迫る気候危機を前に、世界の多くの国々が数十年以内のカーボンニュートラル達成を目指して取り組む中、物流・輸送分野においても温室効果ガス排出量(GHG)削減が急務となっている。

そんななか、海運世界一のデンマーク企業「マースク」が産業ごと変えようと大胆な方向転換を図っており、世界の注目を集めている。

世界の脱炭素は物流の脱炭素なくして実現しない

年間の世界温室効果ガス排出量は、2019年にCO2換算で過去最高の591億トンにまで上昇。

国連環境計画の「Emissions Gap Report 2020」によると、気温上昇を2℃以内に抑えるには2030年までにこれを150億トン削減する必要があり、より安全な1.5℃以内に抑えるためには320億トンを削減する必要がある。

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によると、気温上昇を1.5〜2℃に抑えられなければ、異常気象によって壊滅的な社会的・環境的・経済的被害がもたらされることが指摘されている。

コンテナ船などを用いる物流・輸送は多大な環境負荷を生み出している(写真:Ian Taylor on Unsplash

​​特に物流・輸送は、最も多くの温室効果ガスを排出する産業。

人や貨物の運搬のために大量の化石燃料を燃やしており、輸送に用いる車両や船舶を作り、維持管理する過程も合わせると年間約171億トン、つまり、世界の排出量の3割近くもの温室効果ガス排出を引き起こしている計算となる。

さらには、今も続くコロナ禍でEコマースの利用が増加し、海運需要が供給を逼迫。結果、物流産業が生み出す環境負荷は激増している。

スタートアップとともにグリーンモビリティ化を先導

その物流産業が変革の兆しを見せている。デンマークに本拠を置き、1996年以降、現在に至るまで売上世界一を誇る海運企業A.P. モラー・マースクがその先導役となっている。

マースクは2018年以降、自社のベンチャーキャピタル「マースク・グロース」を通して、グリーンな物流・モビリティシステム実現のため、多額のベンチャー投資を行ってきた。

例えば、今年6月にはエジプト発ITスタートアップの「Trella」に投資。

Trellaは荷主とトラック輸送事業者が、直接貨物の輸送を予約できるオンラインプラットフォーム。荷主に透明性の高い公正な価格での利用を可能にし、輸送中の貨物を追跡することもできる仕組みだ。輸送業者にとっては積載率と効率の向上につながる。

また、9月には廃棄物からバイオエタノールを開発製造するアメリカの「WasteFuel」への投資を発表。

この発表は、マースクが8月に締結した、メタノールを動力源とする外航船8隻の建造と、この船の動力となるカーボンニュートラルなメタノールの製造という、2つの大きな動きに続くものだ。

マースクは2023年よりメタノール燃料船の出航を順次開始し、2024年第1四半期には8隻すべての配備・運用が開始される。これによって削減できる二酸化炭素排出量は100万トンに上ると見込まれる。

さらには船舶だけでなく、自社エアラインであるマースク航空やトラック運送のグリーン化加速の足がかりにしたい考えだ。

WasteFuelへの支援を強化・連携することでグリーンな輸送の仕組みの完成を急ぐ(出典:Maersk公式ツイッターアカウントより)

同じく9月、空気中のCO2を直接回収して作る燃料を開発する、シリコンバレーのスタートアップ「Prometheus Fuels」にも投資。同社が開発する、コスト効率の高いカーボンニュートラルな燃料を海運に転用するための準備を進めている。

9月にはさらに、2019年にシード段階で初めて投資した、ポルトガルのファッション特化型物流スタートアップ「HUUB」の買収にも踏み切った。

そして、10月にはバイオ燃料を開発するオランダの「Vertoro」にも投資。同社は森林・農業残渣から独自の熱化学プロセスを用いて、Goldilocksと呼ばれるバイオ燃料を開発製造するスタートアップで、来年以降、マースクと海上船舶用燃料の共同開発を予定している。

この他にも、スウェーデンで電気自動車や自動運転トラックを開発している新興企業「Einride」を支援したり、「Huboo」「Modifi」など貿易金融関連スタートアップ3社にも投資。

マースクが投資対象とするこれらのスタートアップが持つ技術は、実用化・スケールできれば産業のゲームチェンジャーとなるものばかり。物流産業におけるイノベーションを加速させている。

透明で簡潔なグリーンモビリティネットワークの確立へ

このように、マースクが目指すのは、ただ単に船舶を管理するだけでなく、コンテナ物流のグローバル・インテグレーターとして、顧客のサプライチェーンをつなぐと同時に、煩雑なチェーンをシンプルなものにすることだ。

倉庫になにが入っているのか、製品の追跡、輸出入に関わるお金の流れも透明性高く整理し、しかも、カーボンニュートラルな世界を同社は思い描いている。

マースクが投資を行う「マースク・グロース」は、同社のコーポレートベンチャー部門であり、物流産業全体のデジタル化、民主化、脱炭素化を実現するために、スタートアップ企業に投資して伴走する機関だ。

このマースク・グロースを通じて、新しいビジネスモデルや技術を発掘し、自社事業に適用することで、同社が目指す「グローバルなサプライチェーンをつなぎ、簡素化する」ことを可能にしている。

2020年10月には、世界で唯一の船舶向け脱炭素燃料の研究機関「マースク・ゼロカーボン・シッピング研究所」(The Maersk Mc-Kinney Moller Center for Zero Carbon Shipping)を設立。

同研究所は、創立パートナーの日本郵船、三菱重工業、アメリカの船級協会ABS、穀物大手カーギル、ドイツのMANエナジー・ソリューションズ、シーメンスの6社とともに、代替船舶燃料のサプライチェーンの検討と、船舶の新技術開発によるゼロエミッション船舶の商業化を目指している。

物流産業の「卵が先か鶏が先か」問題に風穴

これまで、物流・輸送産業で変革が進まなかった理由としては、スケールの難しさが挙げられる。

物流産業は、事業を維持運営していくために巨大な資金を必要とする資本集約的な性質を持つが、温室効果ガスの排出量削減のためには、新たなインフラ構築が必要となるため、既存の維持運営費に加え、巨額の投資が必要となる。

環境負荷の少ない燃料などを生み出すテクノロジーを持つ企業は、海運企業大手からの発注が足りないことを嘆き、海運企業側は自社の持つスケールに対応できる新燃料供給者がいないことを嘆く、まさに「卵が先か鶏が先か」の状況に陥ってしまっていたのだ。

そうした状況に風穴を開けるべく、投資・買収・自社への適用と、スピード感を持って動くマースクの本気度はたしかなものだろう。物流・輸送業界の未来図を映し出すマースクのポートフォリオから目が離せない。

文:西崎こずえ
企画・編集:岡徳之(Livit