国際海運業界が脱炭素化に本格的に舵を切り始めている。2025年4月、欧州最大級の港であるロッテルダム港で、アンモニアを燃料とするバンカリング(船舶への燃料供給)の実証実験が成功裏に実施された。日本でも商船三井や日本郵船がアンモニア燃料を活用した船舶の開発と実証を進めており、次世代エネルギーとしてのアンモニアに注目が集まっている。

世界有数の港・ロッテルダムが示す未来の港湾モデル

オランダのロッテルダム港は、年間取扱貨物量約4億トンを誇る欧州最大、そして世界でも有数のハブ港であり、石油や天然ガス、化学製品など多様なエネルギー資源が行き交う。とりわけ海上輸送における「燃料供給港(バンカリングポート)」としても重要な拠点で、年間およそ1,000万トンの船舶燃料が供給されている。

4月12日には、アンモニアを燃料とする次世代の海上バンカリングに向けたパイロット実証が、世界でも類を見ない形で実施された。この実証では、アンモニア専用のタンクを搭載した2隻の船舶間で、液化アンモニア800立方メートルを安全かつ効率的に移送する「船対船(Ship-to-Ship)」方式が採用された。移送されたアンモニアは、摂氏-33度まで冷却された液体状態。APMターミナルの新設岸壁「マースフラクテ2」沿岸で実施され、所要時間は約2.5時間だった。

実施にあたっては、港湾管理者であるロッテルダム港湾局のもと、アンモニア供給事業者のOCI、タンカーの運航を担うトラモ社、安全機器や手順を提供したジェームス・フィッシャー・フェンダーケア社など、複数の専門企業が連携。また、地元の環境保護局(DCMR)や消防・危機管理機関(VRRおよびGB)も参加し、想定されるあらゆるリスクに対応した。

特に注目すべきは、一切のアンモニア漏洩や事故が発生しなかったという点だ。これは、安全フレームワークの有効性を裏付けるものであり、同港での今後の商業的なアンモニア燃料供給に向けた重要なステップとなった。

今回使用されたのは「グレーアンモニア」だが、構造的には「グリーンアンモニア」と同一であり、供給インフラやハンドリング手法の共通化が可能であることも実証された。港湾としての技術的準備度を示す「Port Readiness Level」も、今回の実証によって6から7へと引き上げられ、今後は個別プロジェクト単位での本格的なバンカリング運用が可能になる。

なお、「Port Readiness Level」は9つの準備レベルで構成されており、NASAの技術準備レベル(TRL)の概略にほぼ沿っている。最初の3つのレベルは研究段階、次の3つのレベルは開発段階、最後の3つのレベルは展開段階となる。

欧州の助成金で脱炭素を後押しするMAGPIEプロジェクト

今回の実証実験は、EUの研究助成制度「Horizon 2020」による支援を受けた「MAGPIE(Smart Green Ports)」プロジェクトの一環でもある。MAGPIEは、ロッテルダム港をはじめとする欧州の主要港・大学・研究機関・企業が連携し、港湾におけるエネルギー転換と物流効率化を推進する共同プロジェクトだ。

この枠組みでは、グリーンエネルギーの導入だけでなく、燃料インフラの構築や関連技術の実証実験も進められており、今回のアンモニアバンカリングもその代表例となる。パートナーには、ゼロカーボン海運を推進するデンマークの「マースク・マッキンニー・モラー・センター」なども名を連ねており、得られた知見は欧州全域、さらには国際社会へと共有される見通しだ。

なぜ今アンモニアなのか?注目の背景と利点

国際海運は、世界のCO2排出量の約3%を占めるとされ、脱炭素化が急務となっている。IMO(国際海事機関)は2050年までに温室効果ガス排出を実質ゼロにする目標を掲げており、化石燃料に代わる次世代エネルギーの導入が進められている。

その中で注目されているのが「アンモニア燃料」である。アンモニアは燃焼時にCO2を排出しない「ゼロカーボン燃料」であり、水素と窒素から合成できる。加えて、世界中で既に肥料や化学品として広く利用されており、製造・輸送・貯蔵のインフラが整っている点でも優位性がある。

特に注目すべきは、アンモニアが持つ複数の利点である。まず、アンモニアは炭素を含まず、燃焼してもCO2を発生しないため、海運業の脱炭素化に大きく貢献できる。また、肥料用途などで長年使用されてきた背景から、製造・貯蔵・輸送のインフラが世界各地に既に整備されており、こうした既存インフラをある程度活用できる点も大きなメリットだ。さらに、アンモニアは-33℃で液化でき、LNG(-162℃)に比べて冷却エネルギーの負担が少ないため、輸送・貯蔵が比較的容易である。

加えて、アンモニアは水素を効率よく運ぶ「水素キャリア」としての可能性も期待されており、燃焼だけでなく、分解して水素を取り出す活用方法も検討されている。将来的には、再生可能エネルギー由来の「グリーンアンモニア」が普及することで、持続可能なエネルギー源としての価値が一層高まるだろう。水素と比較して体積当たりのエネルギー密度も高く、長距離航海にも対応しやすい点も強みである。

一方で、いくつかの課題もある。アンモニアは毒性が高く、漏洩時には安全性に注意が必要となる。また、着火性の低さや燃焼時のNOx(窒素酸化物)排出への対策も必要だが、これらは既に技術開発が進められており、解決に向けた取り組みが進行中である。

こうした課題を踏まえながらも、海運業界では安全対策やエンジン開発が急ピッチで進められており、アンモニアは将来的な主力燃料としての期待が高まっている。

商船三井・日本郵船、アンモニア燃料船の実用化に向けた動き

日本の大手海運企業も、アンモニア燃料の実用化に向けた取り組みを加速させている。

商船三井(MOL)は、2023年に世界初の大型アンモニア燃料輸送船の設計に着手。航行中に自らの推進力をアンモニア燃料でまかなうことができる仕様で、早ければ2030年頃の実用化が期待されている。商船三井は、アンモニアの供給体制整備や国際基準の策定にも積極的に関与しており、サプライチェーン全体の脱炭素化を見据えている。

また日本郵船(NYK)も、2024年にアンモニア専焼エンジンを搭載した実証船の海上試験を完了。国内外の造船企業やエンジンメーカーと協力し、安全性や運用面での課題を検証した。NYKはこの実証を経て、将来的な船隊のアンモニア化、さらにはグリーン燃料輸送事業への展開も視野に入れている。

脱炭素社会に向けた海運業の進化

アンモニア燃料は、脱炭素社会に向けた「海運の切り札」として注目されている。ロッテルダム港のような国際港湾が先導し、実証を通じた安全性の確保とインフラ整備が進むことで、世界各地の港や企業に波及効果が広がっているのだ。商船三井・日本郵船をはじめ、日本の海運業もこうした国際的な潮流の中で、新たな役割を担い始めている。

技術革新と政策支援の融合によって、ゼロエミッション海運という新たな時代が着実に現実のものとなりつつある。

文:中井千尋(Livit