製造業界における労働力不足と生産性向上の課題に対して、ロボットによる機械化だけでなくAIを組み合わせるアプローチが徐々に増加中だ。GrayMatterという米国のスタートアップが開発した「物理ベースAI」を搭載したロボットはその1つ。人間の仕事を奪うと恐れられてきたAIは今、どこまで進化してきているだろうか。

注目のテクノロジー、物理ベースAI搭載ロボット

AIを搭載したロボット開発の、米国のスタートアップGrayMatterが4,500万ドル(約71億円)のシリーズBラウンドの資金調達に成功し、これによって総資本は7,000万ドルになった。同社は「物理ベースAI」を搭載したロボットを開発しており、この資金を基に開発を加速させる計画だ。

ロボティックオートメーションはすでに市場で活用されている技術で、例えばApple社でも様々な組立ラインで利用している。このロボティックオートメーションに「物理法則」を組み込んだものが、GrayMatter社の分野だ。同社のCEOアリヤン・カビール氏によると「従来型のロボットでは対応が困難だった多品種少量生産や変動の大きい製造環境に対応できる」とのこと。2年以上ものバックログに直面している企業は、この技術でギャップを埋めることがかなうと自信を示している。

物理ベースAIは今注目の革新技術だ。AIに物理法則を組み込むことによって、複雑な問題の解決やよりエラーの少ない予測ができるというもの。ニューラルネットワークのフロー構造によって、非常に効率よくほんの数秒で新しいサンプルを出力できる上、学習がうまくいけば予測の精度は驚くほど高くなるとされている。また、物理法則をベースにしているため少ないデータ量で効率よく学習でき、AI開発の際の大きな負担となるデータにかかる費用が抑えられるほか、一から学習することがないため時間の節約も可能だ。また物理ベースAIはさまざまな分野での活用が可能なことも魅力で、エンジニアリング、医薬品設計、気候科学それに流体力学でも採用されている。

深刻なアメリカでの労働者不足

なかでもGrayMatter社が手がけるのは製造業で活用できるAIを組み込んだロボットの開発だ。

アメリカの製造業は2.5兆ドル(約400兆円)規模の産業でありながら、スキルのある労働者不足のため企業は莫大なバックログを抱えているのが現状。製造工程における危険で厳しい仕事は、スキルを身につけるのに長期にわたる研修や訓練が必要なことも労働者不足の原因とされている。現在、380万人雇用が埋まっておらず生産の遅延だけでなく、期待通りの品質保持にも苦しんでいると見られており、ほぼ半分近くの受注が滞っているとの試算もある。

GrayMatterの創始者でもあるCEOのカビール氏は、パーツの種類が多く、高度に多品種、変動の大きな作業が多い製造業ほどこの問題が深刻であることを知り同社を立ち上げたとしている。

同社の中核は、例えばアメリカンフットボールのヘルメットから戦闘機まで、製造過程で労働集約型の表面処理や仕上げ作業ができるロボットによるソリューションの構築にフォーカスし、企業向けにスマートロボットセルを提供するというもの。ロボットが物理ベースAIを駆使して、やすり、研磨、ポリッシュ、スプレー、コーティング、吹き付け、検査までのタスクを実行する。

通常ロボットは一つの特定の作業をするのに数週間かけてプログラミングされるが、この物理ベースAIを搭載したロボットは、高度な自己プログラミング能力を持つため、こうした表面処理作業を自律的に行うことができる。

何週間もかからずに、高レベルのタスク記述から自己プログラミングを行い、観察された性能に基づいてプロセスパラメータを適応させる点が特徴だ。

優れた自己能力を発揮するロボットセル

前述カビール氏の説明によれば、GrayMatter社の物理ベースAIは、既存の製造プロセスモデルと知識を実験データで増強し、リクエスト通りのものを提供しようとする。既存のモデルや知識と矛盾することをAIが学習しないよう、既知の物理ベースのプロセスモデルと知識を「制約」として強制する。

例えばやすりがけのツールの圧力を強めて作業してしまうとその部分に「たわみ」が生じる、という知識をAIに制約として強制するのだ。こうした単純な既知の知識であっても、これまではAIに一から学習させる必要があったが、これを最初から組み込むことで多数のテストをしなくても済むという仕組みだ。

しかもこの自己プログラミング能力は数分で済むうえに、一度プログラミングが済んでしまえば高度に一貫した高速の生産を開始する。人力では困難な生産量と品質の安定が望めるのうえ、ロボットが自分で健康管理をするため、故障や失敗のリスクを削減できるという。

GrayMatter社の物理ベースAIを組み込んだロボットはこれまでに、航空宇宙産業やボート、救急車などの特殊車両、一般消費財などといった様々な業界向けにカスタムされ、20台展開しており、総面積にして約70万平方メートルの表面を仕上げてきた計算になる。

また同社は7月頭に人間の倍のスピードで作業ができる第4世代のロボットを発表した。前の世代のものから各段にスピードアップしたほか、タスク完了までにかかる時間を測定し、安全のための人間工学スコアを計測。これによって、実際の工程をサポートするだけでなく、数値を算出する機能によって企業側は業務改善に数値を使った意思決定ができるとしている。

改善の内容は例えば、仕事で手を使い過ぎることによって発症する手根管症候群のリスクを90%削減できるほか、危険な粉塵を吸い込む工程から人間を排除することで、生産性は30%向上すると見られている。これまで1時間かかっていた工程が6分で完了するなど、目覚ましい改善点があり、新技術によってすぐに結果が出る上に労働者の安全性と満足度がアップするとしている。

時代のニーズに合わせサステナビリティも

またGrayMatter社のチーフサイエンティストであるグプタ氏によると、新技術は持続可能性にも大きな役割を果たすとのこと。材料消費を削減することで、消耗廃棄物を約30%削減できる上、パフォーマンスにはかつてないほどの信頼度と耐久性があり、処理能力を最大限にできるとしている。

同社が得意とする「特殊」な表面処理工程は、製品ごとの特殊なリクエストや工程ごとの異なる仕組みがあるため従来型の大量生産ロボットでは対応できなかった。この物理ベースAIを組み込んだロボットは、大量生産ロボットの隙間を埋めるものではなく、ばらつきの無い高品質の製品生産をサポートし、これまで重視されてこなかった従業員の新たなキャリアアップの機会を提供するまでに展開できるとしている。

こうしたロボットを導入している企業側も、製造のスピードアップや仕上がりに満足している模様。アメリカの商業用照明や家具を手掛けるBega North Americaのオペレーション担当副社長は、「弊社の部品は非常に多品種で、オペレーションの自動化は気が遠くなるような概念だと思っていた。GrayMatter社のロボットはボタン1つで部品の数を問わないタスクの切り替えもできる」と述べ、良好な仕上がりに満足し、労働者不足もある程度解消できているとしている。

また、別の会社の担当者はロボットの採用を「人員削減を目指しているのではない。成長のためのツールであり、従業員が心身ともに消耗することなく、好きな仕事を遂行できるようにしたい」と述べ、同様に生産効率のアップと合わせて従業員のキャリアアップ、ウェルフェアについて言及している。

同社のロボットのインターフェースはユーザーフレンドリーであることも特徴だ。ロボットや自動化の経験がない企業や従業員でも簡単に操作できる。これは、危険を伴う仕事の研修にこれまで通常6週間程度かかっていたものが、1日で完了するという時短ぶりだ。新しいロボットの導入に何週間も時間をとられ、さらなる生産性の低下を招くという事態もなく、わずか1日で100%オペレーションへと導入できるのは物理ベースAIを組み込んだロボットならでは。人間には到底できない。

導入しやすくユーザーフレンドリーなAI

さらに同社のアドバンテージは、導入のしやすさだ。資金が潤沢にある大手企業ではなく、より財政状況が堅実な中小の製造業でも、巨額の設備投資の心配はなく、ハード・ソフトウェアの両方とサービスが含まれた年間費を支払うだけで良いとのこと。前払い金もなく、ニーズが必要な空間などを査定する専門家による見積もりも無料で提供される。

契約に至ると、企業側はGrayMatter社の本社へと招待され、ロボットのデモを確認、そこで満足いく結果であればすぐに企業のサイトへと配達し、従業員向けに操作方法の研修を1日で終わらせるという手順だ。

サイトに運ばれて稼働するロボットは、自己管理型であると同時に、年中無休のサポートシステムやサイトまでの出張サポートも提供。機械学習によってパフォーマンスは強化されるとともに、同社の専門チームが継続的なアップグレードを提供、企業の利益につながるとしている。先行投資が不要であるため、生産性の向上や従業員のウェルネス向上が短期間で可視化できるのも魅力だろう。

カビール氏は「既存の全顧客から、生産のボトルネックが解消された今、隣接装置やアプリケーションの要望を受けている。弊社には製品提供の強力なロードマップがあり、これから増加していく顧客の要求にこたえるためにも製品開発の強化だけでなく、市場戦略、オペレーション、製品、エンジニアリングの分野でチームを強化する予定」としている。今回調達した資金で、ロサンゼルス拠点のチームを強化し次世代AIロボットセルの構築をし、より多くのユースケースに活用する計画をしている。

人々の仕事を奪うと恐れられ、敵視されてきたAIや自動化ロボットは、この労働力不足が深刻な現状において不可欠であると同時に、労働者の過労や燃えつき、さらには危険な仕事への従事から救ってくれる可能性があるようだ。しかも簡単かつ気軽に、短期間で導入できるAI搭載ロボットで労働者不足を解消できるこの物理ベースAIの可能性は、人々が想像するよりもはるかに膨大で人や環境に優しい、時代に寄り添ったアプローチのようだ。

文:伊勢本ゆかり
編集:岡徳之(Livit