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電動化や自動化をはじめ、100年に一度の大変革期に入っている自動車業界。安全性や環境性能を高める上で、国内外の各社は熾烈な競争を繰り広げている。
こうしたグローバル規模の潮流に対し、技術の力でアプローチするのが、トヨタグループをIT戦略面でサポートし、AIなど先端技術で社会課題解決に向けたソリューションの開発を進める株式会社トヨタシステムズだ。
モビリティ社会をリードするためには、テクノロジーを生かして新たな事業を開拓する人材が必要だ。同社は2024年9月、就活生向けの新卒採用イベント「現場社員と語りつくす、私たちのモビリティ社会。」を開催した。AI研究のトップランナーの一人、国立情報学研究所 教授の新井紀子氏を迎え、新規事業や業界の動向、トヨタシステムズで描くキャリアデザインについて、同社で活躍する社員2人と語り合った。
今回、AMPでは登壇者の声から、新時代に自動車業界で働くことは、どのようにして自己実現、社会貢献の可能性を広げていくのかを探っていく。
※登壇者の発言内容は、一部編集・加筆しています。
大変革期の自動車業界を、ITの力でアップデートする
製品出荷額が約60兆円に上る自動車製造業は、日本を代表する一大産業だ。同時に、CASE(コネクティッド、自動化、シェアリング、電動化)といった技術革新、他業界の参入による新たな競合の台頭、カーボンニュートラルをはじめとする環境問題への対応など、大変革期の渦中にある。急速な時代の変化に対応するために、高度な技術力が不可欠であることは、異論を挟む余地はないだろう。
業界をけん引するトヨタグループでIT活用の中核を担う企業として2019年に設立されたのが、トヨタシステムズだ。先端技術の研究開発を手掛ける「新規事業開発本部」、車両開発の各プロセスをITで支援する「エンジニアリング分野」、部品の調達から車両の販売に至るサプライチェーンのIT化を進める「コーポレート・ファイナンス分野」、グループ全体のIT基盤を支える「インフラ事業本部」の四つの領域を主軸に事業を展開しており、同社が策定する「Vision2030」では「モビリティ社会におけるITイニシアティブカンパニー」を掲げている。
同社の広範なソリューションの一翼を担うのが、AIだ。同社は人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」を主導し、著書『AI vs.教科書が読めない子どもたち』でも有名な新井紀子教授を、Technical Adviserとして迎えている。新井教授はイベント冒頭のあいさつで、生産現場で働くことの魅力を、学生たちに力説した。
新井氏「第3次AIブームに身を置き、さまざまな研究を見てきましたが、今一番“アツい”のが製造業などの生産現場です。リアルのデータを取得できる環境で、革新的なAIサービスをどのように生み出していくか。とてもワクワクしながら、トヨタシステムズで活動しています」
新井氏の語る「ワクワクする現場」では、どのような技術が開発されているのだろうか。イベントに登壇した社員2人のプロジェクトを具体的に探っていく。
個別最適なサービスで、高齢ドライバーの運転寿命を延伸する
新規事業開発本部の鳥居和史氏は、技術力を通じた社会課題の解決を目指すエンジニア。現在新規事業として挑んでいるのが、高齢者の運転支援だ。
鳥居氏「日本ではドライバーの約3分の1を高齢者が占めています。免許返納が話題ですが、運転をやめることで認知症リスクが高まるなど、健康への影響も無視できません。高齢ドライバーが少しでも安全・安心に運転寿命を全うするには、どうすればよいか。この問いから、AIを活用した運転支援のサービス開発を始動しました」
鳥居氏の取り組みでは、まず道路状況や天候、衛星画像など、さまざまな情報から地域ごとの事故発生リスクを予測。同時に、複数の高齢者に協力を要請し、日常の運転をドライブレコーダーで記録することで、ドライバーごとに運転の特徴を分析している。そこから得られたデータを組み合わせ、安全性を高めた上で、一人一人の生活や能力に合った支援サービスを構築する方針だ。
鳥居氏「高齢者と一口に言っても個人差は大きく、年齢と能力は必ずしも一致しません。また今回のデータ取得は主に北海道札幌市と愛知県で行いましたが、北海道の降雪のように地域差も考慮に入れるべきで、気象などの前提条件が変われば良い運転の基準も変わってきます。そのため、さまざまな事情を内包した個別最適なサービスの提供を、私たちは目指しています。プロジェクトを進める上では、新井先生にも助言をいただきました」
新井氏「日本全体で高齢化が進む中、子が親に贈れる一番のプレゼントは、最後まで安心して乗れる車ではないでしょうか。単なる快適性ではなく、安全のために自動運転機能を強化するという方針は、トヨタグループらしい社会貢献の視点が表れています。社会に求められていることをプロジェクト化する点でやりがいがあると思いました。そして自動運転もレベル5に移行するためには、こうした個別データの取得が欠かせません。一方でプライバシーなどの障壁もあるため、信頼を重ねるプロセスも求められます。一人一人の高齢者と向き合う鳥居さんの姿勢に、未来性を感じました」
AI活用の着眼点を変え、真に現場で必要なソリューションを開発
もう一人の登壇者、戦略企画本部の岡崎和征氏は、電動化(BEV)に向けたエンジニアリング領域全体のIT企画を統括している。クルマづくりには、デザインから設計、生産準備、生産のエンジニアリングチェーン、資材調達から販売、アフターマーケットまでのサプライチェーンなど、さまざまなプロセスがあるが、その一つ一つで生産性を向上させることが、モビリティ社会には不可欠だ。その中で岡崎氏がAIを用いて生産性向上にアプローチしたのが、塗装の工程である。
岡崎氏「販売店に並ぶ美しい車の裏側には、塗装現場の並々ならぬ苦労が存在します。鏡のような光沢、統一された色を安定生産するためには、塗料、工法、環境などの条件がそろわねばなりません。確認段階で色ブレなどが発見されれば、やり直しによる時間やコストのロスも生じます。そこで私は、熟練技能者のノウハウをAIでモデル化し、実物塗装の前に品質をチェックできるシステムを構築しました」
同プロジェクトでは、品質を左右する各要因を分析すべく、デザイン、材料、品質評価、量産など、トヨタシステムズが長年培った情報をつなぎ合わせ、データセットを作成。これをベースに塗装シミュレーションシステムを開発することで、デジタル上で品質を評価できる仕組みを実現した。
岡崎氏「製造現場には数多くのデータがあり、そこには勘やコツといった属人的な情報も含まれます。それらをシミュレーションに応用できるデータへと加工し、分析モデルを開発するのが、プロジェクトの肝でした。大切だと感じたのは、データを単なる数字や画像として見るのではなく、“モノ”に置き換えて想像すること。有効なデータを入力するためには、ものづくりの現場を理解していなければなりません。現場で行われている一つ一つの作業から、注視すべき要素を可視化し、データとして活用する重要性に気付けたのは、私にとって大きな成長です。熟練者のノウハウという可視化しづらい領域をデジタル化するのは、正解のない世界でもあるため、チャレンジングなプロジェクトでした」
新井氏「AIは画像分析が得意なため、通常は塗装後の検査の効率化に使用されます。塗装前のプロセスに着眼した岡崎さんの発想には、目からうろこが落ちる思いがしました。社内にデータとノウハウがあるからこそ実現するソリューションにも、改めてAI開発の面白さを感じます」
環境変化を楽しむ柔軟性が、自己を成長させる
イベントでは、2人のキャリアも紹介された。岡崎氏は、大学時代にCGなど情報工学を研究し、2004年に新卒で入社(※)。色や塗装を軸にCG、AI、IoTの開発に従事し、デザイン、材料、生産を一気通貫でIT支援してきた。その後は塗装から工場へ領域を広げ、近年は工場全体のDXを推進している。
岡崎氏「大学で学んだCG技術と好きだった車を仕事にしたいと入社し、若手時代は技術開発をメインに担当していました。転機が訪れたのは、入社6年目。上司に『製造現場に入って、ITの使われ方を見てこい』と言われたことです。現地・現物で実物を見て学ぶことにより、現場で求められるソリューションを創造できるようになりました。ITは手段に過ぎず、そこにものづくりの知識を組み合わせることで、現場との会話のテンポも上がり、技術開発のスピードも高まるんです」
新井氏「ある日突然環境が変わるのは、企業で働く醍醐味である一方、葛藤の原因にもなります。そこに宝探しのような気持ちで臨んだ、岡崎さんの姿勢はユニークです。AI開発ではこの点が重要で、真に新たなイノベーションを生むためには、現場で実物を見ながら最適解を考え抜かなければなりません。AIに置き換わらない人間の仕事も、そうした部分にあるのでしょう」
鳥居氏の経歴は同社の中でも異色で、トヨタシステムズで働く以前は国立天文台の研究者だった。新たな研究分野にチャレンジしようと同社へ中途入社したのは、2020年のことだ。
鳥居氏「大学時代から研究していた天文学ですが、好きだったのは天体ではなく、研究のアプローチそのものでした。例えば宇宙から来る電波を研究する場合、どういった装置で、どのようなデータを取得するかを見極めなければ、分析は進みません。こうしたマインドは現在も同じですが、対象を宇宙から社会課題へと変え、自分のできることで社会に貢献したいと、トヨタシステムズで働くことを選びました。実際に新規事業開発に従事するようになった今も、研究とビジネスには共通点が多く、これまでのノウハウは大いに役立っています。宇宙の神秘をひもとくことも、高齢ドライバーの課題を解決することも、未知の領域に対して自分がどうアプローチし、何を提案するかを考え抜くプロセスは同じなので、仕事を楽しめているのだと思います」
新井氏「天体と自動車は全く違う領域ですが、直接触れられない物事を観測するという点で、似ている部分もありますね。鳥居さんは既存のデータだけではなく、一つのゴールのために新たなデータを取得する、アグレッシブな精神の持ち主です。そうしたマインドも、研究者の時代に磨かれたのかもしれません」
新井氏は、2人のキャリアの共通点を「柔軟性」と表現し、背景にあるトヨタグループの風土について考えを述べていく。
新井氏「2人とも柔軟性に富んでいて、熟練技能者や高齢ドライバーと向き合う環境に変わっても、楽しみながら取り組んでいます。トヨタグループには『社会課題を解決できればビジネスになる』という、懐の深さがあり、自由に挑戦できる環境こそが、個々のモチベーションを高めているのではないでしょうか」
※当時は統合前の株式会社トヨタコミュニケーションシステム
“テクノロジー×人”の発想で、AI時代のビジネスを拡張
専門知識とモチベーションを原動力に、モビリティ社会の進化を目指す2人。それぞれの目に、自動車業界の大変革期はどう映っているのだろうか。
岡崎氏「製造現場に焦点を当てると、つくるもの自体が変わっているのは間違いありません。昔はガソリン車を開発していたのが、ハイブリッド、プラグイン、EV、水素、電池へと広がり、サーキュラーエコノミーやカーボンニュートラルへの対応も急務です。そこに少子高齢化に伴う労働人口の減少、熟練技能者の引退も重なるので、現場の苦労が絶えないのは当然です。私たち技術者が担うべきは、そうした製造現場に寄り添い、ITの力で支えること。現場の皆さんと知恵を出し合いながら、次なるソリューションを開発していきたいです」
鳥居氏「事業を取り巻く環境は、刻々と変わります。しかしモビリティというのは、あくまで移動する人がいて、初めて意義を持つもの。そのため常に根底には、人に届けるべき価値が存在します。特に今後は、一人一人の異なる事情に向き合いながら、データを活用していく発想が求められるでしょう。トヨタシステムズのエンジニアは、黙々と作業する人よりも、仲間とコミュニケーションをとるのが好きな人が多いです。そんなチームの力で、今後も大きな課題に挑みたいと思います」
イベントでは最後に、新井氏から学生に向けてメッセージが送られた。
新井氏「AI領域では長年にわたり、『日本が周回遅れ』といった言説が飛び交ってきました。しかし前線にいるエンジニアの話を聞くと、実情は異なると感じます。むしろ『宝の山』があるという印象を、皆さんも気付いていただけたのではないでしょうか。AIは製造現場のオートメーション化を加速させますが、完全に全自動で車がつくれる日は訪れません。むしろ困難な課題があるからこそ、“テクノロジー×人”の発想でビジネスの領域は広がるのです。学生の皆さんの可能性は無限大です。ぜひ視野を広げながら、今後のキャリアを謳歌してください」
自動車産業の現場から多くの知見が共有された、トヨタシステムズの学生向けイベント。AI実装のリアリティーは、新たなモビリティ社会が間近に迫っていることを物語っている。大変革期の先にある未来の業界は、誰がリードするのだろうか。世代を超えて受け継がれる熱意に、今後も注目したい。
取材・文:相澤優太
写真:水戸孝造