本物の魚たちの脅威となる。「かわいくて便利」だったそのデザインは、いまや“使い捨て文化”の象徴として、再び見つめ直されている。
本記事では、この象徴的な魚型醤油差しを再設計したオーストラリアのプロジェクト「Holy Carp!」を通して、デザインがどのように社会や環境への問いを生み出し、日常の“かわいさ”と“便利さ”を未来へつなぐ力になり得るのかを探っていく。
Holy Carp! が見せるデザインの“再解釈”
Holy Carp! は、魚型醤油差しを家庭堆肥化可能なサトウキビ由来の植物パルプ(sugar cane pulp)で再設計したプロジェクトだ。このアイデアの源には、「かわいくて便利なデザインをそのままに、罪悪感のない使い捨てを実現できないか?」という問いがあった。

このプロジェクトを手がけたのは、オーストラリア・シドニーを拠点とするデザインスタジオ「Heliograf(ヘリオグラフ)」。共同設立者はAngus Ware(アンガス・ウェア)氏とJeffrey Simpson(ジェフリー・シンプソン)氏。彼らは「Design for Good(デザインを通じた良きものづくり)」を理念に掲げ、海洋ごみや環境問題を“ユーモアとデザインの力”で可視化する活動を続けている。
Holy Carp! はその代表的な試みであり、日常の中に潜む社会課題を軽やかに問い直す、彼らの哲学を体現している。
南オーストラリア州では、環境規制の強化により小型プラスチック容器の使用が段階的に禁止されている。企業は代替素材の導入を迫られ、文化的にも「便利の象徴」として親しまれてきた魚型容器が存続の危機に立たされた。そんな中、Heliograf は単なる代用品ではなく、「文化を未来に残す再設計」というアプローチを選んだ。
プロジェクト名「Holy Carp!」は、英語の感嘆句「Holy Crap!(なんてこった)」を思わせる語感を持つ。また “Carp” は英語で「鯉」を意味し、魚型醤油差しのモチーフと重ね合わせることで、言葉遊びと象徴性を兼ね備えたネーミングとなっている。公式には明言されていないものの、この軽妙な言葉遊びには、環境問題に対する怒りや悲壮感ではなく、ユーモアと驚きで意識を変えていくという Heliograf の姿勢が表れている。
さらに、製品の売上の一部は海洋保全団体に寄付され、消費行動そのものを社会貢献に結びつける仕組みも取り入れられている。
Holy Carp! は、デザインが社会を再構築するための言語になりうることを示している。
素材・形・ストーリー サステナブルデザインの三要素
Holy Carp! を支えるのは、素材・形・ストーリーという三つの柱だ。それぞれは単なる製品の要素ではなく、人と社会、自然との関係を再構築するためのデザイン思考として機能している。
1.素材 —— 「終わり」をデザインする
Holy Carp! に使われているサトウキビ由来の植物パルプは、サトウキビの搾りかすを再利用した天然繊維で、完全に堆肥化可能だ。それは、単に環境負荷を減らすための素材ではない。「使い終わったあとにどうなるか」までを含めて設計された素材である。
この素材は、リサイクルではなく“自然の循環”に戻ることを前提としている。Holy Carp! は「モノをつくる」ことを同時に「モノを還す」行為に変え、素材そのものに“生と死”のデザイン哲学を与えている。
2. 形 —— 「記憶」を引き継ぐ
Heliograf は、魚のフォルムを変えなかった。その“かわいさ”と“懐かしさ”をあえて残すことで、人々の感情や文化的記憶を尊重したのだ。
かわいさは、消費文化の象徴であると同時に、日本的な“おもてなし”の感性でもある。Holy Carp! は、その形を壊さずに意味を再編集するデザインに挑んだ。つまり、過去の形を引用しながら、そこに新しい倫理を吹き込んでいる。
形を変えずに価値を変える。それは、「かわいさ」を罪から再生へと導くデザインである。
3.ストーリー —— 「共感」を動かす
Holy Carp! の裏面には、「この魚は、海を汚さない魚です」と書かれている。それは説明ではなく、語りかけだろう。使う人は「環境に良い商品を選んだ人」ではなく、「海を守る物語の一部」になる。さらに、“Holy Carp!” というユーモラスな名前が、課題を重くなく伝えている。
笑いと驚きを通じて人を巻き込み、共感で行動を促す。それは、説得ではなく共感によって社会を動かすストーリーだ。
素材は“循環”を、形は“記憶”を、ストーリーは“共感”をデザインしている。この三要素が融合することで、Holy Carp! は「使い捨ての終わり」ではなく「使い切ることの希望」を描き出しているといえる。
世界の循環デザインたち
Holy Carp! 誕生の背後には、同じように“使い捨て文化”を問い直す世界のデザイン潮流がある。ここ数年、「捨てる」ではなく「循環させる」ことを美しく設計する動きが、世界中で広がっている。
Notpla(英国)— 海藻から生まれた「消えるパッケージ」
ロンドンのスタートアップ Notpla は、海藻由来の可食性パッケージ「Ooho」を開発。マラソン大会ではペットボトルの代わりにこのカプセル入りの水が配布され、飲んだ後はそのまま食べるか、自然分解させることができる。
Notpla は「包装を消えるものにする」という理念のもと、素材の代替だけでなく、使い捨てという行動そのものを問い直す設計を行っている。その思想は、Holy Carp! の「罪悪感のない使い切り」と通じている。

MarinaTex(英国)— 廃棄物を素材に変える
MarinaTex は、魚の皮や鱗など、本来ゴミとして捨てられる漁業副産物を原料にした生分解性フィルム。海藻と混ぜ合わせることで柔軟性と耐水性を実現し、約1カ月で自然分解する。廃棄物を素材に変える発想で、資源と廃棄の境界を揺さぶるデザインを体現している。

これらの事例に共通するのは、単なるエコ素材ではなく、「体験そのものの再設計」というアプローチだ。サステナビリティを「我慢」ではなく「感情と行動のデザイン」に変える。Holy Carp! もまた、使い終わった瞬間に心地よさが残る循環の体験を提案している。
社会を変えるデザインの力
デザインは、単に形を整える技術ではない。それは、社会の価値観を再構築するための言語であり、私たちの行動を静かに変える力を持っている。
Holy Carp! が示したのは、「問題を解決するデザイン」ではなく、「人々の意識を変えるデザイン」だ。魚型醤油差しという日常的なモノを通して、私たちは“かわいい”と“便利”の関係を問い直し、“使い捨て”の行動をもう一度デザインし直すことができる。
社会を変えるとは、政治を動かすことでも、大企業の仕組みを変えることでもない。それは、日常の中で見過ごしてきた小さな選択を新しい視点で見つめることから始まる。「これは便利だから」ではなく、「これは未来につながるから」という理由で選ぶ。そうした無数の“デザインされた選択”が、社会全体の方向を少しずつ変えていくのではないだろうか。
デザインの力は、目立たないところにある。Holy Carp! のように、笑いとユーモアで人々を巻き込み、共感で行動を促すこと。それは、怒りや罪悪感では動かせない社会を、楽しさと美しさで動かすもう一つの方法だ。
そして何より、このプロジェクトが教えてくれるのは、「世界を変えるデザイン」は遠い場所の特別な誰かが生み出すものではない、ということ。デザインは、私たち一人ひとりの思考や選択の中に宿っている。「これはかわいい」「これが好き」という感情の中にも、社会を変える種が潜んでいるのだ。
小さな魚のかたちをした容器が、海を汚す存在から、海を守る象徴に変わったように、デザインはモノの意味を、そして社会の方向を変える力を持っている。 その力を信じて、私たちはこれからも未来への意味を問い続けていくべきだろう。

文:中井 千尋(Livit)