TikTokで突如として「第三次世界大戦コーデ」なるファッション・トレンドが拡散されている。ハッシュタグ「#WW3」や「#CombatCouture」とともに投稿される動画の数は急増し、迷彩柄の衣装、軍服を模したコーディネート、戦闘ブーツなどを身にまとったZ世代のインフルエンサーたちが一種の“戦場ミーム”として視聴者の注目を集めている。

このトレンドは単なるファッション遊びではなく、社会情勢とSNS文化が交差する現代的な現象として興味深い。この現象の背景には、イスラエルとイランの軍事的緊張が高まり、世界中で「第三次世界大戦」が現実味を帯びたニュースとして流れたことがある。恐怖と不安が渦巻く中、Z世代はそれをユーモアとビジュアル表現で“着こなす”という行動に出たのである。

「着る戦争」──TikTokに現れた異様な美意識

「第三次世界大戦コーデ」では、いわゆるリアルな軍事装備とは異なり、どこかポップで演出過多な装いが目立つ。

カモフラージュ柄のビキニ、ハイブランド風にアレンジされたミリタリールック、フェイスペイントやサングラスで演出された“戦闘モード”などが、音楽と共に投稿される。BGMとしてはKeshaの「Blow」や、ミームで定番となっているトラックが使用され、演出のトーンはあくまで軽妙である。

実際にこのような「第三次世界大戦コーデ」を披露しているTikTokの投稿例が以下だ。キャプションもコミカルに設計されており、あくまで“本気風ジョーク”として機能している。

投稿例
https://www.tiktok.com/@clairekiwosabi/video/7517842430176087327
https://www.tiktok.com/@mangomuchies/video/7517284411537149206
https://www.tiktok.com/@paulinalambaskis/video/7518108307777768734

ユーザーたちは「WW3 ready(第三次世界大戦に備えたコーディネート)」や「combat couture(戦闘のハイファッション)」と称しながら、明らかに現実から乖離したフィクショナルな戦場を演じている。その滑稽さが、まさにTikTok的ユーモアの文脈でウケているのだ。

戦争とユーモア──Z世代の「現実逃避」か「風刺」か

なぜこのようなトレンドが拡散したのか。その背景には、Z世代特有の「不安へのユーモア的対応」があると言える。戦争やパンデミック、気候危機など、彼らは幼少期から“危機”が日常に存在する世界で育ってきた。その中で、「笑い飛ばす」「ミームに昇華する」というメカニズムは、自己防衛的な心理反応として定着している。

「第三次世界大戦コーデ」は、不安に対して真正面から抗うのではなく、それをアイロニーや演出性で包み込んで距離を取る表現だ。戦争の現実があまりに過酷であるからこそ、それを虚構的にデフォルメし、自分たちの文脈で語るという態度を表している。

ミームとしてのファッション:#WW3はZ世代の自己表現

このトレンドのもう一つの側面は、「ファッションがミーム化する」という現象だ。TikTokでは、ファッションが従来の「着るもの」から、「演じるもの」「コンテンツ化するもの」へと変化している。動画投稿は単なるオシャレの見せ合いではなく、ストーリー性、視覚効果、文脈性を持った“短編カルチャー”になっているのだ。

「第三次世界大戦コーデ」動画もまた、その一形態である。実際の軍服や戦争には何の関係もないが、「危機に直面した時、自分ならどう振る舞うか」という仮想の状況を、ファッションというフォーマットで表現する。それは、投稿者が自分自身の感情や価値観、世界観を演出していることにほかならない。

批判と共感──不謹慎と風刺のあいだで揺れる反応

もちろん、このトレンドに対しては批判も少なくない。「戦争を軽視している」「不謹慎だ」「命を奪う現実をネタにするな」といった声がSNS上で見受けられる。特に実際に紛争地域にルーツを持つユーザーにとっては、笑いのネタにされた現実はあまりに生々しい。

一方で、「このやり方でしか恐怖を処理できない」という擁護の声も存在する。恐怖や怒りをダイレクトに表現するのではなく、それを笑いや皮肉で包むことで、ようやく言語化・視覚化できるという側面があるのだ。TikTokという匿名性と創造性が共存するプラットフォームは、そうした矛盾を許容する場所でもある。

ファッション・ユーモア・不安──三つが交差する場所で

「第三次世界大戦コーデ」が示しているのは、単なるファッショントレンドでも、炎上ネタでもない。これは、グローバルな緊張と日常の不安に対して、Z世代が編み出したひとつの表現形式であり、集合的なメンタルの現れである。

戦争という重く過酷なテーマを、笑いと装いで軽く演出し、共感と反発を呼び起こす。それは、彼らのリアリティがSNS的であり、ミーム的であり、何より現実に対して「無力ではいられない」ことの証左である。

その表現は、いま、私たちが無視できないかたちで拡がっている。

文:岡 徳之(Livit