スタートアップに投資した経験のある複数の投資家に焦点を当て、投資判断の裏側にある思考プロセスに迫る「Investor’s eye」。今回は特別編として、スタートアップ企業にとっての海外展開の選択肢のひとつである『香港』におけるビジネスチャンスを取り上げる。登場するのは、海外や中国本土の企業が香港で事業を展開する際の支援を行うインベスト香港のイノベーション&テクノロジー部門長であり、ライフ&ヘルスサイエンス部門も統括するAndy Wong氏。

香港と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。世界を動かす国際的な金融センター、アジアの活気あふれるハブ都市、あるいは高層ビルが天空にそびえ立つ摩天楼。それらはどれも間違いではない。しかし、香港は今、そのイメージを大胆に塗り替えようとしている。目指すは、単なる金融ハブではない「イノベーション都市」だ。

日本企業がそんな香港を国際戦略拠点として活用した場合、どのようなベネフィットを得られるのか。Wong氏に話を聞きながら、香港を拠点とした日本企業のビジネスの可能性について探っていく。

【プロフィール】
Andy Wong(アンディ・ウォン)氏
香港の政府機関であるインベスト香港で、イノベーション&テクノロジー部門長およびライフ&ヘルスサイエンス部門の統括責任者を務める。インベスト香港は、海外および中国本土の企業が香港で事業を開始・拡大するのを支援する機関であり、同氏は特に先端技術分野と健康科学分野における香港のイノベーションエコシステムの推進を担う。

中国と世界をつなぐ「金融ハブ」として機能する、香港の魅力

日本から飛行機でわずか約4時間の香港。地理的な優位性こそが、ビジネスにおいて最大の強みだとWong氏は語る。

「香港から飛行機で約4時間以内には、日本を含め、アジアの主要都市のほとんどにアクセスできます。5時間以内であれば、世界主要国の約半分にアクセス可能です。さらに中国本土へのアクセスもスムーズで、高速鉄道や橋が整備されており、30分から1時間ほどで行き来できます。この地理的優位性は、日本企業の海外展開を劇的に加速させると思います」

インベスト香港 Andy Wong

地理的な優位性だけではない。香港は社会主義国である中国の一部でありながら、「一国二制度」の下で資本主義を保持している。さらに、多くの貿易市場で広く認知・採用されているコモンロー制度を導入しており、独自の通貨を持ち、輸出入に関税がかからない、 自由港として機能している。こうした点は、香港のユニークな強みであり、世界中の企業が中国市場へアクセスするための理想的な「金融ハブ」としての機能を果たしている。

「香港は、70カ国以上のグローバル銀行が集まる国際金融センターです。さらに、中国本土とは異なる規制のもと人民元が取引される、海外投資家向け最大のオフショア人民元市場もあります。つまり、香港は中国とそれ以外の国々をつなぐ『ハブ』として機能しているのです。独自の商習慣を持つ香港を経由することで、企業は中国市場へのアクセスをよりスムーズに行うことができます」

さらに、会社設立のハードルの低さも特筆すべき点である。わずか数日で会社設立が可能で、取締役は香港の人間でなくても問題ない。法人所得税は基本的に16.5%と低く、収入が200万香港ドル(約3,800万円)以下の企業には8.25%の軽減税率が適用される。輸入関税もゼロで、自由貿易港としても知られる。Wong氏は、これらの環境が「海外進出や香港への投資を強力に後押ししている」と強調する。

「私たちが進出をサポートした日本企業の中には、日本で開発したプロダクトを、香港を拠点に中国本土や東南アジア、ひいてはグローバルに展開するケースが数多く見られます。これは香港が持つ地理的・制度的な優位性が、企業の成長戦略と見事に合致した結果だと考えています」

近年では、政府主導で「イノベーション都市」へと変貌

長らく中国と世界をつなぐ金融ハブとしてのイメージが強かった香港だが、ここ数年は政府主導のイノベーション推進も加速している。その背景には、世界トップクラスの学術機関の存在と、政府によるインフラ・資金の両面からの手厚い支援がある。Wong氏は特に、都市の「頭脳」となる学術機関の存在を、イノベーションの土壌として高く評価する。

「香港の人口はわずか750万人ですが、QS世界大学ランキングのトップ70に5つの大学がランクインしています。トップレベルの教授や学生が揃っており、イノベーションを生み出す土壌は十分にあります。さらに政府は20年以上の歳月をかけて、“サイバーポート”と“サイエンスパーク”という2つのイノベーション創出の拠点を整備してきました」

日本でのセミナー登壇のため来日したAndy Wong

サイバーポートは、AIやフィンテック、スマートシティなどのデジタルテクノロジー分野のスタートアップを支援する拠点であり、一方のサイエンスパークは、最新の開発設備や実験施設を備え、大規模な研究開発(R&D)を推進する拠点だ。これらの施設には2,000を超えるテナントが入居しており、その中にはスタートアップや外資系企業も含まれていて、日々活発な研究開発活動が行われている。

政府の支援はこれだけにとどまらない。特定条件を満たす研究開発投資に対しては、最初の200万香港ドルまで3倍の税制控除が適用されるなど、強力なインセンティブが用意されている。さらに、研究者や起業家への補助金、民間ベンチャーキャピタル(VC)との共同投資ファンドなど、多様な資金源が充実している。

「RAISe+(研究・学術・産業セクター ワンプラススキーム)が創設され、大学や産業界のイノベーションを商業利用につなげるためのマッチングファンドを提供しており、初期段階では政府:大学/産業界の比率が2:1になっています。また、赤字であってもバイオテクノロジー企業が上場できる特別スキームもあり、この制度により香港はバイオテクノロジー分野における資金調達で、ニューヨークに次ぐ世界第2位の地位を確立しています」

このように香港では、最先端の技術を持つスタートアップが、資金の壁にぶつかることなく成長できる環境が整っている。

香港が、「日本の技術」を「世界のビジネス」に変える

ここまで紹介してきた香港の特徴と日本の強みが掛け合わせることで、大きなシナジーが生まれると、Wong氏は期待する。

「日本企業が持つ精密工学、製薬、再生医療、ロボティクス、そして省エネや二酸化炭素排出抑制といった分野の技術は、香港にとって非常に魅力的です。特に製薬や再生医療の分野では、日本には最先端の研究を行うリサーチセンターがあり、これらの研究開発力や技術力は大きな強みです。これらと、香港の持つ柔軟なビジネス環境、さらにはグレーターベイエリア(香港、マカオ、広東省の9つの都市で構成されるエリア)という巨大市場が組み合わさることで、大きな相乗効果が生まれると確信しています」

日本企業が香港を拠点とすることで、研究開発拠点の活用、政府のインセンティブ享受、そして低税率でのビジネス展開が可能になる。これにより、日本の研究開発力や技術力を「世界のビジネス」へと変換できる可能性があると言う。

「香港を拠点に、中国本土や東南アジアへの市場開拓を目指すことができますし、香港の大学や既存の企業と連携して、共同研究やビジネスを進めることも可能です。例えば『ロート製薬』は、香港に海外初の基礎研究拠点を設立しました。最近ではドラッグストアチェーンの『ダイコクドラッグ』が香港に初の海外店舗をオープンし、中華圏と東南アジア市場への進出を強化しています。日本企業が香港を活用することで、国境を超えたビジネスの可能性が大きく広がると感じています」

Wong氏は、香港が持つ「資金調達の容易さ」「優秀な人材へのアクセス」「グローバルな商習慣」といった要素こそが、日本企業の課題を解決する鍵になると強調する。国内市場の限界に直面している企業や、新たな市場を求めている企業にとって、香港は魅力的な選択肢となりうるだろう。

単なる地理的な場所ではない。自己成長とビジネスの可能性を追求するプラットフォームへ

Wong氏の話から伝わってくるのは、香港がもはや「金融の街」という一面では語れない都市であるということだ。彼の言葉の端々からは、バイオテクノロジー、AI、ロボティクス、スマートシティ、フィンテックなど、多岐にわたる分野でイノベーションが花開く可能性を秘めた都市像が浮かび上がる。

「香港は、あらゆる業種、あらゆる企業にとってビジネスチャンスがある場所です。初期段階の研究開発から市場開拓、最終的な販売まで、香港を拠点に多くのことが実現できます。国籍を問わず、世界中からスタートアップの設立者が集まっており、中国本土、米国、英国、フランス、シンガポール、そして日本からも多くの起業家が香港に拠点を置いています。ぜひ、皆さんのビジネスにも香港を活用して欲しいです」

このメッセージは単なるビジネス誘致の呼びかけではない。そこには「変化を恐れず、常に新しい価値を生み出し続ける」という、香港という都市の根底にある哲学が込められているように感じる。

グローバルな視野を持ち、自らの手で未来を切り拓きたいと願うビジネスパーソンにとって、香港は単なる地理的な拠点ではなく、自己成長とビジネスの可能性を追求するためのプラットフォームとなるだろう。

少子高齢化や労働人口減少といった課題を抱える日本国内にとって、香港は新たなキャリアやビジネスの可能性を拓くフロンティアだと言える。日本が誇る技術力と、香港が持つダイナミックな環境が交差するこの場所で、どんな化学反応が生まれるのか。香港が挑戦し続ける未来に、今後も注目したい。

文:吉田 祐基