インドネシアのバリ島から飛行機で一時間足らずの場所に、スンバという島があります。

約12,000近くもあるといわれるインドネシアの島々の中、最も貧しい島とされていた時期もあったようですが、今徐々に変わろうとしています。

それを可能にしつつあるのが、リゾートと島民とのユニークでサスティナブルな相互依存の関係。

今回は、なぜスンバ島がそのようなリゾート地となったのか? この島を舞台に起きた二人の男の出会いを紹介します。

現在のスンバ島のリゾート、“NIHI SUMBA”の様子

元サーファーの若者が目指したスンバリゾート

コトの始まりは今から40年ほど前。

この島にバックパックを背負ったジョージア州出身の若者、クロードがやってきます。サーファーだった彼は島の噂を聞きつけてやってきたのだといいます。

初めてクロードがスンバ島についた当時の写真。自然環境がほぼ当時のままに保たれていることがわかります。

素朴な島とビーチと波。それになにより全く開発されていない素晴らしいこの場所を一目で気に入った彼は、自分たちの手で開発をしようと7ヶ月後に再び戻り、徐々にコテージを建てていきました。

最初の目的はビジネスで、「7〜8年かけてリゾートを構築し、それを売却すること」だったようです。つまり波乗りをしながらも、一儲けするためにここを利用しようという魂胆だったのですね。​​ところで、波乗りをやったことがある人ならわかると思うのですが、良いポイントには人が集まってくるのは当然で、海には多くの人が入ってきます。

ところがここは1日10人という人数制限をしたために、決してアクセスが簡単ではない場所にも関わらず、サーファーにとっては知る人ぞ知る穴場スポットとなり、お客の数も順調に増えていきました。

1996年当初の予定通り、マレーシアの企業に売却しょうとした矢先、アジアに金融危機が襲い、マレーシアの会社は撤退。さらにその後この地方を地震が襲い、建物の多くが崩壊してしまったのです。

スンバを持続可能なリゾートへ 二人の男が立ち上げたプロジェクト

ほぼすべてを失った彼は、島から逃げ出すことも可能だったと思います。

しかしそうしなかったのは、開発をする際の「雇用を創出して、より良い健康と教育を作る」という長老との約束が忘れられなかったからだと、後に語っています。

そこで彼は約束を果たすため、今後20年間の事業計画とともに島民のために尽くすことへと力を注ぐことにします。その後人を介して紹介された、投資家でトリーバーチの前主人のクリスバーチ氏らと、プロジェクトを提携することを決定。

Tory Burch

バーチはクロードの島民のための活動のために支援が必要なことを知り、リゾートのオーナーになることで島と財団への支援をすることを決定。以後、毎年約50万ドル近くもの金額を財団に寄付。島民とビレッジとが共に持続可能となるリゾートの運営をしています。

同時に宿泊者からの寄付とボランティア活動も始まり、その結果リゾートと島と島民とのユニークなコラボ関係が実現。魅力的かつ理想的な相互依存のカタチができているのです。

リゾートは島で最大の雇用主となっただけでなく、きれいな水の確保のためにこれまでに60近くもの井戸を造りし25,000人以上の水源を確保。

Sumba

4つのクリニック設立し、財団の活動しているコアエリアでは住民達のマラリアを93%も抑えることに成功。多くの子供達の命を救ってきました。

Sumba

さらに島の栄養の不足している子どもたちのために学校への給食を無料で提供したり、将来観光業で働くために英語も無料で教えたりと、多くの活動を財団はしています。

Sumba
子どもたちに給食を配ったり、語学を教えるなど、旅行者もボランティアに参加することが可能。
Sumba

リゾートもまた、ベスト隠れ家リゾート、ベストインドネシアリゾート、世界ベストホテル、世界で最もインスタ映えするホテル他、多くの賞を受賞。

元サーファーでバックパッカーだった一人の青年が、リゾートと財団を設立、作成、管理し、国際的に認められ、受賞歴のある持続可能な観光モデルを作ったのです。

クロードは2013年2月にリゾートのマネージングディレクターを辞任。現在もスンバ財団のマネージングディレクターとして全力を注いでいます。

実は「ここで日本語を教えないか?」と誘われているのですが、近い将来一年くらい行ってみるも悪くないかも・・・」と本気で考えたりしています。

今回は、スンバがなぜリゾート地となったのか? そしてこのスンバという土地の魅力をお伝えしましたが次回ではリゾート地として今、どんな状況なのかをお伝えします。

取材・文:山下マヌー
取材協力:NIHI Sumba(ニヒ・スンバ)