クモの糸と人間の皮膚を組み合わせて弾丸にも耐えうる強い皮膚を生み出す――。まるでSFのようなこのプロジェクトは2009年に成功し、これを生んだバイオアーティストで実業家のジャリラ・エサイディ氏は一気に世界の注目を集めた。

アートのバックグラウンドを持つ一方で、生物学への造詣も深いエサイディ氏は、アーティストの枠にとどまらない。その後も牛糞から新しい素材を作ってファッションショーを開くなど、次々とイノベーションを生み出している。

その発想の源泉はどこにあるのだろうか。また、アイデアをどのように形にしているのだろうか。政府や企業も問題を持って相談に来るという、オランダ・アイントホーフェン市の彼女のラボを訪ねた。

牛糞に含まれるセルロースから新素材を作り出すプロジェクト「メスティック」に取り組むジャリラ・エサイディ氏 ©Mike Roelofs

1通のメールから始まった「防弾皮膚」プロジェクト

エサイディ氏がクモの糸の強靭さを知ったのは、オランダの大学で美術教育のマスターコースに在籍中のときである。彼女は米ユタ州立大学の分子生物学者、ランディ・ルイス氏の論文を読み、クモの糸が鉄の10倍強く、ナイロンよりも収縮性が高いことを知った。

ルイス教授たちはクモのDNAをヤギのDNAに組み込み、ヤギのミルクからクモのプロテインを抽出し、そこから強靭な糸を作り出した。クモがテリトリーを守るために共食いする性質があることなどから、大量のクモを使って直接糸を作り出すのは難しく、ヤギを介する方法となった。

実際の弾丸を使った防弾皮膚の実験。皮膚は破れなかった。(写真:Inspidere BV)

ルイス教授たちは、その糸を使って防弾チョッキを作ることを考案していたが、しばしば大学の研究にありがちなように、実際にはこの糸は実用されていなかった。そこでエサイディ氏は考えた。防弾チョッキを作るなら、いっそ、この糸の上に人間の皮膚の細胞を培養して、「防弾皮膚」を作ったらどうだろうか。

エサイディ氏がそのアイデアをルイス教授にメールで送ってみたところ、「おお、素晴らしい!」との答えが返ってきたという。彼女はライデン大学の皮膚科専門医や、韓国やドイツのテキスタイルメーカーなど、研究に必要な知識や技能を集め、「2.6g 329m/s」プロジェクトを立ち上げた。同プロジェクト名は、防弾チョッキで防げる22口径ロングライフル弾の重さと速度に因んだものだという。

このプロジェクトは09年に実を結び、弾丸にも耐える強靭な人工皮膚が完成。これは米CNNなど世界のメディアに取り上げられたほか、国内外で数々の賞を受賞した。

牛糞から生まれた新素材「メスティック」

エサイディ氏は受賞で得た資金を使い、11年にはアイントホーフェン市で財団法人「BioArt Laboratories(バイオアート・ラボラトリーズ)」を設立。この法人は、アートと生物学のクロスオーバーにより、自然から新たな素材やシステムを作り出す研究機関であり、次世代の人材を育成する教育機関でもある。すべてを結び付ける要の存在は「自然」だという。

14年にはオランダのブラバント州政府から依頼を受け、牛糞問題の解決に乗り出した。オランダでは、増えすぎた酪農業者の問題が深刻化しており、牛糞が排出する温室効果ガスをどう減らすかが緊急課題となっている。

メスティックのファッションショー ©Ruud Balk

エサイディ氏は、牛糞に含まれるセルロースに着目。このセルロースは植物繊維の主成分で、紙やパルプ、布、バイオプラスチックなどに幅広く利用されている。牛糞のセルロースを利用することができれば、過剰な牛糞問題の解決策になるほか、綿花畑を作るために伐採されている森林の保護にもつながる。

彼女は再び、アイデアを形にするためにさまざまなステークホルダー(研究者、酪農業者、水道局、政府、企業など)の協力を求めた。そして、牛の糞を乾燥させ、そこから取り出した短い繊維に素材を加え、長い繊維にすることで、紙や布を作り出すことに成功。16年には牛糞から生まれた衣服で、ファッションショーも開催。このプロジェクトは「Mestic(メスティック)」と名付けられ、現在はライセンス化し、衣服を量産することを目指している。

理想的な将来は、酪農の過剰問題が解決することですが、そこに到達するには時間がかかります。だから、メスティックは世界を変えるための小さな一歩なのです」(エサイディ氏、以下カッコ内同様)

専門をまたぐコラボレーション

アイデアを次々と形にするエサイディ氏は、オランダの大学やイギリスのビジネススクールで、アート、美術教育、そして社会起業を学んだ。しかし、彼女の関心はこれらの専門にとどまらず、自然科学など幅広い分野に及ぶ。彼女は自らを「バイオアーティスト」と位置付けている。

プロジェクトを進めるにあたり、エサイディ氏が重視しているのは専門家との協力である。「構想は主に私が考えますが、プロジェクトは1人ではやりません。周りにいる専門家を集めるのです」と彼女は語る。

「アゾラプロジェクト」に取り組むジャリラ・エサイディ氏 ©BioArt Laboratories

エサイディ氏によれば、自身の学びと協力の姿勢は幼少期の経験が影響しているという。彼女の父はオランダの医療・電気機器メーカーであるフィリップスで働いており、家には常に医師や研究者、哲学者、芸術家など、さまざまな人々が集まっては議論を繰り広げていた。幼いながらもその議論に加わることを許されていたエサイディ氏は、多様なバックグラウンドを持つ人たちがそれぞれの資質を持っていることを知った。

医者も哲学者も全能ではありません。すべて絶対正しいということはない。私は小さいときから疑問を持つこと、興味を持つこと、オープンでいることを学びました

人を集めるときに大切なこと

いいアイデアを思いついても、やみくもに専門家にアプローチするだけではうまくいかない。エサイディ氏によれば、プロジェクトに協力してもらうためには、「ギブ・アンド・テイク」を考慮する必要があるという。

それぞれのステークホルダーがどんなことに関心を持っているかをよく聞くことです。彼らはそのプロジェクトから何を得られるか、どうやれば彼らと繋がれるかを考える。双方の共通点を探すのが第一歩です。

例えば、防弾皮膚のプロジェクトで、ランディ教授は自分たちの作った素材が人間の皮膚の細胞にどう反応するかを見られるし、ライデン大学の皮膚科医は皮膚細胞の新しいキャリア(担体)を研究できるし、弾丸メーカーにとっては、人間の皮膚への射撃は興味深いものでした

もちろん、すべてがスムーズにいくわけではない。若きアーティストであったエサイディ氏が専門家に協力を求めたとき、「気が狂っているのでは? どうしてそんなものを作る必要があるのですか」という答えも多数返ってきたという。しかし、一方では「Go!」と背中を押してくれる人もいた。

どこかの宣伝文句みたいですけど、『You just do it(やるしかない)!』(笑)。1つのドアが閉まれば、別のドアを探す。あとは人の目を気にせず、目標を持って自分の道を進むことですね

地球温暖化対策からホームレスの社会復帰まで

現在、エサイディ氏はバイオベンチャー企業「InSpidere(インスパイダー)」のCEOと、「アートビオ・ラボラトリーズ」のリーダーとして活躍する。

インスパイダーでは防弾皮膚とメスティックの知的所有権を持ち、研究に取り組んでいる。防弾皮膚については「防弾」というよりも大きな面積の強靭な皮膚を作りだすことに注力しており、火傷で損傷した皮膚への移植を目指しているという。

メスティックについては本来、すでにTシャツなどが量産されているはずだったが、政府の環境政策の変化に影響を受け、資金計画が滞った。現在は、インドや中国といった衣料製造の盛んな国で既存の工場や人材を使って、新素材のアパレルを量産するための計画を進めている。

水生シダ植物のアゾラ ©BioArt Laboratories

一方、アートビオ・ラボラトリーズでは現在、アゾラという水生シダ植物を使った環境対策プロジェクトが進行中だ。アゾラはさまざまな気候環境で育成できる上、成長が非常に速く、高タンパク質を含み、シアノバクテリア(光合成を行う細菌の一種)との共生により、大気中の窒素をアンモニアなどの形で固定することができる。このため、アゾラは肥料に使われているほか、将来宇宙で生育する植物としても研究されている。

一部の種は、繁殖によって生態系に深刻な影響を及ぼす侵略的外来種とみなされているが、エサイディ氏によれば、制御された環境で育成し建築物の壁などに応用すれば、二酸化炭素や窒素を吸収する温暖化対策になり得る。また、高タンパク質の野菜として、代替肉としての役割を果たす可能性もあるという。

広大な自然の中にあるバイオアート・ラボラトリーズ。元は軍用施設だった。©Naoko Yamamoto

同ラボラトリーズではほかにも、下水に含まれる油脂でローソクを作ったり、馬を使ったコーチングでホームレスの社会復帰を助けたり、さまざまな興味深いプロジェクトが進行している。アイントホーフェン市の森の中、1.6エーカー(約6,500平米)に及ぶ自然に囲まれたエサイディ氏のオフィスには、今日も訪問者が絶えない。

取材・文:山本直子
編集:岡徳之(Livit