ロンドンを拠点とするマーケットリサーチ企業Kantarの最新調査によると、世界のメディア関連業界のリーダーの72%が、業界の変化に対応するためには組織内の人材やスキルの再構築が必要だと考えており、AIを活用できる人材への期待も徐々に高まっていることが明らかになった。

この調査は53の市場を対象に、1,110人から回答を得たものだが、その中で、全体の9割が「組織内の課題に挑む人材を求めている」と答え、66%が業界外からの採用を重視していると回答していた。

一方で、現時点でAIスキルを「非常に重要」と考える回答者はわずか27%にとどまり、コミュニケーションやストーリーテリングスキル(79%)の重要性に比べて低い評価にとどまっている。しかし、今後3年以内にはAIスキルが「非常に重要になる」と予測する回答者が70%近くに達している。

メディア業界でも高まり続けるAI人材の需要について、さらに詳しく掘り下げていきたい。

メディア業界でも存在感を増すAI

AIの活用はさまざまな業界で進んでいるが、メディア業界においてもその存在感はますます大きくなっている。

欧州と北アフリカの放送局で構成される欧州放送連合の事務局長、ノエル・カラン氏は、昨年11月のブログでメディア業界におけるAIの未来について指針を示した。

カラン氏は、メディアにおけるAIの具体的なユースケースとして、アクセシビリティの向上、多言語コンテンツの制作、アーカイブ管理などが挙げており、たとえば、自動音声認識を活用して外国語話者の視聴者向けに字幕をつけるといったケースはそのひとつだ。

また、AIはメディアの収益構造にも大きな変化をもたらしている。広告分野では、AIによる分析により、これまでより高度なターゲティングが可能になり、視聴者の好みや行動に合わせたカスタマイズ広告が実現した。このような変化は、サービス価格や新しい市場へのサービス展開のハードルにも大きな影響を与えているという。

AIの活用には適切なガイドラインと監視が不可欠

デザインや記事への生成AIの利用には知的財産権の尊重が不可欠だ
UnsplashMel Pooleより

メディア業界でAIの活用が進む一方、新しい技術の導入にはリスクも伴うのが現実だ。

差し迫った課題のひとつは、AIの利用ガイドラインを明確にすることだ。責任の所在の明確化、データ保護、人間による適切なAI監視の必要性に加え、AIがコンテンツ作成に使われている場合の視聴者への通知義務や、著作権侵害・盗作リスクへの対応など、AIを倫理的かつ責任ある形で運用するための枠組みが求められている。

すでに問題が指摘されている事例もある。米国のIT関連メディアCNETは、新オーナーのRed VenturesのもとでAI生成記事を多く公開しているが、その事実を十分に開示していないとして批判を受けた。そして、これらの記事のレビューを行った結果、その半数以上に誤りが見つかり、修正が必要だったという。

このようなAI特有の「ハルシネーション」(もっともらしく見えるが誤った結果を生成する現象)の事例は、メディア業界におけるAI活用に、人間による適切な監視が不可欠であることを物語っている。

メディア業界で需要高まるAI人材像

広告の最適化やオーディエンスの拡大、コンテンツ作成など、AIの活用が加速する中、このようなリスクや課題に対応する形で、BBCやドイツのバイエルン放送局、AP通信など、欧州や米国の大手メディアは、次々とAIの導入とガイドラインの策定を進めている。

これに伴い、先進的なメディア企業では、AI技術を適切に活用するだけでなく、倫理的な配慮や正確性の確保、著作権侵害といった法的リスクへの対応ができる人材が求められている。

また、大規模な報道機関では、独自のカスタマイズされたAIを構築できる優れたIT技術者が必要とされ、その一方で小規模なメディアでは、IT大手の開発したAIツールを効果的に活用できる人材が重視されるなど、多様なAI人材がメディア業界で求められるようになっている。

AI人材育成に取り組み始めたメディア企業

AI人材育成に取り組み始めた企業が増加している
UnsplashCoWomenより

法務、コンテンツ制作、広告など、多岐にわたる分野でAIの進化に対応できる人材を必要としているメディア業界だが、人材獲得の方法については、前述のKantarの調査によると、メディア企業は社内でAIスキルを持つ人材を育成するか、関連部署から採用する傾向が強いことが分かっている。

実際、AIに関するトレーニングを自社従業員に提供する企業は増加しており、これはテック業界に限らず幅広い分野で見られる動きだ。2023年末のLinkedInの調査によれば、AIツールの使用トレーニングを実施している企業の割合は、米国で38%、英国で44%に達している。

日本人に身近な例としては、昨年4月に家具大手のIKEAが、約3万人の従業員と500人の管理職を対象に、AIの理解と業務への活用に関するトレーニングを提供する計画を発表し、8月までに総従業員数約16万5,000人のうち、約4万人がトレーニングを受けた。

メディア業界では、広告の世界的リーダーであるWPPが、あらゆるレベルのスタッフにAIトレーニングを行う戦略を進めている。同社の取り組みは、「未来準備アカデミー」と名付けられたデータやAIを含むオンラインコースの提供から、オックスフォード大学サイード・ビジネススクールでのAI大学院ディプロマ取得のスポンサーシップに至るまで、多岐にわたる内容となっている。

AIの導入による大規模な人員削減も

手作業の効率化による人員削減も起きている
UnsplashAdolfo Félixより

一方、メディア業界におけるAIの影響が拡大し、AI人材の需要が高まる一方、雇用にマイナスの影響を及ぼす事例も増えている。

中国語メディア大手のメディア・チャイニーズ・インターナショナルは、業務効率を向上させるため、AIの導入を積極的に進めており、新しいAIツールに対応するためのスタッフ向けトレーニングを開始したと報じられている。しかし同時に、今後2年以内に最大44%の大規模な人員削減が行われる可能性があると伝えられた。この削減では特に同社のマレーシアスタッフが大きな影響を受けると見られている。

同様の動きは他の企業にも広がっている。たとえば、ソーシャルメディア大手のTikTokは昨年、不適切なコンテンツの削除を担当していた約500人の従業員を解雇し、その業務をコスト削減のためAIツールに置き換える方針を発表した。

急速に拡大するAIの需要、今後の影響は?

メディア業界の業務はAIの登場で大きく変化している
UnsplashHayden Walkerより  

AIの急速な進化と多様な業界への浸透は、雇用や働き方に大きな変化をもたらしている。

メディア業界では、ジャーナリストが文字起こしや要約といった作業をAIに任せることで、より創造性が求められる価値の高い業務に時間を割けるようになるという期待がある一方で、一部の職種が失われる可能性や法的リスクへの懸念もある。

しかし、AIの存在感が無視できないほど拡大している現在、その恩恵とリスクを正しく理解し、適切な人材を育成、確保することが、どの業界でも重要な課題となっている。

文:大津陽子
編集:岡徳之(Livit