ロシアのウクライナ侵攻が勃発してすでに3カ月弱が経とうとしている。戦争のニュースを毎日見聞きする日々がくることなど、COVIDで静まり返っていた昨年は想像もしなかったことだ。むろんそれ以前からシリアやイエメンでの内戦、アフガニスタンの紛争などが続いているが、こと今回はG20の国が軍事行動に出た衝撃のみならず、暗号資産の台頭など、IT技術によって今まで世界が体験したことがない現象を知ることになった。

流出する頭脳

ロシアのウクライナ侵攻で犠牲になっているのは、ウクライナ側だけではない。ロシアの人々もまた大きな影響を受けている。西側諸国による対ロシア制裁により経済活動が制限されるなか、ロシアではヒト・カネの流出が続いているという。

ロシア連邦保安庁が発表したデータによると、2022年の最初の3カ月間で、約388万人のロシア人が国外に出たという。そのうちどのくらいの人たちが戻ったのかは不明だが、旧ソ連諸国のジョージアやタジキスタンでは、ロシア人の受け入れが昨年の同時期より5倍になったという。旧ソ連、および近隣国に多く流出しているのは、ビザが不要でかつ、EU、米国、英国、カナダがロシアの飛行を禁止しているからだ。

3月13日付のBBCの記事「Russia faces brain drain as thousands flee abroad」によると、ロシアを離れた人の多くが遠隔で仕事ができるハイテク産業に従事しており、ロシア政府に反対しているという。抗議する唯一の方法が技術をもって国外に出ることだと話す人もいる。

ハイテク産業のみならず、科学者、銀行員、医師など高い専門性をもつ多くの若者がロシアを離れており、ワシントンDCの国際金融協会のチーフエコノミスト、Elina Ribakova氏は、ウォール・ストリート・ジャーナル誌で「労働力のなかでも最も生産的な部分が消えつつある」と指摘する。欧州復興開発銀行は、ロシア経済が今年10%縮小するとみている。

一時は暴落したロシアのルーブル。現在は持ち直しているが、官製相場の色合いが強いと言われている(画像出典:Flickr)

沸騰するドバイとトルコの不動産業界

一方で、対ロシア経済制裁で恩恵を受けている国もある。それはアラブ首長国連邦(UAE)とトルコで、両国では今、不動産業が沸き上がっているという。アラブ首長国連邦は2月末に行われた国連安保理の対ロシア決議案の採決で、中国、インドとともに棄権。トルコもNATO加盟国でありながらロシアとの仲介外交ができる独自のパイプをもっている。

ロイター通信によると、ロシア人の不動産購入はトルコでは昨年度のほぼ倍に、ドバイでは問い合わせが10倍に跳ね上がったという。ドバイはウクライナ侵攻以前からビザが緩和されていることや暖かな気候で、ロシア人に人気の観光地であり、不動産購入者のトップリストにも入っていた。トルコもまた同様だ。

さらにトルコとドバイは不動産購入者に優遇措置をとっており、そのようなインセンティブも増加に拍車をかけているようだ。トルコでは不動産に25万米ドルを支払い、かつ3年間保持する外国人にトルコのパスポート取得を許可しており、ドバイでは27万米ドルの不動産購入者は3年間の居住ビザが取得できる。

「特需」という言葉がある。ある社会的な出来事によって、急激に需要、消費が伸び、経済が活性化することで、日本では高度経済成長を支えた朝鮮戦争特需が記憶に新しい。ドバイやトルコの好調な不動産市場、ロシア産天然ガス、石油の禁輸措置によってEUに原油や天然ガスを供給することになった米国は、そんな特需を今、体験しているのかもしれない。

ドバイの人工島パーム・ジュメイラ。ロシアのオリガルヒ(新興財閥)のロマン・アブラモビッチ氏が不動産購入を検討しているという噂がある。

(画像出典:Flickr)

ドバイが狙う暗号資産マーケット

ロイター通信によると、トルコの不動産を購入するロシア人の支払い方法は主に現金、トルコでの口座開設、金ということだが、アラブ首長国連邦では、少し勝手が違う。暗号資産(仮装通貨)での清算依頼が殺到しているというのだ。

3月末、ロシアの大手・中堅7銀行が、国境を越えた送金の世界的な決済ネットワークであるSWIFT(国際銀行間通信協会)から除外された。銀行に紐づけられたGoogle Pay、Apple Pay、その他のデジタルウォレットでのオンライン決済もできなくなった。銀行のみならず、VISAなどの大手クレジットカード、Western Union、Paypalなどのフィンテック企業もロシアでのサービスを停止。数年前なら万事休すに陥る事態だが、最近、著しく伸びている暗号資産が受け皿になっている。

暗号資産は匿名性が高いので正確に証明することはできないが、ロシアの富裕層が資産凍結、ロシア通貨のルーブルの暴落を恐れ、資産を安全な場所に移動する先として、ドバイの不動産が暗号資産によって買われていると言われている。

ドバイ政府も、暗号資産規制のための規制局VARA(Virtual Assets Regulatory Authority)を設置。暗号資産大手取引所のバイナンスがドバイでライセンスを取得、シンガポール拠点のバイビットやクリプトドットコムもドバイに移転するなど、暗号資産運用のインフラが着々と分厚くなっている。5月初旬、VARAはメタバースでプレイするNFTゲームの「The Sandbox」に、バーチャル本部を設立すると発表。規制当局としてメタバースに参入するのは世界初であるという。

抜け穴をふさぐことができるのか

暗号資産が対ロシア制裁への抜け穴として使われている――。3月末に2日間にわたって行われた国際決済銀行(BIS)のイノベーションサミットでそんな意見があがった。

暗号資産は中央集権型システムではなく、ブロックチェーン技術を使うので、個人間の取引には事実上規制がかけられない。また、規制をかけることで暗号資産がもつ「中立性」が損なわれるのではないかと危惧する声もある。

暗号資産は国家政府の管理に縛られず、金融の自由・自己決定権(リバタリアン的価値観)から誕生したものであり、一国まるごと規制をかけるのはその本質になじまない。また、ブロックチェーン技術では取引履歴が明らかで、制裁対象となるウォレットの監視、疑わしいアドレスをアラートすることもできることから、こっそりと大金を動かすことは困難であるという意見もある。

EUやアメリカでは暗号資産に関する監視を強化しており、国際通貨基金(IMF)が世界金融安定化報告書2022年4月版で、暗号資産のリスクに関するグローバルスタンダードを策定すべき、と指摘した。

暗号通貨はゴールド?

世界最大手の投資運用会社ブラックロックのCEOラリー・フィンク氏は、3月24日付Forbes誌で、ロシアのウクライナ侵攻による混乱が暗号通貨を加速させる可能性について触れた。

政情不安やインフレ、デフレによる通貨不安が起こると、より安定した資産にするために全世界で共通して価値がほぼ同等で、国境という色がつかない「金(ゴールド)」に換える傾向がある。最近になって、ビットコインを筆頭に、暗号通貨が21世紀のデジタル・ゴールドになる可能性があると指摘する声も聞かれるようになった。

(画像出典:Marco Verch

ビットコインは国や地域に紐づかず、従来の金融市場とは相関性が薄いという性格から、状況が不安定になった時に、金のように「もっておくと安全」と考えられるようになるかもしれないというのだ。そのような価値感が広く世間で共有されるようになれば、海外の不動産に走る必要がなくなるかもしれないのだ。

先のラリー・フィンク氏はいみじくもこうも述べている。「世界は変革の時を迎えている。ロシアのウクライナに対する残忍な攻撃は、30年以上前の冷戦終結以来続いてきた世界秩序を根底から覆した。今回ロシアがとった行動は今後数十年にわたって影響するほど重大であり、地政学、マクロ経済の動向、資本市場の世界秩序に転機をもたらす」。

文:水迫尚子
編集:岡徳之(Livit