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暗号資産(仮想通貨)が市民権を得始め、デジタル通貨への関心が深まる中、世界中の中央銀行が「CBDC(中央銀行デジタル通貨)」の研究を進めている。日本においても日本銀行が主体となり、CBDCの実証実験を実施している最中だ。
しかし、現金への信用が高い日本においてCBDCを発行する意義はどのようなものなのか。よくある一過性のトレンドに過ぎないのではないか、という疑念もあるだろう。
本記事では、日本がCBDCに対してどのように向き合うつもりなのかをひもとくべく、財務省理財局 国庫課長の西方 建一氏、日本銀行決済機構局 FinTechセンター長である別所 昌樹氏をお招きした。通貨政策のプロフェッショナルであり、CBDCへの造詣が深い両者に通貨の今後について話を聞いた。
なぜ日本では現金への信用が高いのか?
通貨という言葉は当たり前に使われているが、「通貨とは何か」について具体的に説明できる人は少ない。西方氏によると、通貨には大きく分けて三つの機能がある。
西方氏「通貨の一つ目の機能は決済手段です。二つ目の機能は価値の保存、三つ目の機能は価値の尺度です。例えば暗号資産(仮想通貨)であるビットコインは、価格の変動(ボラティリティ)が激しく、通貨としての三つの機能を完全に備えているとは言えないため、通貨として呼びづらい風潮があります。
しかし、通貨を通貨たらしめるのは『信用』です。ビットコインは精巧なアルゴリズムにより、一部の経済が不安定な途上国では、法定通貨よりも通貨として信用できると評価する向きもあるようです。実際にビットコインを法定通貨とした国(エルサルバドル)も存在します」
日本では現金通貨への信用が、海外と比べて高いといわれている。その理由は何だろうか?
西方氏「日本経済そのものへの信頼に加えて、日本の現金に偽造通貨が少ないことが理由でしょう。外国では、日本より偽造通貨の発生件数がはるかに多いのです。昨年11月に発行された新500円貨幣と2024年に発行予定の新しい日本銀行券は、いずれも世界最先端の偽造防止技術が用いられており、現金への信用・現金の安全性を後押ししています。
例えば、新500円貨幣にはユニークな偽造防止技術が施されています。2種類の金属板をサンドイッチ状に挟み込む『クラッド技術』でできた円板を、別の種類の金属でできたリングの中にはめ込む『バイカラー技術』と組み合わせた『バイカラー・クラッド』。貨幣の側面に施されている斜めギザの一部(上下左右4カ所)を他のギザと異なる形状にした『異形斜めギザ』。転写等による偽造を防ぐため、貨幣模様の中央部(桐部)に微細な穴加工を施した『微細点』など、さまざまです」
上図によると、デジタル化の流れが進んでいる一方で、銀行券の流通枚数は各国で増加している。様々な理由があり得るが、銀行預金金利の低さ、高齢化の進展、コロナ禍などにより、現金を家に貯め込む心理が働いているのではないかと考えられる。偽札が少ない日本は、諸外国と比べて貨幣・紙幣の刷新が少ない国だが、その信用度を保つためにも、偽造防止に先手を打つべく今回の貨幣・紙幣の刷新に踏み切った。
現金への信頼が根強い日本においても、昨今はキャッシュレス決済がじわじわと普及し始めており、それに応じて、さまざまな民間事業者により決済手段が多様化している。両氏はこの状況をどのようにみているのか。
西方氏「キャッシュレス決済サービスは利便性が高く、それを支えるFeliCaなどの技術水準も高い。幸いなことにまだ大きな事件は起きていませんが、セキュリティの問題や顧客データの管理、不正利用に関するリスクを考えることも大切な視点です」
別所氏「キャッシュレス決済サービスの一つ一つはとても便利ですが、異なる決済サービス間の相互運用性が高まればさらに便利になるでしょう。相互運用性が高まるとともに、ユーザーはニーズに合わせてさまざまなサービスを選択することができる状態が理想的でしょう」
CBDC(中央銀行デジタル通貨)とは?日本の現状と海外事情
2019年6月のフェイスブック(現メタ・プラットフォームズ)社によるリブラ構想に端を発して、各国の中央銀行がCBDC(中央銀行デジタル通貨)に対する研究・開発を進めている。CBDCの定義は主に四つだ。
別所氏「一つ目はその国の法定通貨建て(日本の場合は円建て)で発行されること。二つ目は中央銀行が直接発行する負債であること。三つ目はデジタルであること。四つ目は中央銀行が従来民間銀行などに提供していた当座預金とは異なること。またCBDCは、個人・企業が日常的に用いるリテール型と、主に金融機関間の決済への利用を想定しているホールセール型に分けられます。今日はリテール型を念頭に置いてお話ししたいと思います。
中央銀行の間でCBDCに関する議論が本格化したきっかけは、リブラ構想です。この構想は各国の中央銀行にとってはいわば『目覚まし時計』の役割を果たし、従来のお金を世の中のニーズに合わせてアップデートする余地があるかもしれないという機運が生まれました」
ところでCBDCは、暗号資産(仮想通貨)や電子マネーと何が違うのだろうか。その顕著な違いは発行主体にある。
別所氏「ビットコインをはじめとする暗号資産(仮想通貨)は、発行主体が存在せず、価値の裏付けとなるのはアルゴリズム。また、電子マネーは民間事業者が発行主体です。これらに対して、CBDCの発行主体は中央銀行です」
西方氏「CBDCは、即時決済性がある点においても電子マネーと大きく異なります。例えば、お店が客から代金を電子マネーで受け取った場合、電子マネー事業者から銀行振込みで入金されるまでタイムラグが生じます。もしお店が代金をCBDCで受け取れるようになると、資金繰りのためのキャッシュフローを用意することなく、受け取ったお店は仕入れや支払いに直ちにCBDCを使うことができます」
CBDCのポテンシャルに注目しているのは日本だけではない。諸外国でもCBDCは大きな注目を集めている。特に途上国と先進国では発展の仕方に違いがあり、両者を分けて考えるのは興味深い視点だ。
別所氏「途上国には銀行口座を持たず、既存の金融にアクセスできない層が一定数存在します。従って、金融包摂(※)の視点からそうした人々をどのように金融にアクセス可能にするか、という見地でCBDCを検討する国は多いです。例えば、すでにバハマや東カリブ通貨同盟、ナイジェリアではCBDCの発行を開始している他、ジャマイカもCBDCの発行をアナウンスしました。
主要国に目を向けると、中国が先行しており、2019年の末からCBDCのパイロット実験を始めて、順次エリアを拡大していますし、ユーロ圏ではデジタルユーロのプロジェクト調査フェーズに入っています。米国については1月にCBDCについての市中協議を始めましたが、政府や議会から明確な支持を得られない限り発行には進まないという姿勢を見せていますね」
CBDCの課題と可能性
日本については、他の主要国と同様、現時点でCBDCを発行する計画はないということだが、CBDCの導入・検討において、財務省と日銀はどのように役割を分担するのだろうか。
西方氏「CBDCを発行する場合、財務省は、それを法定通貨として扱うかどうか、法律面の検討を行う必要があります。また、CBDCの運用に関しては、さまざまなステークホルダーが関与するため、どのような協力体制を構築すべきか、それを法律でどのように位置付けるかを検討する必要もあります。実務上CBDC発行に当たる日銀と密接に連絡を取り合いながら実装を進めていくことになります」
別所氏「CBDCを発行する上では、『二つの意味の共存』を考える必要があります。一つ目は垂直的共存。この共存ではCBDCというエコシステムの中で、日本銀行だけではなく、仲介機関(民間銀行、事業者など)とどのように役割を分担して共存するかが論点になります。二つ目の水平的共存では、CBDCが他のお金とどのように役割を分担して共存するかが論点になります」
CBDCをもし発行することになれば、さまざまなリスクが顕在化する恐れがある。一つは、銀行預金からCBDCへの大規模な資金のシフトが金融システムの不安定化を生み出す可能性だ。また犯罪収益の移転やマネーロンダリングなども当然、リスクとして考えられる。
別所氏「マネーロンダリングなどに利用されることを防ぐため、CBDCにすべからく匿名性を与えるといったようなことは現状考えておりません。しかし、はっきりお伝えしたいことは『CBDCを、国民を監視するための道具とすることは全く考えていない』ということです」
西方氏「自由民主主義国家として、国民のプライバシーは、きちんとしたルールにのっとって適切に保護されなければなりません。CBDCについても、国民のプライバシーをしっかりと保護しながら、民間事業者が自らのサービスに活用できる仕組みをデザインすることが重要です。
また、デジタル通貨は支払いが便利になることに加えて、さらなるサービスを上乗せできるプログラマブルマネーにもなり得ます。またCBDCに期待される役割としては、決済コストが下がるということがあります。デジタルコンテンツをはじめとした小口決済などの決済コストが下がるということは、生活者にとってもメリットがあるため、さまざまなニーズに合わせてフレキシブルな活用のできるお金になれば良いなと考えています。
だからこそ我々は、民間事業者が柔軟にサービスを組み立てるようなインフラをつくることが責務だと考えています。土台をきちんと構築して、民間事業者が追加的なサービスを提供することが理想の形ですね」
「リアル」と「デジタル」の共存、通貨の将来
現金通貨(リアル)への高い信用と新しいCBDC(デジタル)の潮流において大切なことは、両者が対立するものではなく「共存」するものだということ。現金には現金の良さがあり、CBDCにはCBDCの良さがある。ここで論じるべきは両者の良さを引き出すためにどうしたら良いかという建設的議論だ。
西方氏「経済学者の岩井克人先生は、言語と通貨というのは人々の間を普及・流通する様が似ていると指摘しています。法律でこの言葉を使えとか、この通貨を使えというふうに強制ができない代わりに、人々が便利なもの、信頼できるものと認めて普及するに至るといえます。ここで大切なのは信頼性と利便性の両立です。
実は諸外国もこういった仕組みをつくることに同様の課題を抱えています。そのため、CBDCの発行も一つ一つの論点を検証していきながら信頼性と利便性が備わった時点で発行を判断すべきだし、それに合わせて法律も整備することが必要です」
別所氏「CBDCが必要か否か、必要だとしてどうあるべきかは、まだ見ぬ社会の将来像を意識して考える必要があります。また、将来の変化に応じて常に進化できるようにしなくてはなりません。CBDCを発行するとしても、それはゴールではなくてスタートにすぎないのです。同時に、『リアル』と『デジタル』を対立軸にするのではなく相互補完的な関係と捉えて、共存の道を探るのがこれからの通貨を考える上で極めて肝要だと感じています」
CBDCの発行によって、現金通貨が直ちになくなるということは現実的に考えられないが、デジタル化への変化は避けては通れない道だろう。大切なのは日本国民が誰一人として置いていかれることなく、金融包摂を実現しながら、通貨社会のDXを促進していくことだ。「リアル」と「デジタル」の共存を推し進めながら、人々にとって安心できる便利な形で、通貨のアップデートが行われることを期待していきたい。
(※)金融包摂:すべての人々が経済活動に必要な金融サービスを利用できるようにしていく取組。英語ではFinancial Inclusion。
より詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
通貨(貨幣・紙幣):財務省
中央銀行デジタル通貨:日本銀行