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EOSブランドをはじめ、優れた技術・機器の提供により、長年にわたり写真家や映像作家の活動を支えてきたキヤノン。製品開発だけでなく、カメラ事業の国内マーケティングを担当するキヤノンマーケティングジャパン株式会社(以下、キヤノンMJ)とともに、写真文化の醸成にも取り組み、若手写真家・映像作家の支援にも注力している。世界で活躍するプロを多数輩出してきたフォトコンテスト「写真新世紀」などは、その代表例といえよう。
そして2022年10月、キヤノンMJから新たな写真・映像作家発掘オーディション『GRAPHGATE(グラフゲート)』を立ち上げることが発表された。『GRAPHGATE』には、PHOTOGRAPHYやVIDEOGRAPHYから「GRAPH」と、写真・映像作家の登竜門になりたいという思いから「GATE」を採用し、「全ての写真・映像作家の入り口」という意味が込められている。
これまで培ってきた写真・映像文化の支援活動の志を引き継ぎながら、新たな未来を目指し立ち上げられた同プロジェクトは、どのように写真・映像表現の世界を変えていくのだろうか。キヤノンMJの新保朋也氏に、企画の経緯や構想を語ってもらった。
写真文化の醸成は、長年受け継がれたキヤノンの使命
世界を代表するカメラメーカー・キヤノンには、一つの特徴的な企業活動がある。幅広い層を対象にした、“写真文化の醸成”だ。良質な製品を提供するだけでなく、撮影された作品をユーザーとともに楽しんでいく。「人々の心を豊かにすることで、社会的役割を果たしたい」と語るのは、フォトカルチャー推進課でチーフを務める新保氏だ。
「写真や映像を文化として、より多くの方に身近に感じてもらう。そのためには、人々のライフステージに合わせたコミュニケーションが必要です。フォトコンテスト、写真教室、ギャラリーでの作品発表など、キヤノンは長年にわたってさまざまな事業に取り組んできました」
小学生向けにカメラ教室や撮影会を行う「キヤノン ジュニアフォトグラファーズ」、全国の高校生を対象にした写真選手権「写真甲子園」、カメラ・写真の愛好家が交流する会員制コミュニティ「キヤノンフォトサークル」、今年で56回目を迎えた国内最大級の写真コンテスト「キヤノンフォトコンテスト」など、その事業は実に多岐にわたる。また、全国3カ所にキヤノンMJが運営するギャラリースペースを持ち、国内著名作家からプロアマ問わず一般の方まで幅広く募った作品を、年間を通じて展示している。
「写真を始めたばかりの方々には、まずは写真を撮る楽しみを感じていただき、ハイアマチュア、プロの方々には表現を発表する場を提供する。こうして社会全体で写真文化が醸成されれば、活躍する作家も増え、一般の方々のもとにも魅力ある作品が届くでしょう。ただし、表現の世界でプロになることは容易ではありません。私たちは、写真家を志す方々への支援も積極的に行ってきました」
1991年にスタートした、公募形式によるキヤノンの文化支援プロジェクト「写真新世紀」は、数々の写真家を発掘してきた新人作家向けコンテスト。これまでの応募者総数は35,550名、受賞者は1,126組に上り、その中で現在、第一線で活躍する、蜷川実花氏、奥山由之氏、澤田知子氏、梅佳代氏などの作家がいる。
「立ち上げ当時、日本における写真賞は『木村伊兵衛写真賞』や『土門拳賞』が代表でした。どちらかというとドキュメンタリー風な作品が主流だったため、『写真新世紀』は “写真の新しい表現”を模索することに主眼を置いたのです。写真のアート的側面があまり認められていなかった時代において、写真の価値を高めていくには有効だったと思います」
30年の積み重ねにより、“新人写真家の登竜門”という地位を獲得した「写真新世紀」は、2021年度に幕を閉じる。インターネットやSNSの普及により、個人が自由に情報を発信し、制作や発表の場がグローバルに広がり、写真新世紀の当初の目的の一つが果たされたということが背景にある。
「社会における写真のあり方が変わったことで、『写真新世紀』の役目は終えたのだと思います。ただし、若手を発掘・支援するという弊社のスタンスに変化はありません。時代のニーズに応えるべく、次なる一手を模索し、たどり着いたのが『GRAPHGATE』でした」
『GRAPHGATE』は、キヤノンMJが新たに発表した次世代の写真・映像作家を発掘するオーディション。2023年4月の募集開始が予定されている。そこにはどのようなコンセプトが込められているのだろうか。次に見ていこう。
作品を“伝える力”を重視した、写真・映像作家の登竜門
写真家オーディション「SHINES」、若手写真家向けワークショップ「キヤノンフォトグラファーズセッション」などを手掛けてきた新保氏は、セミプロや若手の写真家と数多く接してきた。その中で、プロになる上での“障壁”について考えてきたという。
「若い方々に『どのような支援が必要ですか?』と尋ねると、まずは『活動資金』という言葉が返ってくるんです。取材費、交通費、宿泊費、機材費、展示にかかる費用など、写真家・映像作家の活動には多くの費用がかかるため、自身が思い描く作品を撮りにいくことすら難しいんですね。また、昨今の出版業界の衰退、撮影仕事の単価の下落などが重なり、想像以上に活動資金を調達するのは至難の業になっている状態だと思っています。それでもプロとして活動するためには、写真を仕事として売っていかなければならない。しかし若い写真家さんは『自分の作品はどのようなものか』『何を何のために撮っているか』が明確でないことも多い。すると、適切なマーケットにアプローチし、プレゼンするのが難しいんです。多くの作家さんにお話をお聞きしていく中で、活動費や機材や発表の場。この3つを支援することが、隠れた才能を発掘し、さらに大きなステージに羽ばたいていただくために必要な要素だと感じました」
こうした障壁は、インターネットやSNSとも深く関係している。スマートフォンの性能が向上し、Instagramなどソーシャルメディアで写真や作品を発信できる昨今、単純に「良い写真」を公開することは誰もができるようになった。しかし、作品に対する気持ち、作者の個性となると、事情は異なる。
「銀塩写真だった時代のプロ写真家は、表現はもちろん職人的な撮影技術が求められました。しかし“一億総カメラマン”ともいえる現代、差別化という点でも創作意欲やコミュニケーション能力は重要です。そこで『GRAPHGATE』では、自分の作品を語れる写真家・映像作家を求めることに決めました。作品の表面的な美しさや表現技法だけでなく、『何を見つけ、どう撮るか』という意志を重視する。コンテストでなく“オーディション”と呼んでいるのも、創作活動に向けた意欲を見せていただきたいという思いがあるからです」
次につながるきっかけ作りも、我々の一つの役割
“創作意欲を見る”という『GRAPHGATE』の特徴は、選考プロセスに表れている。データ審査となる一次選考では、作品とともに写真・映像作家として今後どのように活動していきたいかの書類の提出も必須だ。
約20名が進むことができる予定の二次選考では、ポートフォリオを事前に提出。当日は作品をプロジェクターで投影し、選考委員の前でプレゼンテーション、質疑応答を行う。
「“作品”を紙とデータ、“意欲”を文章と会話で審査することで、応募者の本気度を見極めることが狙いです。二次選考で優秀賞および佳作を受賞した方には、キヤノンMJ本社(東京・品川)のキヤノンオープンギャラリーで開催する『GRAPHGATE展』で、作品を一般公開していただきます。
そして5名の優秀賞受賞者が、作品への思いや展示の意図をプレゼンするのが、グランプリ選考会です。最終的にはキヤノンMJがグランプリを決定します。このように、作品を伝える能力が随所で審査される仕組みになっているのです」
コミュニケーション能力を重視するのは、「入賞後に次へとつなげてほしい」という思いがあるからだ。その方向性は、選考委員のラインアップにも見られる。第1回の選考委員は5名。キュレーターの梶川由紀氏、映像プロデューサーの品川一治氏、アートディレクターの千原徹也氏、キャスター・ジャーナリストの長野智子氏、株式会社文藝春秋「Sports Graphic Number」のチーフプロデューサーである藤森三奈氏だ。
「ポイントは本業の写真家・映像作家を入れていないことです。通常のコンテストやオーディションでは、同業の方々が審査することが多いのですが、あえて他業種の方々に選考委員になっていただくことで、一般の方々の共感に近づけると考えました。また、次につなげてほしいという思いもあったので、アートディレクターやジャーナリストなど世に伝えたりする立場の方々に委任しています。 “足し算”ではなく、“掛け算”の出会いが、作家の可能性を広げるからです」
実際に「SHINES」の入賞者では、選考委員の紹介によってテレビや雑誌に取り上げられたり、大手ブランドの広告に起用されたりする事例があった。実績とともにSNSのフォロワーも増加し、写真家としての活動を加速させるきっかけになったという。
「優れた作品、それを伝えるコミュニケーション能力を備えていても、作品作りや発表の機会などがなければ活動は発展しません。そもそも写真は、ジャンルによって鑑賞者、評価者が異なります。「評価者」は「次につなげてくれる方、お客様への紹介者」と言い換えてもいいかもしれません。ファインアートであれば鑑賞者はアート好きな方や、コレクターなどで、評価者はギャラリストやキュレーター。 広告写真の場合、鑑賞者は商品の潜在的顧客で、評価者はアートディレクターかもしれません。さまざまな領域から選考委員をお願いしたのは、入賞者が各方面で活躍する可能性を開きたかった、つながりを作りたかったからです。
0を1にするきっかけを提供するのは、弊社ができる最大の支援です。私たちは創作意欲がある方を求めているからこそ、表現の場所、機材、選考委員と知り合うチャンスを準備しました。『それをどう活用していくか』は、最終的には作家さん次第でしょう。『GRAPHGATE』を活用して次につなげる。『GRAPHGATE』が本当の登竜門になっていけたらと思います」
作品の可能性を拡張し、未来の表現を生み出していく
入賞者に対する手厚いサポートの根底には、次世代への期待がある。『GRAPHGATE』では賞金のほか、機材や展示面のサポートを受けることができるが、これも表現の可能性を広げるためだ。
「グランプリや優秀賞の受賞者には、1年後に150m2あるキヤノンギャラリー Sや25mの壁面長のあるキヤノンギャラリー銀座・大阪での展示を行っていただきます。
撮影に集中していただくよう、カメラやレンズなど、撮影機材を3 年間必要に応じて貸し出します。自身の個性を追求するためには、最適なカメラやレンズに出会う必要がありますが、一つ一つの製品を試せるほど安価なものではありません。受賞者に必要な機材を必要に応じて使っていただければ、もっと自分の作品に費やす時間に集中できると考えました」
作品の可能性を広げたいという思いは、応募資格やジャンルの設定にも見られる。
「『GRAPHGATE』では、年齢や経験の制限は設けませんでした。例えば風景写真では、ある程度の年齢を重ねなければ見えてこない光景があると考えています。それを表現する上で年齢やキャリアは関係ありません。
作品ジャンルは「ピープル」「ネイチャー」「クリエイティブ」(写真作品)と「ムービー」(映像作品)から、応募者が自ら選びます。それぞれに対して優秀賞があるわけではなく、選考プロセスでジャンルは加味されません。ではなぜ設定したかというと、一定の作風に偏ることを避け、さまざまなジャンルからもエントリーしてほしかったからです。表現の裾野、可能性を広げることこそ、新しい時代にふさわしいオーディションだと考えました」
表現者への情熱を語ると止まらなくなる新保氏。最後に、『GRAPHGATE』を通じて実現したい、新しい世界を聞いてみた。
「私自身、仕事を通じて、たくさんの写真家・映像作家さんに出会ってきました。一つ一つの作品に、感情を揺さぶられたことが多々あります。そんな自分の世界を広げてくれる作家さんがいることを、もっといろんな人に知ってほしいですね。そして将来、写真家や映像作家を目指す人が増えてくれたらこの上ない喜びです。そのためには、まだ見ぬ新しい表現や、他の業界とのコラボレーションが必要になるでしょう。今後も写真・映像文化の醸成・継承に寄与できるよう、全力で『GRAPHGATE』を成長させていきます」
いよいよ始動する、写真家・映像作家の登竜門『GRAPHGATE』。突破するための条件は、「伝えたい」という強い気持ちなのだろう。未来を変える表現者は、どのように生まれていくのだろうか。第1回を楽しみに待ちたい。
取材・文:相澤 優太
写真:矢島 宏樹