生まれた国を離れ海外に移住する「国際移住者」の数は年々増加している。国連のレポートによると、世界の国際移住者数は2000年に1億7,300万人だったが、2010年に2億2,000万人、2017年に2億5,800万人に達した。
国際移住の理由はさまざまあるが、近年顕著になっているのが高度スキル人材による海外就職の増加だ。
技術立国、スマート国家、電子国家などを目指す国が増え、それにともない関連産業における高度スキル人材需要が急速に高まっている。一方、高度スキル人材は分野ごとの偏りや絶対数の不足があり、人材獲得に成功しているといわれる国々でも依然として人材不足は解消されていない状況にある。このため「国家間の人材獲得競争」は年々激化しているといわれている。
海外人材の受け入れに関して日本でも議論が活発化しているが、海外の高度スキル人材の獲得では他国の後塵を拝している状況といえるだろう。
どのような国に高度スキル人材が流入しているのか。またそれはなぜなのか。その理由を探ってみたい。
スイス・チューリッヒ
国民に占めるイノベーター比率がもっとも高い国スイス
高度スキル人材の国際移住に関して、米国のエンジニアリング会社KDM Engineeringがまとめたレポートに興味深いデータが示されている。
同レポートは、国連のデータとINSEADの「グローバル人材競争指数(GTCI)」を基に、海外高度スキル人材の獲得に成功している国をランク付けしている。「Enable」「Attract」「Grow」「Retain」、これら4つの要素から総合順位を算出している。
「Enable」は海外高度スキル人材の受け入れなどに関する法規制や(労働)市場の状況を、「Attract」は国や企業が高度スキル人材にとってどれほど魅力的か、「Grow」は高品質な教育やトレーニングを提供できているか、「Retain」は対象国における生活の質を、それぞれ評価している。
総合1位となったのはスイス。生活の質への評価が高くRetainで1位を獲得。また、高度スキル人材を受け入れる法規制や労働市場も評価されEnableは2位となっている。AttractとGrowはそれぞれ5位。国際移住者は240万人以上。移住者の出身国でもっとも多いのはドイツ。次いで、フランス、オーストリア、英国、米国となった。
総合2位はシンガポール。以下、3位英国、4位米国、5位スウェーデン、6位オーストラリア、7位ルクセンブルク、8位デンマーク、9位フィンランド、10位ノルウェー、11位オランダ、12位アイルランド、13位カナダ、14位ニュージーランド、15位アイスランド、16位ベルギー、17位ドイツ、18位オーストリア、19位アラブ首長国連邦、20位エストニアとなった。
日本は22位。Enableは5位で高評価だったものの、Attractが51位となり総合順位を大きく下げた格好となる。
総合2位だったシンガポールは、Enable、Attractともに1位。移住者の数は250万人。出身国で最多は米国、次いでオーストラリア、カナダ、ニュージーランドと続いた。
スイスに高度スキル人材が集まっていることは、他の数字からも見て取ることができる。
欧州特許庁がまとめた2016年の国民100万人あたりの特許申請数で、スイスは892件と調査対象国で最多となったのだ。2位はオランダで405件、3位スウェーデンで360件、4位デンマークで334件、5位フィンランドで331件だった。
前年の2015年にもスイスは873件で1位となっている。このとき米国は4万2692件の特許申請があり絶対数で1位となったが、国民100万人あたりでは133件にとどまり、スイスとは7倍近い差が開いている。
この結果を生み出している大きな要因が、海外から流入する高度スキル人材だ。
世界知的所有権機関(WIPO)の調査によると、2001〜2010年の間、特許開発に従事できるほどの高度スキル人材(Inventor)の流出入でスイスはネットインフローがあった数少ない国の1つであることが判明。
この時期スイスに流入した高度スキル人材は2万416人。一方、スイスから流出した人材は3,005人にとどまっており、結果1万7,411人の高度スキル人材を獲得したことになる。
同時期のドイツでは、2万5341人の流入に対して3万2,158人が流出。差し引き6,817人が流出したことになる。同調査では、ドイツから流出した人材の行き先でもっとも多かったのがスイスと判明しており、KDM Engineeringのレポートを裏付けるものとなっている。このほかフランス、英国、イタリアの流出人材の行き先でもスイスが最多となった。
スイスに高度スキル人材が集まる理由
スイスに高度スキル人材が集まる理由は、企業や大学の研究開発に投じられる予算が大きく、研究者の需要とその給与水準が高いことが挙げられる。
ドイツ大手新聞Die Zeitと提携する研究者向け求人プラットフォームacademics.comによると、スイスのGDPに占める研究開発費比率は3%と世界平均の2.4%を上回っている。また、米国(2.7%)、英国(1.7%)と比べても高い比率となっている。2015年には50億ユーロ(約6,200億円)以上が研究開発に費やされたという。
研究開発に多大な投資が行われている分野は、工学、電子、鉱物資源、医療、バイオテクノロジー、生命科学、情報通信などだ。
このほか欧州原子核研究機構(CERN)や欧州科学技術研究協力機構(COST)などを筆頭にさまざまな国際的な研究プログラムがスイスで実施されていることも、海外から高度スキル人材が流入する理由となっている。
スイス・ジュネーブCERN研究センターでの実験の様子
スイスの研究開発職の給与水準は高く、academics.comによると、2010年の時点の平均月収は8,500ユーロ(約105万円)だったという。
スイスには日本ではあまり知られていないが世界的に展開する大企業が多い。その多くが多大な研究開発投資を行っており、そのための人材を獲得する上で、魅力的な給与設定を行っているようだ。
アーンスト・アンド・ヤングが実施した調査(2017年)では、企業の売り上げに対する研究開発費の割合は世界平均が3.8%だったのに対し、スイス企業は6.6%だったことが明らかになった。製薬企業のRocheやNovartisに加え、食品メーカーNesteの研究開発投資が顕著だったという。
スイスを代表する企業の1つRoche
またスイスは海外の若者を高度スキル人材として育てる教育環境があることも特筆すべきだろう。
academics.comのまとめによると、スイスの高等教育機関の海外学生の割合は軒並み高い。スイス連邦工科大学ローザンヌ校の海外学生比率は54%以上。ジュネーブ大学では39%、スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH)は38%、サンガレン大学は35%など。海外学生を受け入れる基盤が強固であることを示す数字といえるだろう。
ETHのオープンラボ
スイスは世界ランキングで上位に入る大学が多いが、その学費は米国や日本に比べかなり安い。これも海外の優秀な学生が多く集まる理由の1つといえるだろう。連邦大学の年間授業料は1,500フラン(約16万円)ほど。ビジネス系が中心で学費が高いとされるサンガレン大学でも2,900フラン(約32万円)ほどに収まる。
このように海外の高度スキル人材が集まるスイスだが、少子高齢化が進んでおり、人材不足は解消していない状態だ。チューリッヒ大学と人材サービスAdeccoの調査によると、同国では2030年までに50万人ほどの人材不足が発生する見込み。これには情報通信、エンジニアリング、医療分野などでの高度スキルが求められる職が含まれている。
スイスだけでなく、シンガポールでも高度スキル人材不足問題は深刻化している。人材の供給不足で2030年までに、高度スキル人材の給与が現時点からさらに3万ドルも上がるという試算もあるほどだ。
今後も人材獲得競争の激化が見込まれるが、当面はスイスやシンガポールが優位なポジションに立つことになるはずだ。海外高度スキル人材の獲得を目指す国々は、スイスやシンガポール以上の魅力を持つことが求められるようになるだろう。
[文] 細谷元(Livit)