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市場規模6,000億ドル(約90兆円)とされるインドの農業分野におけるテクノロジー活用。農業はインド国内の主要産業であり、今なお国内総所得の20%近くを占める。一方で、そのポテンシャルを十分に発揮できていないことも指摘されている。
世界一規模を誇るインドの農業
労働者の約半数が従事しているインドの農業および農業関連産業。GDPで見る農業の割合は2022‐23年の統計で15%と、1990‐91年の35%から大幅に減少している。ただしこれはインドの農業が衰退しているのではなく、工業やサービス産業の成長によって押されたもの。農業および関連産業の成長率はこの5年、年率4%と決して衰退分野ではない、と農業相のコメントもある。
日本ではあまり実感がないインドの農業だが、例えばミルクの生産は世界一で全世界の24%がインド産ミルク。他にも、ココナッツ、キビ、紅茶、砂糖の生産が世界一で、野菜や果物、米、カシューナッツなどは世界第2位だ。全世界の果物の10%がインド産で、マンゴー、バナナ、サポジラ、ライムに関しては世界一の生産量を誇る。食料自給率は100%を超えていると見られているが、国内では貧困層や子供の栄養失調が問題視されるなど、正式発表された数字はここ数年見当たらない。
一方でインド経済を支える輸出の数字は好調だ。2022‐23年の統計で、農産物の輸出額は531億ドル(約7.7兆円)。コールドチェーンなどのインフラの整備とともに、果物と野菜の輸出は前年比29%と急増中で、生鮮果物および野菜の輸出は16億3,595万ドル(約2,368億円)、果物および野菜の加工品輸出は22億5,000万ドルにもなる。農産物の主な輸出先はアメリカ、中国、アラブ首長国連邦、ベトナム、バングラデシュなど。品目別ではインド米とその他の米類、穀物、たばこ、カシューナッツなどが上位を占める。
また、経済状況の好転によりオーガニック製品への需要が国内外で増加。油糧種子やサトウキビ、穀物、香料用および薬用植物、コーヒー、紅茶、スパイスと果物野菜が主なオーガニック品目だ。
なお、インドのオーガニック農家の数は国別で世界一。443万軒、耕地面積は591万ヘクタールだとされている。
発展途上の農業体制
数々の世界一を誇るインドの農業だが、問題も山積している。
まずは、前述オーガニック農家の数字に見られるように、一農家あたりの耕地面積が狭いこと。2015‐16年の統計で一農家あたりの耕地面積は平均1.08ヘクタール(日本の平均は3.4ヘクタール、北海道は34ヘクタール)。これは1970年の2.28ヘクタールから年々減少している数字であり、2024年現在どこまで狭まっているのかは不明だ。この小規模な耕作体制に加え、バラバラな作物の作付を無計画に行っていることが、包括的な生産性の向上を阻んでいる一因といえる。
また、こうした小規模農家は融資を受けることが難しく、新しい農機具の購入や肥料、種の買い付けもできず低所得は改善されない。約半数の農家が基本的な農機具を持たず、4軒に3軒の割合で、害虫や天候による農作物の被害のリスクにさらされていると見られている。
さらに、古来の牛などを使った農法を継続している農家が多く、現代農法や最新テクノロジー、農法を変更することへの理解や知識がなく、抵抗感が強いことも事実。資金繰り以前の、こうした意識や情報不足の問題もあり、教育や知識共有の機会がないことが農家の貧困の原因として挙げられている。
莫大なアグリテックの可能性
このような問題に取り組むアグリテックの導入によって、2030年までに農業がGDPに占める割合を2020年比50%増加させ、約90兆円の貢献が実現するという予測がある。
実際、2013年から2020年にかけて、インドのアグリテック企業数は50社未満から1,000社以上に急増している。
時を同じくして、農家の意識の高まりや、効率向上を求める声の増加、農村部におけるインターネット普及率の向上もあり、アグリテックを後押ししている。例えば、農業化学品サプライヤーがデジタルプラットフォームを利用し、仲介業者を排除した形で農家に直接販売できる経路を確立、加えて融資やアドバイザリー、マーケティングサービスを提供することや、農機具の販売会社が販売の代わりにトラクターのレンタルを始めるなどといったものだ。
こうした非常にベーシックで単純明快な変革を農家にもたらすことが叶えば、2030年までに農家の収入は25~35%アップし、インド経済へ950億ドルの付加価値をもたらすと見込まれているのだ。
政府も様々な政策を通じてアグリテックの普及を後押ししている。その一つが、政府主導で作成する農家のデータベースAgristackだ。
土地にリンクするこのデータベースをアグリテック企業に提供し、企業側は必要なサービスを土壌や耕作面積、作物の種類などに合わせて容易にパーソナライズすることができるというもの。一方で、このデータベースは土地所有者のみが登録され、土地を所有しない養蜂家や家畜農家などが含まれていない、古く誤った土地情報が登録されている、収入情報はプライバシーの侵害にあたる、などと指摘する声もある。ただ2019年個人情報保護法案(2022年に白紙撤回)によると、農業や農家のデータはプライバシーの保護に当たらない可能性が高いとされ今なお存在している。
インドにおけるこうしたデータ取り扱いの緩さは、莫大な人口を抱えるうえで大幅な変革を進めていくために不可欠と見られており、政府主導で半ば強引に前進することに重点が置かれている向きもある。なお、Agristackのデータベース作成を含む政府の取り組みは、農家の収入アップが目的だ。
活発化する投資市場
投資家たちの注目も集まっている。直近4年間でインドのアグリテックにおける資金調達はおよそ16億ドル。2022年だけでも114の取引、約1,800億円ものベンチャー投資が行われ、前年比50%増、2020年との比較で3倍の投資額となった。取引額の平均は増加中で、これからスタートアップがこの分野で成熟していくと見られている。特に農業と企業・消費者をつなぐプラットフォームやバリューチェーン全体をカバーするエコシステム、デジタルソリューションといった分野に投資が集中している。
また、インドのアグリテック投資で特徴的なのは、投資先が非常にベーシックであることだ。農業慣行を改善するため、干ばつや害虫、洪水などの天候リスクを回避するための融資や技術への投資であり、先進国での「イノベーティブな食べ物」、植物由来の食品や人工肉といった分野ではない。その結果、投資家たちのアプローチも異なっているとされている。
マッキンゼーのインタビューによると、ベンチャーキャピタル企業は、市場規模、提供するサービスや商品の汎用性、顧客の牽引力、拡張能力、そしてXファクター(新しいテクノロジーを効率的に使用することを習得する学習曲線のような無形のファクター)の5つにフォーカスしていると推測できるとしている。
考慮すべきインド特有の問題
ベーシックな投資ではあるものの、投資家たちはインドならではの特有の問題にも注目しなければならない。アグリテックは、古来の農法を続け、変化を拒む利用者(農家)を取得するのに高額なコストがかかる一方で、取引量はさほど多くない。複数の企業が競合する中で、農家本人のやる気が絡む複雑な問題であるため、複数のタッチポイントや幅広いサービスが必要となり単一のユースケースでは太刀打ちできない。
また、インドの農村部では人とのやり取りを重視する傾向が強い。農村部ではスマホの所有率が75%以上にもなるが、ほとんどの人たちが対面によるデジタルサポートやアプリのインストールを希望しているため、AgrostarやDeHaatなどのアグリテックは、現場担当チームを設置して直接農家と接触し、活動を展開している。
適正な価格であることも重要とのこと。インドに限らず、農家がテック企業からの有料のアドバイスを受けようとする可能性は低いことがその理由。農業分野におけるコンサルティングサービスは、門戸を開く要素であり、金儲けのツールではないと割り切る必要がある。
さらに、アセットライトであることも地理的拡張を迅速に進めていくうえで重要だ。例えばAgriBazaarは、ほとんどの取引で倉庫や品質チェック、輸送を売買する側に移譲することで、固定資産250万ドルに対して流通総額22億5,000万ドルを実現している。物理的なインフラや資産への投資が必要なアグリテックは、設備や施設に投資をする地元の起業家に依存するモデルを構築するのが一般的だ。
ここ数年が勝負どころのアグリテック
既存の企業にとっても、新規参入組にとっても、この先3~5年がインドのアグリテックの勝負どころのようだ。
複数の重要な問題に対処する商品やサービスを提供するワンストップショップなど、すでに成功を収めているプラットフォームも登場しており、物理的なバックボーン/サプライチェーンの構築もしている。アグリテックの利用が浸透すれば、農業関連企業は従来よりも効率的でコスト効率良く農家にアプローチすることができ、より理想的なパートナーシップの確立や、ニーズに合った製品の開発もできる。
世界を席巻するIT大国でありながら、大きなポテンシャルがある国内の農業は何十年も昔のままで、低所得という貧困問題に直面しているインド。この国の農業界でデジタル技術が果たす役割が膨大なことは容易に想像できるが、成功するにはまず農家を知ることからが急務だ。
世界クラスの農産物を産出するインドの農民の持続可能な成長や農村部の繁栄が、インド経済全体に利益をもたらす可能性は果てしなく大きいようだ。
文:伊勢本ゆかり
編集:岡徳之(Livit)